24.最上階へ
アナスタシアは咄嗟に、倒れた男に向かって駆け出した。
魔狼がアナスタシアに狙いを定め、体勢を立て直そうとする。だが、それよりも早く、白い炎が魔狼を覆い尽くした。
「ギャウ……!」
甲高い叫びを一声だけ残し、魔狼はあっという間に燃え尽きていく。
その横で、アナスタシアは倒れた男に触れて【治癒】の魔術を使う。放っておけばすぐに血を大量に失い、命尽きていたであろう男の傷が瞬時に塞がった。
おそらく、間に合ったはずだ。アナスタシアが男の様子を窺ってみると、気は失っていたが、呼吸は穏やかだった。
「アナスタシアさん、治癒魔術も凄いんだ」
魔狼を【白火】で燃やし尽くしたブラントが、アナスタシアに近づいてくる。
【治癒】自体は特別難しい魔術というわけではないが、やはり力量の差は出てくる。本人がもともと持っている回復力を高めるものなので、今のアナスタシアのように瞬時に大きな傷を塞ぐのは、かなりの技術が必要だった。
「ブラント先輩、魔狼を倒してくれてありがとうございます」
魔狼への備えもなく、アナスタシアは男を治癒するために駆け出したが、それはきっとブラントが魔狼をどうにかしてくれるだろうと思ったからだ。
予想どおり、ブラントは魔狼を倒してくれた。
【魔滅】ではなく【白火】を使ったのは、慣れているために発動が早いからだろう。早さも威力も申し分なかった。
「どういたしまして。間に合ってよかった」
ブラントが穏やかに微笑む。
その姿を見て、アナスタシアは自分は一人ではないのだと満たされていくようだった。
前回の人生のパーティーだったら、同じ事はできなかっただろう。
一人で抱え込まず、任せてしまえる相手がいることで、これほど心が軽くなるのだとアナスタシアは感じ入る。
「あ……ありがとう、助かった……」
戦闘から離脱していたらしき三人の男たちが、おずおずと声をかけてくる。
倒れた男ほどではなかったが、彼らも全身傷だらけで、血が流れていた。
「よろしければ、治癒しましょうか?」
「してもらえるのなら、ぜひお願いします……!」
アナスタシアは彼らにも【治癒】を使って、傷を塞ぐ。
対象者に触れて使う必要があるため、戦闘中はなかなか難しいのだが、今は敵もおらず、相手もおとなしく受け入れているので、あっさりと終わった。
「おお……凄い……」
「傷は治りましたけれど、血は失ったままですので、無理はしないでください」
感動して自分の手や足を眺めたり、動かしたりしている三人の男たちに対し、アナスタシアは注意しておく。
「ん……俺は……そうだ……!」
そうしているうちに、倒れた男も目を覚ました。
慌てて跳ね起きると、周囲を見回して焼け焦げた魔狼の死骸を発見し、それからアナスタシアとブラントの姿を見て、察したようだ。
「あんたたちが助けてくれたのか……? すまねえ……ありがとう」
男は礼を言い、仲間たちからアナスタシアが治癒したのだと聞いて、さらに深く頭を垂れた。
「あんたは命の恩人だ。……俺たちは、何度もこの塔のてっぺんまで行ってるんだが、今回に限ってやたら魔物が凶暴でな……魔物に命を狙われたのも、ここじゃ初めてのことだ」
男の言葉を聞き、アナスタシアとブラントは顔を見合わせる。
ハンターギルドでトニーが言っていた、ダンジョンの難易度が高くなる話を思い出す。
「礼といってもたいしたもんがないが……おい、てめえら!」
男は仲間たちに声をかけると、魔狼の死骸を解体し始めた。
手際よく毛皮や牙が剥がされていく。焼け焦げた魔狼からも、牙くらいは採れるようだった。
さらに体内から魔石が取り出され、一通りの素材がアナスタシアとブラントの前に差し出される。
「じゃあ、俺たちは非常口から撤退することにする。あんたたちはまだ上に行くのか? 気をつけてな」
そう言って、彼らは去って行った。
「……どうやら、難易度が高くなっているみたいだね。あっさりここまで来たから、あまりよくわからなかったけれど」
魔狼の素材を異次元袋に入れながら、ブラントが呟く。
これまで魔物が現れれば、すぐに【魔滅】で消していたので気づかなかったが、どうやら凶暴になっているらしい。
「今のところ、【魔滅】で全部倒せていますからね。竜のように、本当に強い魔物だと効きませんけれど」
「さすがに竜クラスの魔物は、このダンジョンでは聞いたことがないな。そんなのがいるのは、間違いなく上級ダンジョンだろうね。でも、何が起こるかわからない。気をつけて行こう」
素材を収納し終わると、二人は再び上の階を目指す。
十階は無事に終わり、十一階も罠を潰しつつ、【魔滅】で問題なく魔物を倒せた。
そしてとうとう、最上階といわれる十二階にたどり着く。
階段を上り終えると、目の前には大きな扉がひとつあるだけだ。禍々しい雰囲気を放つ赤黒い扉が、二人の前に立ち塞がる。
「……いかにも、何かありそうですね」
「うん、この扉を開けると強い魔物が待っているような、そんな雰囲気だね」
ブラントの言うとおり、おそらくこの扉の向こうには強い魔物がいるはずだ。
前回の人生でも、ダンジョンの最奥には強い魔物がいた。それを倒し、さらに魔族が出てきて戦うというのがパターンだったと、アナスタシアは思い出す。
「ブラント先輩、魔力は残っていますか?」
「あと五回はこれまでと同じ事を繰り返せるくらいには。アナスタシアさんは大丈夫?」
「私も大丈夫です」
【魔滅】は消費魔力の大きい魔術だが、アナスタシアは魔素を取り込む術式を極めているといっても過言ではないので、さほど魔力を消費しない。
【罠感知】や【索敵】も、魔素を取り込みつつ使っているので、アナスタシアの魔力は十分に残っている。
ブラントは魔素の取り込み効率がアナスタシアほどではないが、もともとの魔力量が莫大なため、残っている魔力も問題ないようだ。
「じゃあ、行ってみようか……!」
やや緊張した面持ちで、ブラントが扉に手をかける。
軽く押した程度だったが、扉は重たい音を立てながら開いていく。
中は大広間のように大きな空間が広がっていた。そして、奥に鎮座していた巨大な塊が扉と連動するように、起き上がった。
「……まさか、竜だよ……俺、初めて見た……」
驚愕に目を見開きながら、ブラントがかすれた声を漏らす。
そこにいたのは、赤黒い鱗に覆われた竜だったのだ。翼を広げると、大広間の半分を埋め尽くすくらいの巨大さで、圧倒的な存在感を放っている。
竜は侵入者の姿を認めると、口を大きく開いた。






