197.悪意なき悪意
何を言われたのか理解できず、アナスタシアは固まる。
それまでのゲームや周回がどうのという話から比べれば、言われている言葉の意味そのものはわかりやすい。
だが、今の場面で何故その言葉が出てくるのかと、アナスタシアは理解できない。
「前回は禁呪を制限無しで使ってもらうため、恋人にしたんだけれど、それが不満だったんだろう? だから、今回はそういうのを抜きにして恋人にしてあげるって言ってるんだよ。今のきみなら、一緒にいても恥ずかしくないしね」
まったく悪意などうかがえない、素直な口調だった。
やはり恋人になったのは利用しただけだったのだとか、一緒にいて恥ずかしいと思われていたのだなど、様々な思いがアナスタシアの中を駆け巡る。
わかっていたことではあるが、改めて口に出されると、アナスタシアの心は抉られるようだった。
そして、明らかにアナスタシアのことを見くびっているようだ。
恋人にしてあげると言えば、アナスタシアは喜んで受け入れるとしか思っていないのだろう。
恋人らしいことなど何もせず、利用するだけ利用して、ボロボロにして捨てておいて、何故そのように楽観的な考えでいられるのだろうか。
やはりアナスタシアのことなど、心を持った人間とは思っていないのだろう。
自分の都合の良いようにしか、アナスタシアを見ていないのだ。
「……ふざけないで」
あまりの怒りで、アナスタシアはなかなか言葉が出てこない。
やっとの思いで吐き出したのは、その一言だけだった。
「安心して、今回はバッドエンドにはしないよ。もうこりた。フォスターくんを仲間にして、彼を魔王に育てようかと思ってるんだ」
「……魔王?」
しかし、人の話を聞こうとしないシンが次に呟いた言葉で、アナスタシアはいっとき怒りなど吹き飛ぶほどの衝撃を受ける。
フォスターくんとは、ブラントのことだ。
確かに、あえて口にはしないが、ブラントは次期魔王の第一候補だろう。
現魔王のエリシオンもブラントに様々な教えを授け、その方向で動いていると思われる。
ブラント本人も、魔王のダンジョンコアを受け継ぐことに異を唱えてはいないので、わかってはいるのだろう。
そういう意味では、おかしなことではないのかもしれない。
だが、シンがブラントを魔王に育てようというのは、どういうことだろうか。
「フォスターくんって魔王の孫なんだよね。母親が魔族で、父親が人間のハーフ。でも、本人はそのことを知らなくて、両親を魔族に殺されて恨んでいるんだ」
そのことは、アナスタシアも知っている。
だが、何故シンが知っているのだろうか。これも、迷い人の不思議な知識なのだろうか。
ただ、その知識はすでに古い。
「フォスターくんは魔力回路を損傷していて、それを治してあげると仲間になるんだ。それで鍛えて覚醒させると、魔王を倒せるくらい強くなる」
「魔王を倒す……?」
思わず、アナスタシアは呟く。
ブラントがエリシオンを倒すというのかと、信じられない思いでいっぱいだ。
「ああ……前回、僕たちが戦った魔王は、虚無の魔王なんだよね。とっても弱体化していたんだ。普通の状態の魔王は、まともに戦って勝ち目なんてないよ」
アナスタシアが訝しげなのを、魔王の強さのことと思ったらしい。
本当は違うのだが、アナスタシアは唇を引き結んだまま、続きを待つ。
「そこで、フォスターくんをぶつけるんだ」
「……どうやって?」
本気で倒すためにブラントがエリシオンと戦うなど、想像もつかない。
思わず、アナスタシアは尋ねてしまう。
「両親を殺したのが、魔王の命令であると誘導するんだ。フォスターくんは魔王の弱点でね。魔王はフォスターくんを殺せない。逆に復讐心に凝り固まったフォスターくんは、魔王を殺せる」
「そんな卑怯なことを……」
アナスタシアはあっけにとられてしまう。
真実をアナスタシアは知っている。シンのやろうとしていることは、卑劣な謀略以外の何ものでもない。
しかも本人は何ら悪びれていない。悪意なき悪意に、アナスタシアは震える。
もっとも、現状でそれをやろうとしても、無理だろう。
すでに真実が明らかになっている上に、ブラントとエリシオンの間には信頼関係がある。
だが、もし今回の人生でアナスタシアがブラントとエリシオンの間に介入しなければ、それが実現していたのかもしれない。
そう考えると、アナスタシアはぞっとしてくる。
「魔王が強すぎるのが悪いんだよ。まともに倒そうとしたら、どんなに効率よく進めても三周以上必要なんだ。弱体化させるのなら、虚無にするためにフォスターくんを殺すのが手っ取り早いんだけど、それやるとバッドエンドだしな……」
ぶつぶつと呟きながら、シンは考え込む。
その内容に、アナスタシアは今まで疑念を抱いていたことが、確信に変わっていく。
シンが意志をもって、フォスター研究員ことブラントを殺したのは予想がついていた。
そして、おそらく殺すために魔物化させただろうことも。
だが、それは今まで疑念であり、確かめることはできなかった。
「……フォスター研究員は魔物化して、あなたが殺したわね。あの魔物化は、あなたの仕業だったというの?」
アナスタシアの声が微かに震えた。
もう答えはわかっているが、確かめずにはいられない。
「うん、そうだよ」
何のためらいもなく、無邪気にシンは認めた。






