176.覚醒
気だるさを覚えながら、ぼんやりとアナスタシアは目を開ける。
すると、すぐ近くにブラントの整った顔があって、アナスタシアは息をのむ。
ブラントは目を閉じたままで、まだ眠っているようだ。そして、何も衣服を纏っていない。
それはアナスタシアも同じで、生まれたままの姿だった。
大きな寝台に二人、一糸纏わぬ姿で並んで寝ていたのだ。
徐々に記憶が蘇ってきて、アナスタシアは顔が熱くなるのを感じながら、一人であたふたとしてしまう。
とうとうブラントと体を重ねたのだ。
ろくな知識も持っていなかったアナスタシアは、未知の世界の扉をいくつも開かされ、衝撃の連続だった。
恥ずかしさで死んでしまうのではないかと思ったが、心臓は破裂することなく動き続けている。
最後のほうは快楽に翻弄されて、はしたないことを口走ってしまったような気がするが、よく覚えていない。
そのことに思い至ると、アナスタシアは再び心臓の鼓動が激しくなり、いたたまれなさに包まれながら、シーツに顔を埋める。
すると、こらえきれないように笑う声が聞こえてきた。
「……起きていたんですか」
寝たふりをしてアナスタシアを観察していたらしいブラントに向け、アナスタシアは恨みがましい声を出す。
「ごめん。可愛かったから、つい」
あまり悪びれた様子もなく、ブラントは詫びる。
「アナスタシアさん、体は大丈夫?」
「……だるくて、少し痛むところがありますけれど、大したことは……あれ?」
問いかけられ、上半身を起こして体の状態を確かめるアナスタシアだが、ふと違和感を覚える。
体が重たく感じるのとは別に、何かが冴えわたっているようだ。
自らの魔力回路に意識を向けてみて、アナスタシアは思わず息をのむ。
昨日までとは明らかに違う。前回の人生での最盛期よりも、ずっと魔力回路が強くなっていたのだ。
魔力量も、これまでの倍以上に膨れ上がっている。
「どこか具合が悪いの?」
「い……いえ、むしろその逆で……魔力回路が強化されて、魔力量が増えています……」
気遣う眼差しを向けられ、アナスタシアは呆然としながら答える。
試しに手のひらに【光球】を己の魔力だけで生み出してみるが、これまでよりもずっと負担が軽くなっていた。
「やっぱり、間違いないようです。ブラント先輩は、魔力回路に何か変化は感じませんか?」
【光球】を消しながら、アナスタシアはブラントに問いかける。
だが、ブラントは上半身を起こしてわずかに沈黙した後、首を横に振った。
「いや、俺は別に何も……ただ、さっきから背中が何となくむずむずするんだよね」
「背中ですか? 見せてもらえますか?」
アナスタシアはブラントの背中を見てみるが、見た目は特におかしなところはないようだ。
続いて手を触れてみると、背中がぴくりと動いた。
「ちょっと我慢してくださいね」
「いや……今、俺は動いていないんだけれど……何か動いた」
くすぐったかったのだろうかとアナスタシアは思ったが、ブラントは愕然とした様子で呟く。
どうしたのだろうかとアナスタシアが首を傾げると、触れたままの手に、何かが盛り上がってくるような感覚が伝わってきた。
何事かと驚いていると、アナスタシアは突然何かに弾き飛ばされた。
仰向けに転がってしまうが、場所が寝台だったために痛くはない。
「アナスタシアさん!」
「ブラント先輩……それ……」
突然倒れたアナスタシアを心配する声が響くが、アナスタシアはそれよりもブラントの姿を見て、驚愕に目を見開く。
ブラントの背中から、一対の大きな銀色の翼が生えていたのだ。
アナスタシアの視線を受け、ブラントも己の背中に目を向けて固まる。
「え……これ、何……?」
呆然とするブラントだが、ブラントにも半分は魔族の血が流れているのだ。
翼が生えたところで、不思議ではないのかもしれない。
それも色は銀色なので、天人扱いだろう。これをセレスティア聖王国で披露したとしたら、とんでもない大騒ぎになりそうだと、アナスタシアは現実逃避気味にぼんやり考える。
「あ……何だか、凄い。力が満ち溢れてくる。今ならどこか国を一人で滅ぼせそうな気がするくらい」
「滅ぼさないで下さい……」
とんでもないことを言い出すブラントに、アナスタシアは苦笑する。
魔族は本気を出そうとすれば、翼が勝手に出るのだという。
つまり、今のブラントは全力を出せる状態だということだろう。
これまでもブラントは十分強く、上位魔族すら倒したことがある。だが、それよりも上の段階に進んだようだ。
「まあ冗談はさておき。これを見てしまうと、もう自分が人間というより魔族なんだなって感じがするな……」
苦笑しながら、ブラントは呟く。
かつて魔族を両親の仇と憎悪していたブラントだが、それなりに折り合いはつけたようだった。
だが、まだわだかまりが残っていたのだろうかと、アナスタシアは不安になる。
「人間でも魔族でも、ブラント先輩はブラント先輩です」
「うん、アナスタシアさんならそう言ってくれると思ったよ。まあ、びっくりしたし衝撃ではあったけれど……アナスタシアさんが受け入れてくれるなら、もうそれでいいや。難しいことを考えるのは面倒くさい」
必死に慰めようとするアナスタシアだが、ブラントはあっけらかんとしていた。
うじうじ悩んでばかりの自分とは大違いだと、アナスタシアは感じ入る。
「ただ、これがどういうことか、おじいさまに聞いてみたほうがいいだろうね。まずは服を着ようか」
そう言われて、アナスタシアはようやく自分が全裸のままだったことに気付き、顔に熱が集まる。
恥ずかしさでブラントから顔を背け、寝台の近くに散らばったままだった自分の服を身に着けていく。
「……どうしよう」
アナスタシアが服を着終わった頃、ブラントの困った声が聞こえてきた。
どうしたのかと見てみれば、翼が邪魔で上半身の服を身に着けることができないようだ。
「翼をしまえないんですか?」
「……どうやっていいのか、わからない。動かし方もわからないんだ」
「では、そのまま行って、翼のしまい方や動かし方を聞いてみるしか……」
「うん、そうだね……」
仕方なさそうにため息をつき、ブラントは歩き出す。
だが、今度は翼がつかえて扉から出られない。
ブラントは困った顔で立ち尽くすだけだ。
「……ちょっと、呼びに行ってきますね」
少しかわいそうになってきながら、アナスタシアはそう声をかけて部屋を出ていった。






