161.巫女の正体
「えっ……王女殿下……? 意外と積極的な……」
前向きな戸惑いの声をあげる巫女だが、アナスタシアが続いて【解呪】の術式を手に乗せると、顔色が変わった。
魅了が効いていないことがわかったのだろう。
巫女の胸からは白い煙が立ち上がり、アナスタシアは【解呪】が効いたことを確認すると手を離した。
そして、跳ねるようにソファーから立ち上がり、体勢を整える。
「なっ……何をしやがったの……!?」
怒りの形相で、巫女がアナスタシアを睨みつけてくる。
咄嗟に、アナスタシアは手に魔力を流して首の後ろを押さえた。
次の瞬間、手に何かが当たって弾かれていく。
「な……何故……」
床に小さな針が転がり落ちるのを眺め、巫女は愕然と立ち尽くす。
やはり針がきたかと、アナスタシアは判断が間違っていなかったことに安堵する。
これは小さな毒針を転移させ、相手の背後から狙う技だ。
初見で見抜くことは困難で、前回の人生でもグローリアが出会い頭にこの技を受けて、戦闘不能になっていた。
そのときの経験がなければ、アナスタシアも防ぐことはできなかっただろう。
回避不能なはずの技をあっさり弾かれ、混乱した様子の巫女に向けて、アナスタシアは魔力をこめた拳をみぞおちに叩き付ける。
まともに食らった巫女は、呻き声を漏らしながら膝を突く。
人間ならば即死してもおかしくない威力だったが、さすが魔族だけあって頑丈なようだ。
「くっ……こ……この……」
巫女は苦しげながらも、アナスタシアに敵意を込めた眼差しを向けてくる。
だが、その時点ですでに巫女を見えない鎖が絡め取っていた。
アナスタシアが動いた時点で、ブラントが【束縛】を準備していたのだ。
続いてブラントは魔力阻害の檻で巫女を取り囲む。
巫女は動きと魔術を封じられ、完全に無力化された。
悔しそうに唇を噛む巫女を見下ろすアナスタシアだが、先ほどまで激しく自己主張していたはずの大きな胸が、平坦になっていることに気付く。
胸のあたりに何かを仕込んでいることはわかったのだが、まさか胸全体がそうだとは思わなかった。
今や、アナスタシアと良い勝負になりそうな絶壁だ。
どういうことだと、アナスタシアは唖然とする。
胸を成長させる呪法があるからと期待してきたのに、本物ではなかったというのだろうか。
魔力によって大きくしているだけで、【解呪】ひとつで消え去ってしまうような、儚いものだったのかと、絶望がアナスタシアを苛む。
「あ……あなたたちは、いったい何を……!?」
部屋の入り口近くで待機していたグローリアの、慌てた声が響く。
そういえばグローリアもいたのかと、すっかり失念していたアナスタシアは現実に引き戻され、どうしたものかと悩む。
だが、次の瞬間にはグローリアがその場に崩れ落ちた。
アナスタシアは思わずブラントを見るが、ブラントは首を横に振った。
ということは、エリシオンの仕業だろう。
完全に気配を遮断していたエリシオンだが、助けてくれたらしい。
「エリシオンさま……? 今の魔力、エリシオンさまでしょう……?」
しかし、その行為は軽率だったようだ。
巫女が喜色の滲んだ声を漏らし、気配を遮断しているはずのエリシオンに視線を向ける。
アナスタシアはエリシオンが魔術を使用したこと自体に気付かなかったのだが、巫女はその魔力までしっかりと読み取っていたらしい。
そういえば、前回の人生でもこの魔族は最期まで、魔王エリシオンの元には行かせないと勇者たちを阻んだ。
禁呪を使用してどうにか倒したが、勇者パーティーの損害も大きく、アナスタシアの命を大きく削った要因ともなった。
それでも、自らの命を捨ててでも勇者たちの力を削ろうとすがりつく姿に、魔王への厚い忠誠心を感じて、憎むことは出来なかった。
「まあ、嬉しいわ! アタシに会いに来て下さったのね! ということは、これは何かのプレイ……? 刺激的だわ……とうとうアタシの愛を受け入れて下さる気になったのね!」
巫女はアナスタシアやブラントのことなどすっかり忘れ去ったようで、じっと黙ったまま動かないエリシオンだけを見つめながら、叫ぶ。
見えない鎖の束縛に囚われ、魔力阻害の檻に囲われた状態で、自分だけの世界を作り上げている。
前回の人生では、魔王に心酔する忠義の部下という印象しかなかったのだが、どうやらアナスタシアの考えとは少し方向性が違ったようだ。
威厳ある魔王だと思っていたエリシオンも、実態はかなり抜けたところがあったのだし、現実はそのようなものなのかもしれない。
アナスタシアは、少し遠い目になってしまう。
「さあ、次は何をして下さいますの!? 踏みつけて、罵って下さっても構いませんのよ! さあ、さあ!」
巫女は、感慨に浸るアナスタシアのことも、気配を遮断して関わりたくない意思を示しているエリシオンのことも、一切気に留めることがない。
あくまでも自分の欲望だけを叫ぶ姿は、いっそ清々しいくらいに見事だ。
エリシオンがこの魔族を苦手としている理由の一端を、アナスタシアは見たような気がした。






