154.徒労
「……花瓶を投げつけられましたが、ぶつかっていません。大丈夫ですので、気にしないで下さい」
花瓶の割れる音を聞きつけ、部屋の外ではブラントが身構える気配がした。
そこに向けてアナスタシアは声をかけると、部屋の扉を完全に閉める。
「話が通じないようだから、こちらも勝手にさせてもらうわね」
アナスタシアはさらに何かを投げつけようとしているジェイミーに向け、【麻痺】の魔術を放つ。
すると、ジェイミーが持っていた本を取り落とし、ふらついた。
思っていたよりも魔力抵抗力が高いようだったので、アナスタシアはさらに魔力をこめると、ジェイミーがその場に崩れ落ちる。
ソファーに転がるジェイミーに近づくと、ジェイミーは目だけでアナスタシアを睨みつけてきた。
以前、アナスタシアを殺そうとしてきたときほど、げっそりとやつれた姿ではなくなっている。頬にも赤みが差し、健康状態に問題はなさそうだ。
ただ、それでも以前よりはくたびれた雰囲気が漂い、髪も乱れていた。
「あなたに魔石が埋め込まれていないか、調べるわ。それがあると、魔物化してしまう可能性があるから、あれば取り除くから」
いちおうアナスタシアは何をするか声をかけておく。
すると、動けなくなっているジェイミーの目に戸惑いの色が浮かぶ。
母である王妃デライラが魔物化し、命を落としたことを思い出しているのかもしれない。
アナスタシアはジェイミーに魔力を流し、魔石があるかを探る。
その間、ジェイミーから抵抗しようという意思は伺えず、おとなしく受け入れていた。
どうやら、魔物化に対する不安と恐怖があるようだ。
「ええ……嘘……」
しかし、いくら調べても魔石の存在は読み取れない。
それならばと、他に何らかの呪法の影響を受けていないだろうかと、感知系の魔術を片っ端から使ってみるが、何の反応も窺えなかった。
気づいたのは、意外と魔力量が多いことくらいだ。
そういえば先ほど【麻痺】を使ったときも、魔力抵抗力はそこそこあった。
鍛えれば魔術師になれるくらいの素質はあるかもしれない。
結局、収穫は何もなかった。
魔石も呪法の影響もなく、素のままでこれほど自分本位な性格なのかと、アナスタシアは戦慄する。
徒労感を覚えながら、アナスタシアはジェイミーの麻痺を緩める。
だが、暴れられるのは面倒なので完全に解くことはなく、口がきける程度だ。
「お……終わったの……?」
麻痺が残っていることの文句よりも、ジェイミーはまずそれを尋ねてきた。
よほど気になっているらしい。
「ええ……何も問題ないようだわ……」
ぐったりとしながらアナスタシアが答えると、ジェイミーはほっとしたように息をついた。
だが、すぐに気を取り直したのか、アナスタシアを睨みつけてくる。
「終わったんなら、さっさとこの動けないのをなくしなさいよ!」
「暴れられたら面倒だから嫌よ。それとも、絶対に刃向かってこないで、おとなしくしていると約束できる?」
「……それは」
「じゃあ、そのままね」
ため息を漏らしながら、アナスタシアは話を打ち切る。
すると、ジェイミーはしばらく黙り込んだ後、口を開く。
「……約束するわ、だから動けるようにして」
悔しそうに歯噛みしながらだったが、ジェイミーはそう言った。
アナスタシアは頷くと、【麻痺】を完全に解除する。
ソファーに横たわっていたジェイミーが、おそるおそる身を起こし、座り直す。
「……私が暴れたところで、あんたは強いんだから怪我なんてしないんじゃないの? さっきの投げた花瓶だってよけたし」
「私よりも、あなたのほうが怪我するでしょうね。無意識に反撃するかもしれないから、そうなったら怪我くらいじゃすまないかもしれないわ。自分が可愛かったら、おとなしくしていなさい」
刺々しいジェイミーの言葉にアナスタシアが答えると、ジェイミーは息をのんだ。
悔しそうにアナスタシアをねめつけてくるが、その瞳には怯えの色も滲んでいる。
「そもそも、あなたは私の何がそんなに気に入らないの? ずっと昔からよね。私が廃宮に押し込められ、ろくに見向きもされていなかった頃から、やたらと突っかかってきたわ」
今の第一王女として遇されているアナスタシアが気に入らないというのは、それまでずっと周囲の注目を独り占めしてきたジェイミーにとってみれば、そうだろうと納得できる。
だが、アナスタシアが公の場にも出してもらえない、名ばかり王女だったときから、ずっとジェイミーはアナスタシアに突っかかってきていたのだ。
圧倒的優位な立場にいるはずのジェイミーが、何故日陰の存在であるアナスタシアをことさら貶めていたのだろうか。
「……だって、あんたは私の下で、みじめな存在じゃないといけないのよ!」
きっと射貫くような眼差しを向け、ジェイミーは叫び声を上げる。
思わず、アナスタシアは顔をしかめる。
「お父さまも最近だとあんたのことばかり大事にして、頭がおかしくなったんじゃないの!? 私にこんな仕打ちをするなんて、正気じゃないわよ! 私のほうが、あんたなんかよりずっと可愛いのに!」
激昂するジェイミーを眺めながら、アナスタシアは頭痛を覚える。
これはいったいどうすればよいのだろう。
ジェイミーを更生させる方法など、アナスタシアにはかけらも思い浮かばなかった。






