149.やる気が出た
「でも……確かに、苦手な相手に会いたくないのはわかります。できることなら、避けて通りたいですよね」
ぼそりと、アナスタシアは呟いた。
アナスタシアも天人教団にいる聖騎士には会いたくない。
そもそも、勇者との出会いを回避するために未来を変えようと頑張ってきたのだ。
エリシオンの気持ちは理解できる。
『おお、わかってくれるか』
通信用の水晶玉の向こう側から、喜色を含んだ声が響く。
「どうしても苦手な相手っていますものね。自分の方が戦闘能力が高くても、そういうのとも違うんですよね……」
『その通りだ。よくわかっておる。そなたは優しいのう……儂のことを考え無しの突撃しか能が無いと思っている誰かとは大違いだ』
「ええ……」
理解し合うアナスタシアとエリシオンだが、ブラントはわずかに眉根を寄せて不満げな声を漏らす。
「……でも、やっぱり確かめに天人教団に行ってきます。今回は街中で魔物化されたので、それを操っている魔族がいるとなれば、放ってはおけません。『持たざる者の祈り』もそのときに手に入れてくるので、その魔族の特徴だけ教えてもらえますか?」
魔物化させるには特殊な魔石を埋め込む必要があり、そう簡単には行えないという。
そのような手段をモリス伯爵令息チェイスという、さほど重要な立ち位置にいるとは思えない相手に使ったことが気にかかる。
もし他にも同じような相手がいて、街中で魔物化されては、被害が出てしまう。
魔族の目的を突き止める必要がある。
できることなら聖騎士には二度と会いたくなかったが、そのようなことは言っていられないだろう。
『ううむ……そなたたちだけで行くというのか……』
エリシオンは唸る。
ためらいがちな様子に、ブラントが首を傾げた。
「何か不安要素があるのですか?」
『まずは、儂に似ているそなたを見たとき、奴がどういう反応を示すかというのがひとつ。もうひとつは、奴が強いことだ』
「どれくらい強いのですか?」
『そうだな、ヨザルードと同等かそれ以上かもしれぬ。そなたはヨザルードを倒したとはいえ、奴にも勝てるかはわからぬ。少なくとも、無傷で勝てることはないだろう』
エリシオンの言葉に、アナスタシアとブラントは顔を見合わせる。
かつてヨザルードを倒したのはブラントだが、一度だけ命をかけられる状態でそれを隠しながらという、いわば奇策を用いた部分があった。
正面から一対一で戦っていれば、どちらが勝っていたかは不明だ。
さすがにアナスタシアも加勢すれば勝てていたのは間違いないが、そのような相手と同等かそれ以上というのは、かなり厳しい戦いを覚悟する必要がある。
『ううむ……仕方が無い。儂も行こう。単なる殴り合いならば、そなたたち二人で勝てるとは思うが、奴は何をしでかすかわかったものではないからのう』
ため息交じりにエリシオンが決断する。
「よいのですか?」
『うむ。そなたたちが行くときに合わせよう。いつ行くか決まれば、また連絡するがよい』
そう言って、エリシオンからの言葉は途切れた。
一息つき、アナスタシアとブラントは互いの顔を見つめる。
「……どんな相手なんだろうね。おじいさまがあんなに嫌がるなんて。あまり言いたく無さそうだから、聞けなかったけれど」
「教団の巫女というくらいですから、女性の魔族ですよね。チェイスが美しい成熟した女性と言っていましたし……」
言いながら、アナスタシアはチェイスから受けた絶壁の侍女という侮辱を思い出し、自らの胸を見下ろす。
しかし、その言葉を否定できないような、なだらかさが目に入り、アナスタシアは唇を噛みしめる。
「ブラント先輩は……その……」
問いかけようとしながら、アナスタシアは口ごもる。
何と言ってよいのか、わからないのだ。
大きな胸のほうが好きですかと尋ねて、そうだと答えられたら、どうしてよいかわからない。
かといって小さな胸でも良いですかだと、肯定ありきで答えを言わせようとしているだけだろう。
そして、もしそれで良くないと答えられたら、もう立ち直れないかもしれない。
「……アナスタシアさん? 俺はアナスタシアさんのことが好きなんだ。それに胸なんて些細なことなんだから、気にすることないよ」
「はい……」
いちおう、ブラントは絶壁にも肯定的な反応を示してくれている。
だが、胸、些細、というキーワードで、地味にアナスタシアは落ち込んでしまう。
胸の大小など些細な問題という意味なのだろうが、些細な胸だが気にするなと聞こえるのだ。
しかし、それも間違ってはいないかと考え、アナスタシアはさらに沈み込む。
『……そなた、もう少し言葉を選べばよかろうて』
すると、切断したと思っていた通信用の水晶玉から、エリシオンの声が聞こえた。
アナスタシアとブラントは、ぎょっとして水晶玉を見つめる。
『通信が切れておらぬから、聞こえてきたのだが……そのようなことを気に病ませてしまったのは、ブラント、そなたのせいであろうが』
「え……」
『そもそも、そなたがもっと番いを可愛がっておれば、そのような悩み自体がなかったかもしれぬ。少なくとも、そなたがどう思うだろうかと、アナスタシアが気に病むようなことはなかったであろう』
「はい……」
エリシオンに説教され、ブラントはうなだれる。
言葉にはさほど出していないはずなのに、まるで心を読んだかのようなエリシオンの言葉に、アナスタシアは恐ろしくなってきた。
『アナスタシア、そなたももっと自信を持て。どうもそなたは自己評価が低いように見受けられる』
「はい……」
今度はアナスタシアにも矛先が向き、アナスタシアは小さくなりながら頷く。
最近は以前よりもずっとましになってきたが、前回の人生の出来事から、自己評価が低くなりがちなのは確かだ。
『ああ……そういえば、持たざる者の祈りを使い、胸……体の一部を成長させる呪法もあるようだ。奴がそれを……』
「本当ですか!?」
エリシオンが言い切る前に、アナスタシアは食いついた。
些細な問題とブラントは言っていたが、ないよりあるにこしたことはないだろう。
『あ……ああ……』
「それはぜひ天人教団に行かないといけませんね……なるべく早く出発しましょう」
引き気味のエリシオンに構うことなく、アナスタシアは決意をこめて頷いた。
聖騎士に会いたくなかったことなど、もはや些細な問題だ。
やる気が一気にわきあがってくるのを感じながら、アナスタシアは未来に向けて拳を握りしめた。






