140.拳の出番
「どうやら近いうちに王族の結婚がありそうだという話も、モリス伯爵から聞いた。縁続きとなっておけば、こうした機会を逃すことなく立ち回ることができる。それに、伯爵家の一員となっていれば、王族の結婚式にも出席することが……」
「ステイシィ、結婚決まりましたの?」
言い聞かせるように語るネイサンから目を背け、レジーナはアナスタシアに問いかけてくる。
「いいえ、まだ正式には決まっていないわ。条件がまだ残っているの。でも、もう少しで終わりそうだから、順調にいけば二年後ね」
「まあ、卒業したらすぐなのですわね。楽しみですわね。ステイシィの花嫁姿、綺麗でしょうね」
「結婚式にはレナも来てもらえる?」
「ええ、もちろん。光栄ですわ」
二人だけで会話をするアナスタシアとレジーナを眺め、ネイサンは顔をしかめる。
「……何の話をしている。どうやら結婚するようで、それは結構なことだが、今はそんな話ではなく……」
「王族の結婚がありそうだというから、直接本人にお尋ねしただけですわ。こちらのセレスティア聖王国第一王女アナスタシア殿下に」
「……は?」
ネイサンは唖然として固まる。
おそるおそるアナスタシアに視線を向けてきたので、アナスタシアはにっこりと微笑む。
引きつった顔をしながら、ネイサンは今度はマシューとローザに向き直るが、二人に神妙な顔で頷かれると、頭を抱えて俯いた。
「伯爵家の一員になどならなくても、王族の結婚式に出席できるようですわよ。先ほど申しました宮廷魔術師の誘いも、セレスティア国王陛下直々に賜ったものですの。このような物も国王陛下から頂きましたわ」
レジーナはそう言って、メレディスからもらったメダルをテーブルの上に置く。
「これは……モリス伯爵が自慢していたものと同じ……? 功績を立てねばもらえぬのだと言っていたが……まさか、レジーナが……国王陛下直々に……」
メダルをじっと見つめながら、ネイサンは愕然と呟く。
「わたくしはお兄さまが思っているより、ずっと強いのですわ。魔族襲撃事件のときだって、魔物を何体も屠っていますの。もう、お兄さまの知っている幼く、か弱いレジーナではありませんのよ」
堂々としたレジーナの言葉に、ネイサンはがっくりとうなだれる。
「……そうか……いつまでも、子供ではないんだな……道を用意しなくても、自分で切り開いていけるのか……」
寂しそうなネイサンの声が響く。
何も言うことなく見守っているマシューとローザも、ネイサンと同じような表情になっていた。
「これでも、その伯爵令息に嫁ぐことによる利点がありまして?」
「いや……もっと大きな繋がりを得ている。むしろ、モリス伯爵家にくれてやるにはもったいないだろう」
「では、婚約を解消して頂けますわね?」
勝利宣言ともいうべきレジーナの問いかけだが、ネイサンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
負けを認めたくないのだろうかともアナスタシアは思ったが、気まずそうに視線を泳がせるネイサンを見ると、どうやら違うようだ。
「そうしたいのはやまやまだが……すでに婚約は結ばれてしまった。相手に瑕疵がないのに、下位のこちらからは解消できない」
「はい……?」
あっけにとられたような顔をしながら、レジーナは呆然とする。
「まさか、レジーナがこんな強力な伝手を持っているなんて思いもせず、良縁だと思って決めてしまった。軽率だったと反省している……」
しおらしい態度で呟くネイサンだが、レジーナはわなわなと震えていた。
「自分がいかに視野が狭くなっていたか、わかったか。商売が上手くいっているときほど、万が一に備える必要がある。その心構えを失えば、痛い目にあうのだ」
「はい……自分の未熟さを痛感しました」
ここぞとばかりにマシューが重々しく説教すると、ネイサンは素直に頷いた。
大きな失敗をする前に矯正したいというマシューの願いが、通じたようだ。
もっとも、この勝手な婚約こそが大きな失敗ともいえるだろうが。
「……お兄さまが反省したのはよろしいけれど、わたくしはどうなりますの?」
「どうにか落ち度を見つけて、あとは慰謝料を積んで……」
冷たい声でレジーナが尋ねると、ネイサンはうなだれたまま、どうにか解決策を出そうとする。
「向こうから婚約解消させればよいのね。解消してもらえるよう、お願いしてみましょう」
仕方がないかと、アナスタシアは口をはさむ。
結婚そのものは、国王メレディスがうっかり許可を忘れることになっている。
だが、その前段階である婚約は、家と家の間ですでに成立しているので、解消させる必要があるのだ。
レジーナはほっとしたようだ。そして、ネイサンは希望をこめた眼差しをアナスタシアに向けてくる。
「でも、その前に。この件でレナがどれほど心を痛めたか……見ているだけでもつらかったのです。もう二度とこのようなことはせず、レナを尊重すると約束してあげて下さい」
アナスタシアはネイサンに向けて言い放つ。
すると、ネイサンは深々と頭を下げて頷いた。
「はい……レジーナ、本当に悪かった。もう二度と余計なことはしない。私が用意する道より、もっと素晴らしい道を自分で進めるのだろう。それを見守るだけにするよ」
「お兄さま……」
「王女殿下にもご迷惑をおかけすることになってしまい、申し訳ありません。レジーナのことを心配して下さってありがとうございます」
ネイサンの言葉を聞きながら、アナスタシアはひとまず話し合いが無事に終わったことにほっとする。
まだ婚約解消が残っているが、最も大きな問題だったレジーナの家族からの理解は得られた。
拳での語り合いにならずにすんでよかったと、アナスタシアは拳を握ったり開いたりしながら眺める。
「ステイシィ……拳はもう必要ありませんわ……」
「ああ……レジーナや王女殿下からすれば、私を一回くらい殴りたいのは当然でしょう。それだけのことをしたという自覚はあります。殴りたければ、どうぞ」
「お兄さま、取り消して!」
何かが吹っ切れたように晴れやかな笑顔すら浮かべるネイサンだが、レジーナは悲痛な叫び声をあげる。
「何を大げさな……か弱い女性に殴られたところで……いや、たおやかな手を痛めてしまうかもしれないから、確かにやめたほうが……」
「お兄さまは何もわかっていませんわ! ……ちょっとお待ちくださいな!」
レジーナは慌てて部屋を出て行き、すぐに円形の何かを抱えて戻ってきた。
そして、レジーナはそれをネイサンに押しつける。
「さあ、これに向かってお願いしますわ」
全員があっけにとられる中、レジーナの快活な声が響く。
レジーナが持ってきたのは、鉄製の盾だった。顔を覆い尽くすほどの大きさで、渡されたネイサンは唖然としている。
「レナ……私は別に、何が何でも殴りたいわけじゃ……」
「いいえ、お兄さまのためにもお願いしますわ。お兄さまは固定観念に凝り固まっていますもの。盾ごと、打ち破ってくださいな」
腰が引けるアナスタシアだが、熱心なレジーナの言葉に、それなら仕方が無いかとため息を漏らす。
確かに、ネイサンはアナスタシアをか弱い女性と決めつけて疑っていないようだ。
そういった思い込みから、今回の件も起こってしまったのだろう。
これもレジーナのためだと、アナスタシアはネイサンに盾を持つよう促す。
「し……しかし、このような鉄製の……」
「いいから、両手でしっかりと持っていて下さい」
渋るネイサンだが、アナスタシアが念を押すと、不安そうな表情のまま両手で盾を持ち上げた。
そこに向けて、アナスタシアは魔力を流した拳を叩き付ける。
重々しい音が響き、盾を持ったままネイサンが吹き飛ばされていく。
「……え?」
マシューとローザが間の抜けた声を漏らす。
壁に叩き付けられたネイサンは唖然としながら、崩れ落ちたまま座り込んでいる。
ネイサンの持っていた鉄の盾は真っ二つに割れていた。
「思い込みで勝手に決めつけて、見くびっているからこうなりますのよ。これで、盾がなかったら、どうなっているかおわかりですわよね」
レジーナの言葉に、ネイサンは顔面を蒼白にしながら、無言で頷いていた。






