131.不吉な予感
ちょうど魔術学院が休みの日にメレディスの予定を空けることができたので、アナスタシアとブラントはそれぞれパメラとメレディスを連れて、マルガリテスへとやって来た。
「ここが……マルガリテス……」
メレディスとパメラは、草も生えていない荒涼とした地と崩れた廃墟を、唖然と眺めて立ち尽くす。
かつての美しい地を知っている二人には、衝撃が強いのだろう。
何も言えずに、目を見開いて固まるだけだ。
「うっ……」
目の前の惨状に耐えきれず、パメラが嗚咽をこらえようと口元に手をあてながら、俯いた。
乾いた地面に、涙がこぼれ落ちる。
「パメラ……」
メレディスは痛ましそうにパメラ見つめ、そっと肩を抱き寄せる。
しかし、メレディス自身もやりきれないような顔をしていて、現在のマルガリテスの状態に心を痛めているのは間違いない。
「……建物はまた建てればよい。花もまた植えればよい。いずれ、再び美しさを取り戻す日が来る」
自らにも言い聞かせるようにメレディスが囁くと、パメラは何度も頷く。
アナスタシアとブラントは何もかける言葉が見つからず、ただ二人をじっと見守る。
すると、やがてパメラが涙を拭いて、顔を上げた。
「アナスタシア王女殿下、ブラントさま。マルガリテスを取り戻して下さって、本当に感謝いたします。この地を再び踏むことができたことに勝る喜びはありません」
パメラはアナスタシアとブラントに向かって、深々と頭を下げる。
「私からも感謝する。こうも早くこの地に来られたこと、まるで夢でも見ているかのようだ」
パメラを支えたまま、メレディスも礼を述べる。
「……やっとペイトンの墓も建ててやれる。あの辺りが広場のあったところだろうか……すると、あの道が……」
「ああ……噴水の面影らしきものがありますわ……」
廃墟となった街を眺めながら、それでもメレディスとパメラはかつての姿を重ね合わせているようだった。
懐かしそうに二人は遠くを眺める。
「もしよろしければ、お二人で歩いてきてはいかがですか? この周辺には生き物の気配がありませんし、何かあればすぐにわかるので大丈夫ですよ」
ブラントがそう促すと、メレディスとパメラは頷いて二人で歩いて行った。
すでにブラントがマルガリテス全体に薄く結界を張っている。力ある者の侵入を防げるほどではないが、何かが触れれば気づくだろう。
やがてメレディスとパメラの姿は遠ざかり、アナスタシアとブラントは二人残される。
「……ここが、俺たちの領地になるんだよね」
「そうですね……何だか、あまり実感がないですけれど……」
荒れ果てた地を眺めながら、アナスタシアとブラントは呟く。
「俺もあまり実感はないけれど……でも、やっぱり綺麗にしてあげたいな」
「このままだとかわいそうですものね。湖だけは綺麗ですけれど……」
神龍が眠るという湖は、あの日の荒れた様子とは打って変わって静まり返り、穏やかに凪いでいた。
水は透き通っていて、湖面がキラキラと光を反射している。
「そうだ、ふと思ったんだけれど、勇者ってどんな人だったんだろう?」
「え……?」
突然のブラントの疑問に、アナスタシアは言葉を失う。
勇者といえば、アナスタシアを恋人だと言っておきながら、利用して呪いを受けさせ、間接的に死に至らしめた相手である。
今回の人生での目標は、全て勇者から逃げるためのものだ。
前回の人生の最期で会ったときのことを思い出すだけで、怒りと屈辱、そして恐怖がわき上がってくる。
何故、ブラントがその名を持ち出したのだろうと、アナスタシアは疑問と不安に覆い尽くされてしまう。
「セレスティア聖王国は天人と勇者が始祖だよね。でも、天人セレスティアはおじいさまの妹だっていうこともあってかよく話に出てくるけれど、勇者のほうは全然聞かないなと思って」
「あ……勇者ジュードのことですね……」
アナスタシアはほっと胸を撫で下ろす。
ブラントが言っていたのは勇者シンではなく、セレスティア聖王国の始祖である勇者ジュードのことだったのだ。
そういえば、この時点で勇者シンはまだ現れていない。ブラントが知っているはずがないのだと、アナスタシアは自らの早とちりに苦笑する。
「彼については、天人セレスティアに聖剣を与えられた勇者となっていますけれど、天人セレスティアの影に隠れて記録が少ないみたいです。出自もわからず、ただ遠い異国の出身とだけで……」
説明しながら、そういえば勇者シンも出自が不明だったことを思い出す。
本人も多くを語らず、ただ遠い異国の出身としか言わなかった。
顔立ちも周辺国ではあまり見かけないものだったが、別の大陸からやってきたという行商人が同系統の顔立ちで、おそらく別大陸の出身なのだろうと思ったことがあった。
「そうなんだ。やっぱり天人のほうが印象が強いのかな」
「天人教なんていうのもあるくらいですからね」
天人を崇める教団というのも世の中には存在するのだ。
しかも騎士団を有し、結構な勢力になっているものもある。
かつて勇者のパーティーメンバーの一人だった聖騎士も、もともとは天人教の騎士団に所属していた。
ベラドンナ以上にアナスタシアを目の敵にしてきて、紛い物や出来損ないなど、蔑みの言葉を散々浴びせられたものだ。
「ああ……そういえば、そんなのがあったよね。天人の血を引く、セレスティア聖王国の王家から分離独立したとかいうやつ」
「それ、セレスティア聖王国としては認めていないんですよね。王家の血を引く、どこかの貴族家の出身者がいるとか何とからしいですけれど。昔はいざこざがあったと聞きますが、今は放置になっています」
ため息を漏らしながら、アナスタシアは答える。
教団には自称セレスティア聖王国の王家の血を引く一族がいて、勇者のパーティーメンバーの一人である聖騎士もその一員だった。
天人の血を引くことを誇りにしているようで、本当にセレスティア王家の直系であるアナスタシアは邪魔者として散々虐げられたものだ。
「じゃあ自称なんだ。でも……天人なんていっても、階段から転げ落ちたり、馬車に跳ねられて轢かれるような人なのにね。崇めている連中に見せてやりたいよ」
「まあ、それは……でも、いざというときは威厳がありますし、強いですから……」
げんなりした様子のブラントに、アナスタシアは苦笑する。
前回の人生では威厳のある姿しか見たことがなかった魔王エリシオンだが、今回の人生ではそういった姿のほうが珍しい。
今回は魔物の大発生が魔王によるものではないとわかり、おそらくその原因だったであろうギエルの件も解決した。
勇者が現れる要因は、潰したはずだ。
予測が正しければ、もう二度と勇者にも聖騎士にも会わずにすむだろう。
それなのに、アナスタシアは背筋にぞくぞくと冷たいものがせり上がってくるようだった。
「アナスタシアさん……どうかしたの?」
「えっと……湖からの風がちょっと冷たくなってきて……」
心配そうに問いかけられ、アナスタシアは言い訳をした。
湖からの風が冷たいのは嘘ではない。きっと、背筋が冷たくなったのも寒さのせいだろうと、アナスタシアは自らに言い聞かせる。
すると、ブラントはアナスタシアの肩を抱き寄せた。
触れた部分から温もりが伝わり、それ以上にドキドキとしてしまって、寒さなど吹き飛んでしまう。
アナスタシアは気恥ずかしさに、俯いた。
「あ……芽が……」
すると、足下に小さな芽がわずかに顔をのぞかせているのが見えた。
不毛の地に見えたマルガリテスにも、新たな命が自然に芽吹いているのだ。
大変なことがあっても、乗り越えていくことはできる。アナスタシアはそう思いながら、ブラントに身を寄せた。






