127.嵐の後
慌てて、アナスタシアとブラントは湖の近くに向かって駆け出した。
エリシオンは地面に横たわり、先ほどまで出ていた翼も引っ込んでいる。
先にたどり着いたブラントが助け起こすが、エリシオンはぐったりとしたまま動かない。
「おじいさま、大丈夫ですか……?」
ブラントが声をかけると、エリシオンは目をうっすらと開いた。
「どうにか……魔王の務めを果たすことができた……儂はもう力尽きたが……儂の代で途絶えさせることなく、次代に……ブラント、頼んだぞ……」
かすれた声でそう言うと、エリシオンはがくりと力を失う。
「おじいさま!?」
焦った声を出し、ブラントはエリシオンを揺さぶるが、反応はない。
ややあって、揺さぶるのをやめたブラントは愕然とした表情で、エリシオンを見つめる。
「せっかく会えたのに……最初は魔王と聞いて受け入れられずにいたけれど……でも……おじいさま……」
涙をこらえながら呟くブラントの元に、やっとアナスタシアが追いついた。
「ブラント先輩……とても言いにくいんですけれど……」
どうしたものかと思いつつ、アナスタシアは気後れしながら口を開く。
「魔力切れで意識を失っただけですよ」
「……え?」
唖然とするブラントをよそに、アナスタシアはエリシオンに手を触れて、魔力の回復を早める治癒術をかける。
安静状態で触れ続けている必要があるが、残り少ないアナスタシアの魔力でも可能なほど、消費魔力は少ない。
やがて、エリシオンは目を開けた。
「おじいさま!?」
「……大きな声を出すでない……頭に響く……」
ブラントの叫び声に目をすがめながら、エリシオンは小声で呟く。そして、気だるそうに頭を押さえながら、身を起こした。
「力尽きたって……死んだんじゃないんですか?」
「勝手に殺すな。魔力が尽きただけだ」
「ええ……たかが魔力切れ……」
呆れかえった顔をしながら、ブラントはがっくりと肩を落とす。
心配して損をしたとでも言いたげだ。
「たかがとは何だ。儂は魔王になってから魔力切れなぞ初めてだ。魔王が魔力切れになるなど、通常はあり得ぬような重大ごとだぞ。それに、ひ孫の顔を見るまで死ねるか」
「……頼むって、それか……」
やたらと堂々としたエリシオンの態度に、ブラントは頭を抱えながら呻く。
「もっとも、途中まではもう駄目だと思っていたがな。だが、瘴気が晴れて力が出せるようになり、どうにか抑え込むことができた。瘴気を浄化したのは、そなたたちか?」
「そうだ、アナスタシアさんが何かやっていたよね。ひたすら魔物を倒していたみたいだったけれど、あれは何だったんだろう?」
エリシオンが問いかけると、ブラントも気を取り直したようだった。
そのときはブラントもギエルと戦っている最中で、詳しく説明しているような余裕はなかったのだ。
「ええと……ダンジョンを生成しまして」
「ダンジョンを生成?」
アナスタシアが答えると、エリシオンとブラントは同時に疑問の声をあげた。
そこで、アナスタシアはダンジョンを生成しますかと声が響いたことから、ダンジョンという名の囲いができて魔物が発生したこと、そして魔物が打ち止めになったことまで、説明する。
「……まさか、一人でダンジョン生成ができるほどとは思わなかった。通常は、ダンジョンの主となる者の希望を聞いて、儂がダンジョン生成を行うのだが。どのようなものを作ったのだ?」
エリシオンから問いかけられ、アナスタシアは顔が引きつるのを感じる。
あのようなみすぼらしいダンジョンを見せてもよいのだろうかと思ったが、見せないわけにもいかないだろう。
仕方なく、アナスタシアは案内する。
「これはまた、随分と簡素なものを……だが、魔物部屋とは考えたな。倒すのに十分な力量の持ち主さえいれば、素早い浄化ができる」
単なる煉瓦に囲まれただけのそれを見て、エリシオンはわずかに目を見開いたものの、けなすようなことはしなかった。
むしろ、感心したように頷いている。
「このまま設置しておくのも手かもしれぬが……さすがに場所は変えたほうがよかろう。いったん、戻すぞ」
そう言ってエリシオンが、囲いの中に浮かぶダンジョンコアに手をかざすと、煉瓦の囲いが吸い込まれるように消えていく。
やがて、ぼんやりと薄い灰色になったダンジョンコアと、大量に転がる魔石が残された。
エリシオンは落下するダンジョンコアを受け止めると、それをアナスタシアに渡してくる。
「もうこれはそなたのものだ。ダンジョンコアは儂しか作れず、時間がかかる。それは予備として持っていたものだ。次に新しくできたら、今度はブラントにやろう」
「え……このダンジョンコアをどうすれば……」
「俺にも……?」
エリシオンの言葉に、アナスタシアとブラントは戸惑う。
今は瘴気を浄化するために役立ったが、それ以外でどう使ってよいものか、アナスタシアにはわからない。
おそらく、ブラントも同様だろう。
「もともと、ダンジョンコアは魔族が成人と認められた際に与えられ、瘴気の循環を担う役割を果たすことになっていたのだ。いわば、成人の証だな。もっとも今は、親や祖父母のダンジョンコアをそのまま引き継ぐ者もいるが」
どうやらダンジョンコアを与えられるのは、一人前になったことの証らしい。
ということは、アナスタシアとブラントを一人前だと認めたということなのだろうか。
「ここに来る前、儂はいざという時のためにそなたたちも来いと言った。それは実のところ、もし神龍が目覚めたときに安全な場所に逃がすため、手元に置いておきたかったからだ」
言外に、当てにしていたわけではないとエリシオン。
「だが、もしそなたたちがいなければ、儂だけでは神龍を抑えきれなかっただろう。そなたたちを見くびっていたこと、詫びねばならぬ。そして、魔王として礼を言う」
優雅な仕草で、エリシオンは頭を下げる。
まさか魔王がそのような姿を見せるとは思わず、アナスタシアはあっけにとられて立ち尽くす。
ブラントも呆然としているようだ。
「ダンジョンコアだが、難しく考えることはない。訓練場にしたり、魔石や素材の採取場にしたりといった使い方も可能だ。それに、すぐ何かする必要もない。何かしたいことができるまで、取っておくがよい」






