125.ダンジョン生成
突然の声に、アナスタシアはびくりと身をすくませる。
以前、図書室の隠し部屋に初めて入ったとき、聞こえてきた声と似ているようだ。
戦っている二人の様子を窺ってみるが、特に変化は見当たらない。
どうやらこの声はアナスタシアにしか聞こえていないようだ。
ダンジョンを生成するとはどういうことだろうと疑問を覚えたところで、アナスタシアはダンジョンが瘴気の浄化装置でもあることを思い出す。
もしかしたら、ダンジョンを作り出せば瘴気を浄化することができるのではないだろうか。
瘴気がなくなれば、エリシオンは全力を出せるようになるだろう。
それに、神龍が目覚める条件のひとつが瘴気のようなので、今からでも浄化すれば目覚めを食い止める手助けになるかもしれない。
「はい……!」
どうせ現状では打開策などないのだ。
賭けてみるしかないと、アナスタシアは声に答える。
(ダンジョンの種類を指定して下さい)
無機質な声はさらに尋ねてくる。
ダンジョンの種類とはいったい何だろうか。
前回の人生の記憶を探れば、ダンジョンは洞窟型や建物型、あるいは森や谷といった場所のこともあった。
そういったことを言っているのだろうか。
「ええと……瘴気を多く浄化できるものは何でしょうか?」
わからないので、アナスタシアは尋ねてみることにした。
アナスタシアはダンジョンを運営したいわけではない。
とにかく、瘴気を浄化したいだけなのだ。
(魔物部屋を指定しますか?)
質問に対して質問が返ってきたが、これが答えなのだろう。
確か、ダンジョンコアは瘴気を魔物に変換するものだった。
それならば、魔物が多く出てくるほうが瘴気の浄化に役立つだろう。
魔物部屋というのが何かはわからなかったが、いかにもそれらしい名であることは確かだ。
「……はい」
迷っているような余裕はないので、アナスタシアは頷く。
(外観の設定を指定して下さい)
質問はさらに続く。
外観など、アナスタシアにとってはどうでもよい。
それよりも、早くダンジョンを生成してほしいのだ。
「早くできるものでお願いします! 何でもいいので、とにかく早いもので!」
いつまで続くのだと焦燥感に駆られながら、アナスタシアは叫ぶ。
(設定を省略し、簡易魔物部屋ダンジョンを生成します。設定は後から変更可能です。しばらくそのままでお待ち下さい)
アナスタシアの願いが通じたようで、どうやらダンジョン生成が始まったらしい。
ダンジョンコアが強い光を放ち始め、アナスタシアから魔力が吸われていく。
しかも、その場から動けなくなってしまい、アナスタシアは焦る。
もし魔王並みの魔力量を必要とするのなら、途中で魔力切れになるだろう。
せっかく希望が見えたのに、それも儚い光だったのかと悔しさに苛まれる。
しかし、予想に反して実際に吸われる魔力は微々たるものだった。
ダンジョン生成に魔力を必要とするわけではなく、ダンジョンの主としての認証用なのかもしれない。
よほど時間がかからない限り、魔力切れになることはないだろう。
むしろ、それくらい時間がかかるのならば、先に神龍が目覚めそうだ。
「なっ……何だと……まさか、ダンジョンの生成……? あれは魔王さましかできないはずでは……」
そこに、ダンジョンコアが放つ光に気づいたらしいギエルの、愕然とした声が響く。
「いったい何者……いや、そんなことよりも早く止めるべきか……!」
ギエルがアナスタシアに狙いを定め、魔術で黒い刃を放ってくる。
アナスタシアは動けず、わずかずつとはいえ魔力を吸われて魔術も扱えない。
先ほど張った障壁は、ダンジョンの生成が始まったときに途切れている。
為す術がない状態だったが、アナスタシアはさほど心配していなかった。
予想どおり、黒い刃は障壁に阻まれて消えていく。
ブラントがアナスタシアに障壁を張ったのだ。
「お前の相手は俺だ! アナスタシアさんに攻撃などさせない!」
無数の光の刃がギエルに向かって放たれ、ブラントからアナスタシアに狙いを変更したギエルは防ぎきれない。
全身を切り刻まれるギエルだが、硬質な皮膚は表面が傷ついただけのようだ。
血液のようなものも流れることなく、大したダメージはないように見える。
「半端な混ざり物とはいっても、さすがに魔王さまの血を引くだけのことはあるというわけですか。とにかく頑丈な魔物を選んだというのに、傷をつけるとは……」
ギエルは苛立たしげに呟く。
「しかし、神龍が目覚めるまでしのぐことができれば、私の勝ちです。その小娘が何をしようと、時間が経ちさえすればいいのです」
まるで自らに言い聞かせるようでもあったギエルの言葉だが、アナスタシアは神龍らしき強い力が、波のようにうねっているのを感じる。
今のところエリシオンが抑え込んでいるようだが、一進一退のようだ。
確かに、これではいずれ抑えきれなくなってしまうだろう。
「その前に、お前を倒す……!」
ブラントはギエルを睨みつけると、次の瞬間には姿を消した。
そしてギエルの正面に転移して、魔力を乗せた蹴りを放つ。
学院対抗戦の決勝で見せた技だ。
だが、アナスタシアとは違って、ギエルは突然の奇襲に対応できず、蹴りをまともに受ける。
勢いに弾き飛ばされ、地面に転がったギエルは腹の部分が抉れていたが、それでも立ち上がった。
「この……!」
怒りを露わにするギエルだが、腹が抉れていながら、苦痛を感じている様子は窺えなかった。
もしかしたら痛覚が鈍いのか、ないのかもしれない。
見ている限りでは、ブラントのほうが力量は上だ。
だが、ギエルは硬くてなかなか決定的なダメージを与えられずにいる。
一定時間をしのぐというのならば、むしろギエルのほうが有利かもしれない。
そうしている間に、アナスタシアの周辺には囲いのようなものができていた。
広さは一般的な闘技場ほどで、そこを煉瓦らしきものが正方形に取り囲んでいる。
煉瓦の高さはアナスタシアの膝までもない。簡単に踏み越えられそうだ。
何もないところからできていくとは不思議なものだが、おそらくまだまだかかるのだろう。
「……っ!?」
そのとき、強い力が跳ねるのを感じて、アナスタシアは小さく呻く。
これまでエリシオンが保っていた、ひとつの壁が破られたのだ。
とうとうそのときが来てしまったのかと、アナスタシアは背筋が凍り付く。
だが、先ほどまでよりも力は強くなったものの、小さくなったり大きくなったりを繰り返している。
まだ目覚めてはいないようだと少しだけ安堵したものの、次の段階に進んでしまったのは間違いないだろう。
ギエルはまだ倒しきれず、ダンジョンもこのみすぼらしい様子を見れば、まだまだ時間が必要になるはずだ。
このままではまずいと焦りを覚えるが、アナスタシアには何もできない。
(ダンジョンの生成が完了しました)
そこに無機質な声が響く。
アナスタシアは信じられない思いで、煉瓦でただ囲っただけにしか見えない、準備中の花壇だろうかといった周辺の光景を眺める。
まさかこれがダンジョンなのかと、アナスタシアは安堵よりも疑問のほうが強く浮かんできた。






