123.本当の切り札
「……っ!?」
思わず、アナスタシアとブラントは目を見開き、言葉にならない呻きを漏らす。
ギエルの翼が完全にちぎれたと同時に、エリシオンとギエルが爆発に包まれたのだ。
それも、通常の魔術ではありえないほどの威力だった。
範囲は狭く、エリシオンとギエルにしか届かないくらいだったが、その分効果が凝縮されているようだ。
アナスタシアとブラントには爆風が届いた程度だが、もしアナスタシアがまともに受けてしまえば、一瞬で消し炭になっていただろう。
いくら魔王エリシオンでも無事ではいられないのではと、アナスタシアの背筋を冷たいものが伝っていく。
「……やっぱり、翼を引きちぎりましたね。そうくると思って、連動させておいたのですよ。いくら魔王さまといえども、ダンジョンコアの爆発を受けてただではすまないでしょう?」
苦しげながらも、満足そうなギエルの声が響く。
自分で引き起こした爆発だったためか、ギエルは影響を受けていないようだ。
もっとも、片翼が無残に千切りとられた姿に変わりはないので、今の状態が無事と言い切れるわけではない。
爆発により舞い上がった煙が収まってくると、立ったままのエリシオンの姿が見えてきた。
「ダンジョンコアか……なるほどな。一度きりしか使えぬとはいえ、面白い使い方だ」
煙の中より現れたエリシオンの額から、赤い血が伝う。
エリシオンは不快そうに、額を手の甲で拭った。
「儂に傷を負わせたことは褒めてやろう。血を流したのは随分と久しぶりだ。だが、この程度のかすり傷で儂は死なぬぞ」
平然としながら、エリシオンは口を開く。
ところどころに血が滲んでいるようだったが、大した量ではない。
立つ姿にも不安定なところはなく、本当にかすり傷程度のようだ。
前回の人生で戦ったときよりも、今のエリシオンのほうが頑丈なようで、アナスタシアは唖然とする。
「……本当の切り札は、これからですよ」
しかし、ギエルは苦痛に顔を歪めながらも、口元に笑みを浮かべる。
次の瞬間、少し離れた場所で爆発音がいくつも響きだした。
さらに、黒い翼がある以外は人間と変わらない容貌だったギエルが、硬質な皮膚に覆われていく。残った片翼も鋼のような質感に変化する。
もともと黒かった目は、白い部分も全てが黒く染まる。
ややあって、ギエルはまるで鋼鉄の人形のような姿に変貌してしまった。
「己の身を魔物と化したのか……」
眉根を寄せながら、エリシオンが呟く。
鋼鉄のような魔物となったギエルは、ゆっくりと立ち上がった。
「本当は瘴気だけで弱らせて、殺すことができればよかったのですけれどね。それがうまくいく可能性は、さほど高くないと思っていました。あれほど効果がないのは予想外でしたがね」
ややひび割れた、硬質な声が響く。
「瘴気で弱らせきれなかった場合、反撃されて一瞬で殺されてしまうのが、最も恐れたことでした。でも、イリスティア姫のことを持ち出せば、必ず魔王さまはそう簡単に殺して下さらないと思っていましたよ。間違いなく翼を引きちぎるはずと思い、仕組んでいたのです」
表情は動かず、声にも感情の波は感じられなかったが、それでもどことなく愉悦が滲んでいる。
「この地に満ちた瘴気、ダンジョンコアの破壊、そして魔王さまの血と憎悪、私自身の苦痛まで、全てが準備された贄です」
ギエルの言葉と共に、地響きが鳴った。
その途端、とてつもない力のうねりが感じられ、アナスタシアは目の前が真っ暗になって、奈落に突き落とされたような恐怖に襲われる。
足が震えて、力が入らない。
「アナスタシアさん……!」
その場に崩れ落ちそうになるアナスタシアを、ブラントが支えた。
「あ……」
ブラントの手によって、アナスタシアは現実に引き戻される。
頭の中を覆いつくしていた恐怖が、徐々に薄れていく。
「だ……大丈夫です……ごめんなさい」
深呼吸をして心を落ち着かせると、アナスタシアはブラントにつかまりながら体勢を立て直し、自らの足で大地を踏みしめる。
だが、依然として恐ろしい力が存在しているのが感じられた。
これほどの恐怖を受けたことは、前回の人生における最後の戦いでもなかった。
あってはならない力が、目覚めようとしている。
「ああ……やはり私は、間違っていなかった。聞こえますか? 神龍が目覚めようとしている音が」
地響きが鳴り続ける中、硬質ながらも弾んだギエルの声が響く。
「……してやられたか」
苛立たしげなエリシオンの呟きが、ギエルの言葉が真実であることを示していた。
アナスタシアは再び恐怖に襲われ、足の力が抜けていく。
だが、寄り添ったままのブラントに支えられていたこともあって、どうにか持ちこたえた。
神龍は一度目覚めてしまえば、浄化という名の破壊を行い、大陸を焦土と化すという。
あのエリシオンでさえ止められないと言っていたのだ。
それならば、もはや打つ手があるとは思えない。
このまま大陸の全ての国が滅んでいくのを、何の手立てもなく許してしまうことしかできないのだろうか。
アナスタシアは恐怖と絶望に苛まれながら、強大な力が伝わってくる方向を呆然と見つめた。






