109.絡みつく蛇
「ぶ……部外者!? こうも簡単に部外者が入ってくるなんて、どうなっていますの!? もう、わけがわかりませんわ!」
イゾルフの姿を見て、レジーナが混乱したように叫ぶ。
学院祭のときにレジーナもイゾルフの姿は見ているはずだが、記憶から抜け落ちているようだ。
もっとも、イゾルフは三十程度の長身の痩せ型男性で、それ以外にこれといった特徴はない。記憶には残りにくいかもしれない。
しかも、レジーナにしてみれば、足りない皿を持ってきた手伝いの女性を、突然アナスタシアが追いかけて叩きのめしていたのだ。
何が起こっているかわからないのは、当然だろう。
「いや、私はここの卒業生なんで、ちょっとの手続きで入ってくることができるんですよ。部外者とは違うというか……」
少し困ったようにイゾルフが答える。
「イゾルフさん……?」
「え……姫さまが名前を憶えて下さっているとは……光栄です」
突然現れたイゾルフに戸惑いながら、アナスタシアが名前を呟くと、イゾルフは驚きと感動を露わにする。
前回の人生では格闘術を教わった相手なので、名前を覚えているのは当然だ。
奇妙な気分になるアナスタシアだが、よく考えてみれば今回の人生ではさほど接点がなく、彼が名乗ったのも一度きりなので、驚くのも無理はないかもしれない。
「エドヴィン殿下の使いで来たのですけれど……すでに事が起こったというか、終わったというか。とにかく、姫さまにお話ししたいことがありまして……場所を移動してもよろしいでしょうか?」
イゾルフの言葉に、アナスタシアは頷く。
他の生徒たちに囲まれる前に移動したいのは、アナスタシアも同じことだ。
倒れているベラドンナは、イゾルフが担ぎ上げた。
「レナ、ちょっと行ってくるね。後で説明するから……」
「え……ええ……お気をつけて……」
アナスタシアがレジーナに声をかけると、レジーナはやや不安そうに見送る。
ただ事ではないと思ったのか、何も尋ねてくることはなかった。
「学院内の会議室を借りてあります。三年首席……ブラントさんにも声をかけますか?」
「はい……って、あれ? ブラント先輩?」
イゾルフの問いに頷いたところで、アナスタシアはブラントが走って来ることに気づく。
「アナスタシアさん、大丈夫!?」
急いでやって来たブラントは、口を開くなりそう言った。
それからイゾルフが担いでいるベラドンナを見て、顔をしかめる。
「私は大丈夫です。これは麻痺しているので、当分動けないはずです。でも……よくわかりましたね」
「ああ……その腕輪、危険を察知したら俺のところにも知らせが来るんだよ。この時間なら食堂か、教室に向かうところだろうから、こっちに来てみたんだ。何があったの?」
歩きながら、アナスタシアは食堂であったことを説明する。
先日から来ているらしい手伝いの女性が、皿を一品忘れたと言って持ってきたところ、腕輪が危険を感知したので、取り押さえたのだ。
変装しているが、先日レジーナとホイルに声をかけて、アナスタシアのことを探っていた女性だとも話す。
「……よくわかったね。あのとき少し見ただけなのに」
「ええ……まあ……ちょっと印象深かったので……」
「ああ……そうだったね……」
前回の人生での記憶だとは言えず、アナスタシアは言葉を濁す。
だが、ブラントはアナスタシアをいじめていた相手に似ているといった話を思い出したらしく、苦い表情を浮かべてそれ以上は何も言わなかった。
そうしているうちに、イゾルフに案内されて会議室に到着する。
中に入ると、イゾルフは床にベラドンナを下ろし、【聴覚阻害】を周辺に張り巡らせた。
「ええと……どうやら、前から動きがあったようで……出遅れてしまって申し訳ありません」
気まずそうにイゾルフが口を開く。
「やっぱり、私を狙ったのはジグヴァルド帝国の誰かの仕業ということでしょうか」
「はい……エドヴィン殿下がマルガリテス返還を訴え、おおむねその方向に動いていたのです。しかし、異を唱える貴族たちがいました。どいつも後ろ暗いところのある連中ばかりです」
アナスタシアの問いに、イゾルフは眉根を寄せながら頷く。
「マルガリテスなど閉鎖されて久しく、彼らも表面上は関わりがありません。しかし、強固に反対して……エドヴィン殿下はもしかしたら姫さまにも危害が及ぶかもしれないと考え、私を遣わしたのですが……」
そう言って、イゾルフは床に置かれたベラドンナを見下ろす。
「すでに、事は起こっていたというわけで。おそらく、彼らが雇った暗殺者でしょう。こうして生け捕りにして下さったおかげで、色々と聞き出すことができそうです」
イゾルフから冷淡な眼差しを向けられ、ベラドンナは瞳に怯えを滲ませる。
だが、同時に諦めも混じり、何かを覚悟したようでもあった。
「……ちょっと待ってください」
アナスタシアは大切なことを思い出し、イゾルフを制止する。
不思議そうな顔をしながらもイゾルフは素直に従い、アナスタシアの様子を窺う。
アナスタシアはまだ麻痺したまま横たわるベラドンナの元に屈みこむと、上半身の服を脱がせ始めた。
「姫さま……?」
「アナスタシアさん……?」
イゾルフとブラントの混乱した声が響く。
「あ……少し、向こうを見ていてもらえますか?」
いちおうベラドンナは女性で、イゾルフとブラントは男性だ。
配慮が足りなかったと反省しながら、アナスタシアは二人に声をかける。
戸惑いながらも二人は従い、アナスタシアとベラドンナに背を向けた。
だが、一番混乱しているのはベラドンナのようだ。
まさかそういう趣味があるのかと言わんばかりの驚愕に満ちた眼差しを向けられ、アナスタシアは苦笑する。
早く終わらせてしまおうと、ベラドンナの上半身の服を剥ぎ取り、下着姿にする。
そこには、小柄な体に見合わぬ豊満な胸があり、その谷間から左の乳房にかけて蛇の刺青が絡まりついていた。
「絡みつく蛇……やっぱりあった」
ぼそりとアナスタシアは呟く。
この蛇はただの刺青ではない。情報を漏らすなど、組織を裏切る行動をしたとき、心臓に食いついて息の根を止める、呪いの蛇なのだ。
前回の人生では、この蛇を消すために、治癒術に優れた聖騎士の力を借りた。
だが、今のアナスタシアならば呪いを解除できるはずだ。
アナスタシアはベラドンナの胸の上に手をかざすと、術式を編み上げる。
すると、絡みついていた蛇が瘴気となって蒸発していく。
やがて蛇は跡形もなくなり、白い肌だけが残される。
無事に呪いが解除できたことを確認し、アナスタシアはほっと息をつく。
「これで、簡単に死ぬようなことはなくなりましたよ」
にっこりと笑うアナスタシアを、ベラドンナが絶望をたたえた瞳で見つめてきた。






