106.おじいさま
国王メレディスとの面会を終え、アナスタシアとブラントは図書室の隠し部屋に戻ってきた。
「アナスタシアさんを狙ったのは、ジグヴァルド帝国の関係者っていう可能性が高いのかな。あの短剣がマルガリテスで失われたものというのなら、攻め込んだジグヴァルド帝国の誰かが拾ったというのが、一番考えられるだろうし」
「そうですね。マルガリテス返還に反対している人がいるのかもしれません」
答えながら、アナスタシアは犯人がジグヴァルド帝国の関係者であることをほぼ確信していた。
短剣のことだけではなく、ベラドンナが現れたこともある。
本来、ベラドンナのことは知り得るはずがないことだ。
しかし、前回の人生の記憶から、アナスタシアはベラドンナがジグヴァルド帝国の後ろ暗い組織にいたことを知っている。
「もしかしたら、まだ狙われているのかもしれない。学院内にはそう簡単に入ってくることができないだろうけれど、念のために一人では行動しないようにね」
そう言って、ブラントは寮までアナスタシアを送ってくれる。
周囲の女子生徒たちの視線を浴びながら、アナスタシアは自室に戻った。
ブラントはもしかしたらとは言っていたが、アナスタシアはまだ狙われていることを確信していた。
きっと、ベラドンナが何か仕掛けてくるはずだ。
気を抜かないようにしようと、アナスタシアは片方の拳をもう片方の手のひらに打ち付けた。
それから翌日、翌々日と、アナスタシアは学院と寮の行き来を繰り返すだけで、ベラドンナの姿を見かけることはなかった。
そして魔王エリシオンから指定された日となり、アナスタシアとブラントは放課後に図書室の隠し部屋で会う。
「……何だか、ちょっと不安なんだよね。いや、魔王なんだし、腕を疑っているわけじゃないんだけれど……」
歯切れ悪く、ブラントが呟く。
「確かに、何かやらかしているんじゃないかと、不安にはなりますね……」
アナスタシアも苦笑しながら頷く。
階段から転げ落ちたり、馬車に跳ねられたりと、エリシオンにはかなり抜けたところがあり、不安になってしまう気持ちはよく理解できた。
少しの不安を抱えながら、二人は魔王城に与えられた部屋に転移する。
すると、素朴な木彫りの人形が部屋の入口に置かれていた。
アナスタシアの腰ほどまである大きさで、何だろうと思っていると、人形が動き出す。
一瞬、ぎょっとしたが、人形は部屋の扉を開けると、振り返る。
どうやら、アナスタシアとブラントを待っているようだ。
「……ついてこいっていうことかな」
「そうですね……魔王の結界内ですし、おかしなものではないでしょう」
古代魔術に、自動人形を作り出すものがあったはずだ。
魔王ならばそれくらいできるだろうと思い、アナスタシアとブラントは人形の後をついていく。
奥に進んでいき、階段を下ると、やがてひとつの部屋に案内される。
「来たか。この部屋を研究室として準備しておいた。材料もふんだんに用意したので、遠慮なく使うがよい」
すると、魔王エリシオンが待ち構えていた。
魔術障壁が張られ、強度も高められた部屋だ。
しかも、エリシオンの指し示す先にはいくつもの棚があり、貴重な材料がびっしりと収められていた。
竜の血に竜の牙、白銀狼の毛皮など、そうそう手に入らないものがごろごろしている。
「……凄いですね」
アナスタシアは呆然としながら、呟く。
もしこれらを売ったとすれば、小国のひとつやふたつ買えるのではないだろうかと、少し気が遠くなっていくようだ。
「この際、儂の知っていることは全て教えてやろうと思ってな。儂も少し勘を取り戻さねばと思い、自動人形も久々に作ってみた」
エリシオンは楽しそうに語る。
張り切っているのがわかり、アナスタシアは微笑ましい気持ちになる。
孫であるブラントのことが可愛いのだろう。
「さて、魔道具作りはほとんど経験がないのだったな。ならば、まずは練習用の簡単なものから作ってみるがよい」
そう言って、エリシオンは基礎から教えてくれた。
ブラントと一緒にアナスタシアも教えてもらう。
とりあえず殴ってから考えるタイプのエリシオンだったが、意外なことに教え方は丁寧でわかりやすかった。
新しい知識を得ることが楽しく、アナスタシアは夢中になっているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。
「……そろそろ、今日は終わりにしよう。夕食を用意させたので、食べていくがよい」
いつの間にか、すっかり夜になっていた。
魔道具作りはいったん終了として、エリシオンに案内されて食堂に向かう。
すると、そこでは自動人形たちが料理を並べていた。
どうやら料理もできる自動人形があるようだ。
料理は焼いた肉やオムレツ、野菜炒めや果物を切ったものなど、シンプルなものばかりだった。
だが、口にしてみると、これまで食べたことがないような味で、どれも味わい深く、後を引くものだった。
あっさりとした味付けが、素材そのものを引き立てている。
「これは何の肉ですか?」
「ドラゴンだな。昨日狩ってきたばかりだ。そちらは不死鳥の卵、黄金マンドラゴラ、世界樹の実……」
エリシオンの口から出るのは、伝説と呼ばれるような素材ばかりだった。
しかも、エリシオン自ら集めてきたらしい。
王侯貴族が権力と財力をつぎ込んでも、これだけのものを並べるのは無理だろう。
それをエリシオンは孫が来るからと、いそいそと準備してしまったのだ。
アナスタシアとブラントはあっけにとられ、何も言えなかった。
「……口に合わぬか?」
「い……いえ、貴重すぎてびっくりしただけです。美味しいです……!」
「こんな凄いものを食べたのは初めてです……!」
心配そうにエリシオンが尋ねてきて、アナスタシアとブラントは慌てて否定する。
すると、エリシオンはほっとしたようだった。
食事を終えると、アナスタシアとブラントは学院に戻ることにする。
来る前は少し不安もあったが、立派に整えられた研究室に素材、丁寧な教え方、さらには貴重な食材を使った夕食までと、至れり尽くせりだった。
「また明日、続きを教えてやろう。気を付けて戻るがよい」
「はい、ありがとうございます」
「はい……」
エリシオンの見送りに、アナスタシアは礼を述べる。
だが、ブラントは口ごもり、何か迷っているようだった。
「……ありがとうございます、おじいさま」
ややあって、少し照れくさそうにしながら、ブラントが口を開く。
「うむ、気を付けてな」
それを聞いたエリシオンは嬉しそうに目を細め、優しい声で頷いた。






