#062b エオスブルク城内襲撃事件
朝方。エオスブルク城のとある廊下にラルフはいた。もうひとりの『人物』とともに。
人物が投げかけた言葉に、ラルフは応えた。
「……承知した。約束は約束だ、二言はない」ラルフは背をむける。
「ただし、俺がよいとするまで姿を現さないでくれ。……万全な状況で仕留めたい」
――
――
「アレク、宰相が殺された」
城内で鉢合わせをしたラルフさんが、はじめに告げた言葉はそれだった。
「えっ……宰相ってまさか」
部屋で話をしたあの人物が、殺された――
突然の事で理解が追いつかない。となりにいるセニアも同じく動揺の色を浮かべていた。
頷いたラルフは続ける。
「うむ、死体で見つかった。夜明けまえに巡回の兵が中庭でな……。殺害時期はおそらく深夜ごろだ」
宰相の笑みが脳裏に浮かんだ。たしかあのとき、衛兵団にいる不満分子を抑えてほしいとラルフさんに話していた。
もしや、彼らが……、
しかし、
「いま『一部の過激な衛兵が殺した』とか考えたな小僧。まったく、顔に出ているぞ」ラルフはため息を混じらせた。
「死人は宰相以外にもいる。第二共同寝所、そこにいた衛兵九人も全員殺された。王に不満をもつ兵も、従った兵たちもまとめてだ」
寝所は中庭に面しており、宰相はその中庭で倒れていた。寝所の事件を目撃した宰相が何者かに口を封じられた、という可能性が城にて持ち上がる。そのうえ朝になるまで誰ひとり事件に気付けなかった事も不気味だった。
重い口調で語ったラルフは急に、僕たちじっとをみつめた。そうして「城内はいま殺気立っている。みなの邪魔をせぬように」と言葉を締めた。たしかに途中で見かけた兵たちは表情が固かった気がする。
――城内で十人が殺された。恐ろしいと同時に、不安がよぎる。話の流れから察するに犯人はいまだ捕まっていないのだ。
「すまんがふたりとも、俺はいまから集会室で話し合いがあってな、鍛錬は昼過ぎになりそうだ。ちょうど階下に庭付きの吹き抜けがある。少し待たすがそこで休んでいてくれ」
穏やかに目を細めたラルフは、僕たちのまえから足早に去っていった。
石造りの階段をおりると、そこは小さな庭園だった。七月も中頃で、陽差しに照らされた草花がまぶしく輝いている。庭を囲う吹き抜けの柱回廊は涼しい日陰。ここなら快適に待てそうだ。
セニアとともに庭と回廊をつなぐ白い階段に腰をかけた。僕たちのほかに誰もいない静かな場所。待つあいだ、頬をなでる風が心地よかった。
ふたりで庭を眺めるうちに、口をひらいたのはセニアだった。
「アレク。さっきの事件のこと、へんに思わない?」
「どういうこと」
「エオスブルク城の警備は厳重なはず。わたしたちミラージュは、長いあいだ城内調査を諦めるしかなかった。ここに座っていられるのはあなたのおかげだもの」セニアは視線を庭園にもどした。
「なのにだれにも見つからず、騒がれることなく十人も殺した。そしてひとりは場所さえ離れてる。犯人は城内の人物かもしくは……いいえ、内部でも外部でも、抗う隙もなく彼らを殺害できる人物よ」
十人を反撃の隙なく殺せる者――
尋常ではない能力をもつ城外の存在を、僕たちは知っていた。
まさか、
「オメガチーム……!」
肯定の返事をして、セニアは続けた。
「わたしは『彼ら』が犯人だと思ってる。もし彼らが寝所内にピンポイントで出現する能力を持つなら、あとはその場にいる兵たちを殺すだけ。……一分も掛からないでしょうね」
ミラージュのダイブイン行為は、ボイドノイドが意識を向けていない地点から行なう必要がある。これまで特異点に向かうために移動する必要があったり、城内に直接出現する事ができない理由はこれだ。
もしセニアの考えが事実としたなら、
彼らオメガチームは前触れもなく、いつでも、どこからでもミラージュを襲える。
「ねえ、アレク」彼女が語る声はやさしくて、だがそこには強い芯があった。
「わたしは、あなたを守り抜く。これからどんな敵が来ようと、絶対に負けない」
「セニア……」
それは決意だ。圧倒的な力をもつ、勝てるかも定かでない相手から僕を守るという、強い意思。
――でも。
「それは違うよ、セニア」
「えっ、」
振り向くセニアに、僕は言った。
「いまの僕は以前の僕とは違う。だから、煙札で衛兵から逃げたり、きみに囮をやってもらうことはもうしない。僕は自分の手できみを守りたいんだ」
まだ半人前だけれど、いまの僕には剣術がある。魔術剣ならば札術と併用もできる。僕はセニアの助けに、力になりたい。
……いいや、そんな考えは方便だ。
彼女の琥珀色の瞳をみつめた。
僕は、ずっとうやむやに過ごしてきた。言葉にせず、雰囲気で互いに察し合う――そんな関係がいつしか長く続いていた。
けど、もう終わりにする。
セニアに、彼女に、僕の気持ちを伝えたいから。
僕の表情に何かを察したのか、セニアは大きな目をさらに見開き、一気に頬を赤らめはじめる。
「セニア。僕は、きみのことが、」
「――待たせたなふたりとも」
背後からラルフさんがやってきた。
「どわっ!」
「どうしたアレク、いきなり仰け反って。さあ行くぞ」
先ほどの会話は彼に聞こえていなかったようだ。
ホッとするような、少し恨めしいような。色々な気分がないまぜになりつつ、僕たちはラルフさんのあとをついていった。
――
――
鍛錬をおこなう『共同部屋』。ラルフさんから魔術剣――『札術増幅剣』を受けとり、いつもの鍛錬がはじまった。
魔術能力を持たない鍛錬用のロングソートを振るうラルフさんと、魔術札を咬ませていない増幅剣で受け止める僕。どちらも魔術なし、純粋な真剣同士の模擬戦だ。けれど怖いという感情は鍛錬を受けるうちに、とうに失せていた。
少ない鍛錬日数のなかで、体力や筋力、判断力は激しい模擬戦のみで培い、残る基本的な技能は自らの生活圏内で鍛える――
思い返すと案外理にかなっているような……いや、こんな乱暴な鍛錬法で上達する人間はきっと限られるはず。
だとしたら、こんな鍛錬法で一人前になったひと――彼の一番弟子さんはどんな人物だろう。
たしか当時は僕と近い年齢だったとか。
「おい、目の前の剣に集中しろ!」
ロングソードが視界の左斜めから迫ってきた。
「……っ!」
剣をなんとか動かしぎりぎりの位置で刃を受け止めた。金属の鋭利な音が鳴る。
離れたところで様子をみていたセニアの、息を吸い込む声が聞こえた。
「……ではもう一度仕切りなおす。始めろ」
「は、はい」
だめだ、鍛錬に集中しないと。剣の柄を握りなおす。
ふたたび交わる剣と剣。
鍛錬は続く、そう思っていた。
だが、
衣服の布が裂ける音がした――
「ぐっ!」
攻勢を突然やめたラルフは、左腕をかばう仕草をしていた。腕からは、赤いものが――
えっ……。
「ら、ラルフさん!!」
急いで駆け寄る。ひらいた傷口をみて間違いない。増幅剣がラルフさんの左腕、つまり利き腕を斬ってしまっていた。
僕は、何てことを。
「ごめんなさい! いま治療札をもってきます」
街の英雄の腕に、しかも僕の手で怪我をさせてしまった。萎縮するような気持ちと共に、治療札を使える事が救いだった。
「……いっ! はは、これはやられたな」
痛がるラルフさんを横目に、もってきた腰巻のバッグをひらいた。破れた袖を広げ、傷口付近の洗浄と消毒を別の魔術札で済ます。そういえば初めてラルフさんと出会ったときも同じ事をしていたっけ。ただしあれは右腕で、怪我を負わせたのはセニアだが。
すこし懐かしい気分になりながら、傷口に治療札をあてがう。
札はすぐさま霧散し、ぱっくり割れていたはずの傷口は綺麗に塞がった。もうどこに傷があったかさえ分らない。
「よかった。本当にすみませんでしたラルフさん。念のためすこし休みましょう」
心のなかでほっと胸をなでおろす。
だが当のラルフ本人は、表情を曇らせている。独りごとを呟きながら。
「……もう良い頃合いだろう。ちょうど良い、万全な状況だ」
急に立ち上がったラルフ。見下ろすその目は鋭い。
「え、ラルフさん? ……うわっ!」
治った左腕で、後方に思い切り吹き飛ばされた。天と地が回りつつも、二度目の回転で足を床につき、なんとか転がりを防ぐ。しかも頭のそばに増幅剣が落ちてくる。もう少しで刺さりかねない場所だ。
めまいを感じるなか、心配そうな表情でセニアが駆けつけてくれた。
離れてしまった戦士の男をみる。
「いきなり何するんですかラルフさん。痛いですよ!」
しかし彼の、ある変化に気がついた。
もつ武器が、ちがう。
模擬用の剣ではなく、彼が実戦に使う大剣――『紅炎の剣』。
「すでに燃料は充填済みだ。いつでも放てる」
黒い瞳には柔和なものが一切消えていた。
それはまるで、敵意。
「……どういうこと、ですか」
口の端をつり上げ、くたびれた黒髪の男は言う。
冷淡に、しかし怒気を込めたような口ぶりで。
「まだわからんか小僧。それから黒魔術団の娘よ。あの襲撃事件は、お前たちの仕業だな」
――貴様らを、この場で仕留めてやる。
◇関連話◇
鍛錬
(二章#050b 鍛錬)
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(二章#052b 視察)
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札術増幅剣
(二章#051b 魔術札のカラクリ)
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ラルフの一番弟子について
(二章#047b 戦士ラルフ)
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アレクが初めてラルフと出会ったとき
(一章#08a 暁の戦士)
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