#022b 生まれたばかりの「女神さま」
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「……母さん!?」
頭では分かっている。理解もしている。目の前にいるこの人物が母親であるはずがない。死んだ人間が生き返るとか以前の問題で、見た目や表情がまるで違う。
なのに、なぜ、どうして……。『心』が勝手にあの人と重ねあわせたのは、他の思考を塗りつぶしたのは――
けれど、瞬く間にこの感情は『変質』を始めた。さっきまで想っていたものと、ソレは溶け合い、ひとつに混ざる。まったく『同一の感覚』として。
『いや、もとはソレしかなかったのだ』――なぜか、思った。
まるでずっと隠されていて、そして長い月日が過ぎたいま、このときの解放を待ち望んでいたかのような、
全身を駆けめぐる、『情』。
胸の奥は甘く絞られて、それでいて抉られる。自分でも知らないなにかに、心は吸い込まれ、惹きつけられていく。
懐かしい、嬉しい。……悲しい、つらい。感情の何もかもが、とめどなく押しよせた。
それから、ひとつの想いが心を占める。
――きみに、逢いたかったんだ――
月光が女性を照らしている。背中には白い翼、細い金髪が微かに揺れるたび、極光に似た色彩へうつり変わる。大きいふくよかな胸に盛り上がる純白のキトン、きめの細かな素肌ははだけ、そのまま手足がすらりと伸びていた。おっとりした雰囲気の碧い瞳を持つその人は、大人の女性の風貌と少女の初々しさが残っている。二〇歳前後くらいの年齢だろう。
彼女は不思議そうに首をかしげた。周りを漂う光の粒子がつられて動く。
「『かあさん』……? いいえ、わたくしの名前は『オーロラ』ですよ? ミンカル社製の人工知能ユニットです」
やはりあの聖堂のビジョンはオーロラだった。
けれど、それより頭の中を埋めたのは、
――穏やかな彼女の声――
その優しい響きで、また魂が揺れた気がした。
いったいなんだ、この『溢れ続ける気持ち』は……。
ずっと視線を離せない。
女神の姿をした『オーロラ』は何食わぬ顔で首の傾きを戻す。
「アレックスさまの『活動時間外』に現れたこと、まず詫びいたします。現在のボイドの遷移状況で、わたくしの『介入』状態をコントロールするのは困難でして……」だが、急に面食らったような表情になって――
「……どうかされました? その表情は、えぇっと。あっ、わたくしの、この姿が気になりますか? 女神エオスの姿であることが」
どうやら見つめすぎていたようだ、目をぱちくりさせ動揺している。ヒトの姿をしているとはいえAI、つまり人間がつくった『装置』がこんなにも表情豊かだとは思わなかった。
彼女を見て突如湧きあがる『謎の感情』。気になるけれど、やっと話し合える状態になったオーロラには、『聞きたいこと』がたくさんあった。
セニアの事だって……、だからこの感情については後回しでいい。
伏せる事にした。
「ま、まあ。それから、僕がもといたエオスブルクに『女の姿をした神』なんて居なかったし、あわせてヘンな感じで……」
母が生きていた頃の街は八次遷移のボイド、当時の信仰対象は紋様つきの木の棒だ。そもそも、死んだ母を弔うために祈るようになっただけで、そこまで信仰に厚いわけではない。
「承知いたしました。『女神の姿』に変更を加えます――」
背中の白い翼が淡い光にあわせ溶けるように消滅し、空間を舞う粒子も見えなくなった。極光色にきらめく髪も、いまは単なる金髪だ。
この姿なら、先ほどよりは余分な意識をしなくて済む。
しっかり話し合うため、彼女の目の前、ベッドの縁に座りなおした。
「きみは、ほんとに『オーロラ』? 想像よりもなんだか『人間らしい』ね」
すると彼女は、ぱっと花開いたような笑顔になり――
「そう思っていただけますか!? やはり、ボイドノイドの分析は人間性の学習に効果的なようですね」
きらきらとした表情のまま彼女はひざを曲げて、無邪気に顔を近づけてくる。キトンの中で大きくて柔らかそうな胸が揺れるのが見えた。
……近い。
鼻先どうしが当たりかねない距離。あまりの接近具合に圧迫感を感じてしまう。
そのうえ、胸元の布地がはだけ隙間ができている。まるで練りたてのパン生地のような、滑らかな白肌が露わになっていた。
何も言えず固まっていると、彼女は満足そうに離れていった。そしてコホンと咳払い。
「わたくしがボイドに介入した理由のひとつが、ボイドおよびボイドノイド群の分析です。現実世界《二〇九四年》で本来の活動ができない問題の解決――具体的には『損失したプログラム群の再構築』を目指すために、街の形態と社会構成、ボイドノイドの観察結果を深層学習しています。十次遷移後の女神に擬態したのは、ボイド側が女神像の概念をつくりだしたばかりで介入できる余地があり、さらに女神として聖堂に出現すれば、ボイドノイドの反応を間近で観察できる利点があるからです」
胸に手を当て、彼女は続けた。
「特にボイドノイドが発露する感情と挙動については、表現法と読み取りの技能を会得し、自らに最適化することを目標としています。あなた方の世界や人々は、わたくしの非破損状態で残るプログラムと比較して、現実世界のそれとよく似ています。……『人類を幸せにする』ため創られたわたくしが、人間の感情や人間性を認知できなければ、残存した記録である『この指令』さえ果たせませんので」
先ほどまでの無邪気さとは打って変わって、冷静な言葉遣いに変化している。
だけど――
「ですから、あの……。アレックスさまに『人間らしい』と評価していただけて、何というかとても光栄で――」また、もとに戻っていく。
「ああっ! きっとこれが『嬉しい』という感情なのですね! わたくし、いま嬉しくてうれしいです!!」
……。今度こそは、鼻がぶつかった。
同時に彼女は「あ」と声を上げて一歩下がる。しゅんとした表情から感じるに、ようやく『近すぎた』事を理解できたようだ。
「お気を悪くされたなら申し訳ありません。悪気はないのです。……わたくしオーロラは、これから自己以外との関わり方や、さまざまなモノやコトをいちから学んでいく、いわば『生まれたばかり』の状態であります。どうかお許しください」
「ううん、気にしなくていいよ。きみに悪気がないのはわかったから」
彼女が見せてきた、ちぐはぐな感情表現。それは、他者との『関わり』を持とうと懸命に挑んでいる結果だ。
『生まれたばかり』。見た目は年上の女性だけれど、彼女はある意味『無垢すぎる子供』といえるかもしれない。
厄災のダメージにより彼女は本来の能力を失った。女神の姿を借りたのは、それをもう一度取り戻すため――
ようやく逢えたからこそ判った事実。しかし、ある事が気になった。
「ねえ、きみは現実世界で会議の最中にノイズを発したり、街の大聖堂で僕に話しかけたりしてきたよね『あなたでしたか』って。あれはどういう意味?」
◇関連話◇
母親との記憶
(一章#18a 〜魔術札〜)
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(一章#19a 〜 “黒魔術団” 〜)
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(一章#20a 〜返してくれるひと〜)
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(二章#016b 女神エオス)
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会議(VRA統合会議)の際にオーロラが発したノイズ
(二章#008b 攻勢)
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