【06】釘をさす
当初こちらの話を軽いざまぁのつもりで書いていましたが、ザマァの定義に当てはまらないかも?となりまして、急遽タグからざまぁを取り外しました。軽いものでも楽しみにされていた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
ローゼマリー、エドワードらと共にとあるパーティーに参加したジェイコブは、ふと体温が上がるのを感じた。飲んだ酒のせいか、いつもよりフラフラするような気持ちになった。
「ジェイコブ様。大丈夫でございますか?」
心配げにこちらを見上げてくるローゼマリーに、ジェイコブはニコリとほほ笑む。
「問題ありません。ただ、少しだけ風にあたってくる事にいたします。……エドワード叔父上、少しだけローゼマリーをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだとも」
エドワードにローゼマリーを託す。ともに行った方が良いのでは、という顔をしているローゼマリーだったが、今の社交界で一番に騒がれている二人が揃えば、自然と人が集まってくる。
そんな人込みから抜けて、ジェイコブはバルコニーに出た。人のいないバルコニーにいる時は、ともに入ってくるのがパートナーでもない限り、簡単には誰かが来る事はない。
「きもちぃー」
小さな声で、夜風の冷たさに、安堵の息を吐く。
「ジェイコブ」
「……ロドニー? 来てたのか」
「ああ。ここの主催は、僕の出資者の一人だからな」
「そうだったのか」
ロドニーの出資者の輪は広まっているらしい。それだけ、彼の研究が注目されているという事だろう。
正装に身を包んだロドニーは、ジェイコブに水の入った透明のグラスを差し出してきた。
「わざわざ中心から離れるから何かと思ったぞ。ローゼマリー嬢を、放置して良いのか?」
「エドワード叔父上がいるから滅多な事にはならないさ」
「そうか? エドワード叔父上だぞ」
「うん、まあ、大丈夫だ」
幼いころは、ロドニーとまとめてエドワードに振り回された時期もあった。幼い頃に彼に付いて行った結果、研究一筋の叔父は甥子たちが付いてきているのを忘れて駆けまわり、幼い脚では簡単に置いて行かれて迷子になったりしたものだ。エドワードも集中してしまったといっても、我に返った時には甥たちを迎えに来てくれていたが……しっかりしているかどうかという点では、あまり信頼はおけない気持ちになるのは、近い身としては致し方ない事だろう。
「だが、昔よりはマシだよ。パーティー中には考え事をしないようにしているらしい。何か思いついたらパーティー会場を抜け出すだろうから、だそうだ」
「それは安心出来るのか本当に」
「信頼するしかあるまい。一応、叔父上だぞ。それに、靑栄伯の代わりはオレとて務められん」
「それはそうだな」
ロドニーの差し出した水を受け取る。グラスを口元に近づけながら、ジェイコブは従兄弟を見た。
「そういえばロドニー。一部でオレが女漁りをしていた、なんて噂が出ているらしい。知っているか?」
「いや、知らないな。そんな噂が出てるのか? 真実なのか」
「そんな訳あるか。まだごく一部でだけ囁かれている噂らしいんだが、色々な女性をオレが抱いていて、中には子供が出来たケースもあるらしい」
「それは……エルウィズ家の汚点になるだろう。ローゼマリー嬢の耳に入る前になんとかしないと問題じゃないか」
「ああ、全くだよ。本当に。…………本当に、エルウィズ家の恥でしかないから、私生児をむやみやたら作っては面倒を見ないで放置をするのはやめてくれないか、ロドニー」
「……は?」
ロドニーは目を丸くして、ジェイコブの顔を見た。
「な、なにを言うんだ、急に。そんな噂も一緒に回ってるのか?」
「事実だろう」
「き、決めつけるなよ! おい! 噂が全て真実だとしたら、お前の流れてるらしい噂だって事実って事になるぞ。子供は作ってないにしろ、令嬢たちと遊んでたんじゃないか? 一切関係ない噂が簡単に立つはずがないだろう! あれだけ、婚約者がブサイクなんて言われていたら、そういう事してたっておかしくないって皆言ってるし! それに」
「サイムズ夫人」
「っ――!」
「あと、テスター嬢もか」
ハク、ハク、とロドニーは口を開け閉めする。けれど何も言葉が出てこないらしい。
どうして。
そんな顔で自分を見てくる従兄弟に、ジェイコブは笑顔を向けた。ビクリとロドニーが怯えるように肩を跳ねさせる。
「たったあれっぽっちの額を握らせて、すべて丸く収めたつもりなんて、随分目算が甘いんじゃないか? オレだって、子供を育てていくには全然足りない額だと分かるぞ」
「ち、違う」
「何がだ? お前が自分の名声に集まってきた女性に手を出しまくった挙句数人との間に私生児を作った上にまともな手切れ金すら用意せずに終わらせたつもりになっている事がか?」
息継ぎもなく畳みかけるように語ってやれば、ロドニーの顔色は真っ青になっていた。
「オレに関する女遊びの噂が、やたらと具体的な理由が、実体験をそのまま流しているからだと分かった時は、マア恥ずかしくって仕方がなかったよ」
ふう、とグラスを揺らしながらジェイコブは冷めた目を従兄弟に向けた。従兄弟は震えるばかりで、否定や言い訳の言葉すらなかった。
(ああ、こんな簡単に黙るのか――)
もっと早くに、ジェイコブが彼への対応を諦める事なく詰めていれば、ロドニーは今のようにはならなかったのだろうか。意味のない仮定を心の中で浮かべながら、ジェイコブは「ロドニー」と従兄弟の名を呼んだ。
「あの二人はこちらで誠心誠意謝った上でお金を包んで、同意してもらったから大丈夫だぞ」
僅かにロドニーが緊張を解いて顔に色が戻った所で、
「もし他に心当たりがあるのなら、早めにアーサー叔父上に話しておけよ」
とジェイコブは続けた。
自分が外で遊んだ結果が実父に知られていると理解して、また顔色が悪くなっていく。
「ち、父上たち、も?」
「知っている。当たり前だろう? 子供を作った事への賠償にかかる金なんて大金を、オレが一人で動かせるはずがないだろうが」
「あ、ぅ、ぁっ」
「そんな被害者みたいな顔で絶望するなよ」
ギュッと唇をかみしめる従兄弟の目の前に立った。幼いころはロドニーの方が高くて、見下ろされる事が多かった。いつからか、身長は逆転し、今はガタガタと震えるロドニーを見下ろしている。
「そんな怯えるなよ。オレたちは従兄弟同士じゃないか。……とはいえ、ローゼマリーに関して要らぬ事ばかりしてくれた事については、腹に据えかねてる所も多くてな」
「……!」
「二度と、オレに喧嘩を売るような事をしてくれるなよ。当然だが、ローゼマリーにも手を出すな。アーサー叔父上の名誉を汚すような真似もな。そうしてくれたら――」
少し背を曲げる。
ロドニーの耳元で、万が一にも誰にも聞かれないように、ひそめた声でジェイコブは言った。
「お前が発表した研究が、エドワード叔父上のものだった事、誰にも言わないでいてやるよ」
ドンッとジェイコブの胸元が押された。「おっとっと」とたたらを踏んで後ろに下がる。片手に持っていた水のグラスの中身の大半が、こぼれて石に吸われていった。
ロドニーの顔は、靑を通り越して白くなっていた。
「なんで……」
集中していなければ聞き逃したような、小さな声だった。ジェイコブはニコリと、笑った。
「お前がエドワード叔父上の研究室に入っていたように、オレだってエドワード叔父上の下にはよく遊びに行ってたんだ。気付くに決まってるだろう? もちろん、作ったご本人は自分の研究を覚えていると思うぞ」
ロドニーは弾かれたように走りだした。バルコニーから会場内へ。そこからさらに走って、きっと、大急ぎで今日のパーティーから帰るのだろう。
何をどうするなんて当てがある訳でもなく。
「あーあ。こりゃ飲めないな」
ほぼほぼ残っていない水のグラスは、会場内を歩いていたボーイに返却した。
「家に帰るよりも先に、エドワード叔父上と話すべきだと思うがな」
そうすれば、少なくともエドワードの方にはロドニーを訴える気など更々ないと知れただろう。
◆
――ロドニーがあの研究を発表した時、ジェイコブはすぐにエドワードが以前していた研究の一つを思い出した。
エドワードは今でこそ新しい染料を作る事に熱中しているが、若いころは多方面にあれこれと手を伸ばしていたのだ。その時期に彼がしていた実験の一つと、あまりに酷似していた。
あまりに似ていて、もしやと、その時不在だったエドワードの研究室を探索したら、古い研究ノートはすぐに見つかった。その中身は殆どがロドニーが発表した研究結果と同じで――ロドニーが、エドワード叔父上の研究を盗んだのだと、すぐに分かった。
これが発覚したら大問題だ。そう思い、すぐにエドワードに連絡したジェイコブだったが、エドワードの返答は予想外だった。
「すごいなロドニー、あのノートをちゃんと読めたのか!」
激怒してしかるべきだろうに、むしろエドワードはロドニーの事を褒めていた。
その時にジェイコブは、この叔父が「興味があるもの」以外に無頓着に近い事を思い出した。かつて一時期熱中していたとはいえ、今はすでに興味がない過去の研究への独占欲は、少しもなかったのだ。
そのうえ、「半端に放置していたのに理解して完成させたなんて、凄い凄い!」とロドニーの事を心の底から褒めていた。
当人がこんな反応なのでジェイコブは訴える事はしなかったが……通常、誰かから研究を引き継ぐのであれば、そういう部分もしっかり記載しなくてはならない所を、ロドニーはすべて自分のものにしてしまっている。
エドワードはあの性格だ。放置されている飽きた研究を引き継ぎたいと正面切って相談すれば、きっと手放しで喜んで資料もなんなら助言もしてくれたろうに、きっとロドニーは何かしらの欲が出て、すべてを自分のものとしてしまったのだろう。
証言以外であの研究がエドワードが始めたものだと証明出来るのは、エドワードの残した資料だけだ。すでにその資料は、エドワードが自ら処分してしまっている。
だからロドニーやジェイコブ、エドワードが誰かに漏らさない限り、ロドニーが研究の発端から中盤以降まで全て盗作して行っていたなんて、誰にも分からないのだ。
◆
落ち着いてエドワードあたりに話を聞きに行けばいいが、あの様子ではエドワードに尋ねるなんてロドニーには出来ないだろう。
自分が過去にした後ろ指をさされる行為がいつの日か暴露されるのではと怯えながら、暫くの間過ごす事となるだろう。
そうして震えて、少しは自分の行為を反省すれば良いとジェイコブは思った。
エドワードは研究をもっていかれた事はもう過去の事で、解決したと思っているので、叔父の方から甥に真実を教えてやる事はないだろう。
とはいえ、一生を縛る気はない。面倒だし。
しばらくロドニーが問題も起こさず良い子でいれば、その内真実を――ロドニーが自分で誰かに漏らさない限りは表に出る事はないのだと――教えてやるつもりはある。ただ、ジェイコブがロドニーに振り回されていら立ったり迷惑をこうむった分ぐらいは、暫く放置する気でいる。
会場内に戻れば、すぐにローゼマリーが気が付いてくれた。ほほ笑みを浮かべてくれる婚約者を叔父から受け取るために、ジェイコブは大股で近づいて行った。




