【04】従兄弟に見せつける
それから。
ローゼマリーがとんでもない美人だという話はあっという間に領地内に広まったが、ローゼマリーが屋敷の外に出る事は殆どなく、領地外にはあまり広がる事はなかった。そも、先に広まっている噂の方が現状強いので、実物でも見ない限り噂をひっくり返すのは難しいだろう。
どちらにせよ、ローゼマリーがペデュール王国に越してきてから二か月後に、噂を払拭する機会が予定されていた。
婚約のお披露目もかねて、王都でのパーティーにいくつか参加する事になっていたのだ。
その内の一つは、王家主催の大規模なものである。
シャーリーブルーの生産者であるエルウィズ伯爵家が呼ばれていないはずもなく――けれど領地を完全に空にする事は出来ないので、今回は伯爵代理としてジェイコブと、その婚約者であるローゼマリーが参加する事が決まっていた。
普段は、伯爵夫妻が赴いて、ジェイコブが留守を守っていた。なので普段とは逆になるということだ。
だがローゼマリーにとっては、ペデュール王国にきて初めての社交になる。ジェイコブと二人きりでは不安が残る。
そのため、今回のパーティーには叔父であるエドワードも参加する事が決まっている。
もう数年ペデュール社交界に出ていない叔父を引きずり出すのには、もちろん理由がある。エドワードはシャーリーブルーを作った事で、エルウィズ家と独立して、彼個人に爵位が与えられているのだ。
その名も、靑栄伯。
この爵位は極めて特殊なもので、王国で素晴らしい功績を遺したと認められたものだけが、当人だけの爵位として与えられるものだ。
その性質上、この名を名乗れる者がいない時期が長く続く事もあれば、何人もの靑栄伯が存在する事もある。もともと高位貴族のものが栄誉職として引き継げるようなものでもなく、持っていたとしても子や孫は同じ名を名乗れない。
実質的権力を持つ訳ではないが、名誉としては最高位のものであるし、周囲も軽んじる事が出来ないものだ。
そんな名誉ある肩書を持ち、未だに王族や高位貴族を魅了しているシャーリーブルーの生みの親であるエドワードが後ろ盾にあるとなれば、ローゼマリーに下手な事を言える者は殆どいないだろう。
叔父であるエドワードは社交に興味を示さず普段滅多に参加しない男であるが、別に出来ない訳ではない。やりたくない事をしていない我儘なだけである。
今回は、ローゼマリーの為にも参加してもらう。その手はずは整えているし、約束も取り付けている。
流石の叔父も、
「うん、行くとも。行くとも行くとも」
と、殆ど二つ返事で頷いていた。
叔父からすればローゼマリーはシャーリーブルーを作るための研究の最大の協力者の娘なので、手伝うのは当然の事なのだろう。
◆
ローゼマリーがエルウィズ家にやってきてから二か月が経った。
彼女は伯爵夫人の元でエルウィズ家の女主人の仕事を様々に学んでいる。
伯爵夫人は二か月経ってもローゼマリーの美しさになれないらしく、定期的にローゼマリーの美しさに目がやられる。美人は数日で飽きるなんて話もあるが、何日経っても慣れないらしい。
彼女は夜な夜な伯爵の元で「今日も緊張したわ」などと愚痴をこぼしているらしい。下手に言い返せば「貴方は直接ローゼマリーと殆ど話していないではないの!」などと怒り出すので、伯爵はひたすら聞く事に徹しているとかいないとか。
ローゼマリーは確かに大人しい女性であったが、勉強家で、みるみるうちにペデュール語を流暢に話す事が出来るようになった。もともと、筆記でのペデュール語は手紙でのやり取りをするうちに上達していたので、会話もうまくなれば、意思の疎通で大きく困る事はない。
未だに引っかかる事と言えば、ペデュール、ジュラエル特有の概念の翻訳ぐらいだろう。それも、双方にある程度造詣が深いエドワードがいるので大きな問題にはなっていない。
ついにジェイコブとローゼマリーの二人は王都に向かう日となった。
王都にあるエルウィズ家の邸宅には、ジェイコブから見てもうひとりの叔父一家――従兄弟ロドニーとその両親が暮らしている。
エルウィズ家の、王都での窓口となってくれているのだ。
(正直、ローゼマリーをロドニーにあまり会わせたくはないが……従兄弟である以上、それも難しいしな)
ロドニーからは、ローゼマリーがペデュールに到着して少しした日数の頃に、一度手紙が来ている。あまりに下品で誰にも見せずにビリビリに破いて捨てた。内容を要約すれば、「どれくらいブサイクだった?」というものだった。
返信も特に送っていない。
おそらくロドニーは返信が書けない程のブサイクが来たのだと思い込んでいる事だろう。
(父上とアーサー叔父上の仲が悪ければアーサー叔父上ごと切り捨てられたが……ロドニーはともかく、アーサー叔父上は我が家の家業の事を考えれば安易に切り捨てられない人だ。オレが我慢するしかないよな)
もう、このことについて考えるのは何度目になるのか、さっぱり分からない。
ロドニーの言動は失礼だ。失礼は失礼だが、身内の甘えがあるとかなんとか言い訳を立てられたら、「小さい事で目くじらを立てるジェイコブの方が狭量だ」という流れに持っていかれる可能性も皆無ではないので、黙るしかなかった。
そんな事を考えながら、荷物の積み込みなどが終わった馬車の所に近づいて……人が足りない事に気が付く。
「ん? 父上。エドワード叔父上は?」
「…………今、探している」
「え」
腕を組んだ伯爵の額に、軽く青筋が立っていた。ジェイコブも、ヒクリと頬をひきつらせた。日程を思えば多少出立時間が遅くなっても別に問題はないのであるが、探している――姿が全く見えないとなると、少し話が変わる。
「一体どこに……!」
「分からん! 昨夜帰ってくるはずが、戻ってこなかったらしい! 見つかるまで出立はしない。ローゼマリー嬢は、ジュディスと共に談話室で時間を潰してもらっている」
「叔父上ぇ!」
あの自由人! とジェイコブは頭を掻きむしりたくなった。あとでローゼマリーと長時間過ごすので、完璧に整えたストレートをぐちゃぐちゃにする事が出来ないのだが。
苛々しながら待つ事、一時間ほど。エルウィズ家の下で働いている職人がエドワードを見つけた連絡をした事で、エドワードは使用人たちに引きずられるようにして屋敷に帰ってきた。
「え、出立って今日でしたっけ? 明日では?」
と、ドロドロの恰好で言うエドワードに、伯爵は「馬鹿者が! この大馬鹿を今すぐ風呂に投げ入れろ!」と怒鳴り、ジェイコブは「着替えを用意しておけ、最短で出立準備をさせてくれ!」と叫ぶ事になった。
そんな訳で。予定していた時間から二時間以上おくれて、ジェイコブたちは領地を出立する事となったのだ。
「ローゼマリー。すまない、叔父上が迷惑を……」
「全く気にしておりませんわ。エドワードおじ様は、集中するといつも日付を忘れてしまわれますものね」
「すまないジェイコブ、ローゼマリー嬢。忘れてはいなかったんだよ。覚えていたとも。大事な事だから。……その、今日が何日か失念してしまっていたが」
「最後が一番重要でしょう!」
これが悪びれない態度なら怒りも増幅するのだが、本当に申し訳なさげに肩をすくめて縮こまるのだ。自分よりずっと年上の男が。
そんな姿を見ていたら、いつまでも怒り続ける事も出来ない。一番迷惑をこうむっただろうローゼマリーが全く気にしていないのだから、余計にである。
「頼みますから。王都ではローゼマリーをしっかりと助けてくださいよ」
「もちろんだとも!」
◆
ジェイコブが王都に来るのも、久しぶりの事である。
王都までは数日かかったが、ジュラエル王国からもっと長い日程で旅をしてきたからか、ローゼマリーは平気な様子であった。むしろ、初めて見る景色に楽しんでいるようで、良かったとジェイコブは胸をなでおろしたのだ。
王都のエルウィズ伯爵家の邸宅の敷地内に入り、馬車を降りる。エドワードは今回、ローゼマリーをエスコートする必要もないので、先んじて馬車を降りるとさっさと屋敷に入っていっていた。屋敷内部から、
「アーサー兄上! 義姉上! お久しぶりでございます! ああロドニー、随分と大きくなった。前はこれぐらいに小さかったというのに!」
と、彼にとってはもう一組の兄家族との再会に喜んでいる声が聞こえてきた。
「ふふ、エドワードおじ様はどなたにもあのような雰囲気なのですね」
「ええ。昔からちっとも変わりません」
その変化のなさが良くない方向に働く事もあるだろうが、今の所エルウィズ家では問題になった事はない。だからこそ、彼のあの性格が矯正される事もなく育ったのだともいえる。何かやらかせば「どうしてもっと前に直さなかった」と問題に上がっただろうが、実際の所はあの性格のお陰もあってか、シャーリーブルーを生み出す事に繋がった。おそらく、これから先もエドワードの態度をもっと紳士らしくしようと動く人間は、エルウィズ家にはいないだろう。
「……さて。ローゼマリー。先にも話したけれど」
「分かっておりますわ、ジェイコブ様」
ローゼマリーは、ジェイコブの腕に己の腕を絡ませて、ほほ笑んだ。
今から会う叔父一家をはじめ、ここから何度もローゼマリーは、「あ、あの!? 噂の!?」と驚かれる事になるだろう。下手すれば、辟易する位に。
その話は、既にローゼマリーもよくよく承知済みだ。
「一切怖くないといえば嘘になりますが……ジェイコブ様がいてくださいますから」
組んだ腕に込められる力は、彼女からの信頼の証だ。この二か月、彼女に言葉や行動で示し続けた行為が伝わったのである。その事実に胸が温かくなるのを感じながら、ジェイコブはローゼマリーをエスコートしながら、屋敷内に入っていった。
「嗚呼アーサー兄上! やっと来ましたよ。ジェイコブが連れているのがローゼマリー・カシテライト伯爵令嬢、カシテライト伯爵のご息女で、兄上の新しい義姪です」
ジェイコブは、アーサー叔父夫妻と、その息子であるロドニーの表情をよくよく観察していた。
叔父夫妻は自分の息子の嫁になる訳でもない事もあり、良くも悪くも「ローゼマリーはブサイク」という噂と距離を置いていた。なので、二人は入っていたローゼマリーの姿に驚いたように目を丸くすると同時に、ごくごく普通の美人を見て驚いた顔をしていた。
「お久しぶりです、アーサー叔父上、エミリア義叔母上。私からも紹介させてください。こちらはローゼマリー、私の婚約者です。……ローゼマリー、こちらはアーサー叔父上とエミリア義叔母上だよ」
「お初にお目にかかります。ジュラエル王国、カシテライト伯爵家が娘、ローゼマリー・カシテライトでございます」
ローゼマリーのカーテーシーには品があった。アーサー叔父夫妻はその姿に安堵したように顔をほころばせた。
「よくぞ、エルウィズ家にまいられました。アーサー・エルウィズと申します。こちらは妻のエミリア。どうか、ジェイコブをよろしくお願いいたします」
叔父アーサーにとって、ジェイコブはもう一人の息子ぐらいの気持ちなのだろう。その表情には嫉妬も羨望もなく、ただただ「甥に素晴らしい嫁が来た」と喜んでいる様子であった。
ジェイコブも笑顔を浮かべ、彼らと話す。――そして、ゆっくりと視線を、叔父夫妻の斜め後ろに向けた。
そこには、ロドニー・エルウィズがいた。
ジェイコブのたった一人の従兄弟は、明らかに顔をこわばらせて、信じられないという目でローゼマリーを凝視している。
ブサイクと噂が流れていたジェイコブの婚約者が、ペデュール人にとって最上級ともいえる美人だった。その事実は彼にあまりに大きな衝撃を与えているというのが、よく分かった。
それが、ただの驚きだけではないというのも、僅かに頬を震わせているロドニーの表情から読み取れた。瞳には、とてつもない強火で熱した水のような、触れる事が戸惑われるほどの怒りが宿っていた。
「そうだ。我々の息子も紹介させてください」
ロドニーの怒りは、自分の父が話の矛先をロドニーに向けた事で、まるで何もなかったかのように消え去っていた。彼の立場相応の、無害で従順な次期当主の従兄弟というような顔をしていた。
(相変わらず、隠すのが妙に上手い)
おそらくロドニーの表情をしっかりと見たのは、そちらに意識を向けていたジェイコブだけだ。
エドワードの立ち位置からはロドニーの顔は見えなかっただろうし、アーサー叔父夫妻はローゼマリーにばかり集中していた。ローゼマリーも、目の前のアーサー叔父夫妻に意識がいっていた。そのほか、ジェイコブ達の出迎えの為に集まっていた使用人たちも、ローゼマリーの方ばかり見ていた。
本当に、その切り替えばかりは、ジェイコブもロドニーを尊敬する。
「こちらはロドニー。我々の息子です。親の欲目もありますが、エドワードに似ておりまして、いくつか研究を発表して認められているのです」
「ロドニー・エルウィズと申します。ロドニーとお呼びください。よろしくお願いします、ローゼマリー様!」
「ロドニー様でございますね。どうぞよろしくお願いいたいします」
ローゼマリーにも、ロドニーがジェイコブに向けていると思われる嫉妬や憎悪の感情は伝えていない。それもあり、お互いの初対面は、とても穏やかなもので終わった。
――その夜、屋敷では見事に女と男に分かれて、酒を持ち出して話を咲かせる事となった。
「いやあ驚いた! あれほど…………な噂が流れていたというのに、ローゼマリー嬢はとてつもない美人ではないか!」
ロドニーはアーサーとエドワードがいるからか、あくまでも明るい調子でそんな事を言い放った。アーサーは、
「こらロドニー。悪意はないとしても、ローゼマリー嬢の耳に入ったら不愉快に思われるような事を言うんじゃない」
と息子を叱った。
「すみません、父上。でもあまりに、ほら、噂が広まっていましたから……」
「そうなのか」
「はい。若者の間では、特に」
ロドニーの言葉通り、ローゼマリーがブサイクという話は年齢が上の者より、下の者たちでとくに囁かれていた傾向にあった。
上の者の間でも噂は回っただろうが……シャーリーブルーのドレスや服飾品を手に入れたい気持ちが強い者ほど、エルウィズ家に関わる悪い噂を口にしたいとは思わないだろう。どこでその噂を語っていた事がエルウィズ家の者の耳に入り、シャーリーブルーを手に入れられなくなるか、分かったものではない。
欲しい立場でなくとも、責任感のあるものであれば、大きな声でその手の噂を話そうとはしない。家の中で語る事はあれど、外では漏らさないようにするはずだ。
そのあたり、まだ責任感の弱い若者の方が、我慢が出来ない。
自分たちの声がそこまで響いているとも思わず、色々な噂話で盛り上がるのだ。ローゼマリーの悪口を語るのは、彼女が嫁ぐエルウィズ家の悪口となり、反感を買うだろうという事にそこまで意識がいかない。エルウィズ家は確かに直接的にドレスを作っている訳ではないが、そのドレスが誰に売られるものなのか――誰から注文があって、染料を求めているのか――という部分は把握している。
王族のようなより優先度の高い客が必要としている工房や、高値を出す工房に、優先的に染料を下ろしている。
今まではしたことはないが、相手を選んで「その家に売るつもりであるなら染料は売らない」と動く事も出来る訳だ。
(そういう危機感がない人がやたら多いのだよな)
令嬢はまだ比較的、ドレス欲しさに黙る者もいたが、令息は「自分はドレスを買う訳ではない」と気軽に語っている傾向が強かった。将来的に自分の妻や娘がシャーリーブルーのドレスを強請ってくるかもしれないという未来を想定できていないのだ。
「それがあんなに美しい人だったなんて……ジェイコブ。お前、実は知っていたから黙っていたのか?」
一瞬、ロドニーの目に怒りが見えた。彼の顔をジッと見なければ分からないほどの一瞬だ。
「いいや、全く」
とジェイコブも、軽口を装う従兄弟に合わせて、軽い調子で答えた。
「オレも父上たちも、エドワード叔父上に連れられてローゼマリーがおりてきた時、心底驚いたとも。ねえ、叔父上?」
「うんうん、皆驚いて言葉を無くしてしまっていた」
エドワード叔父上がそう付け加えれば、「ジェイコブは意図的に噂を否定しないでいた」なんて事を言う事は出来ないのだろう。ロドニーはそれ以上追及してくる事はなかった。
――そこからジェイコブは、これでもかとローゼマリーの自慢をした。
見た目の美しさだけでなく、言語も文化も違うペデュールに馴染む為に、どれだけ努力をしてくれているか。どれだけ健気か。どれだけ良い人間か、と語ったのだ。
酒が入っていた事もあり、口が軽くなってしまっていた自覚がある。
二人の叔父は婚約者の惚気を語る甥をただ微笑ましく見ていた。一方、ロドニーは表面上はにこやかであったが、爪が手のひらに食い込んでいるのをジェイコブは見た。
(ざまあみろ)
と、少しだけ胸がすく思いであった。
なお、翌朝、軽い二日酔いを抱えたジェイコブは、
(やらかした……ロドニーの奴がオレじゃなくてローゼマリーを対象にやらかす可能性が抜け落ちていた……)
と一人自己嫌悪に苛まれ、ローゼマリー周りの使用人たちに、「屋敷内でも気を抜かずに彼女を守ってくれ」と通達を出した。
溺愛する婚約者を守ろうとする令息、みたいに見られたらしい。間違いではないので、否定はしなかった。




