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大地さんに似てるからじゃない

 手紙を読み終えた錦織は言葉を出す事ができなかった。「お気の毒」「かわいそう」そんな言葉で片づけられる物ではない。


 優花がどんな気持ちでこの手紙を書いたのか、錦織は考えるだけで胸に何かが突き刺さるような思いであった。自分ならこんなに落ち着いて手紙を書く事ができたのであろうか。


 錦織は便箋に向けられていた瞳を上げ絢斗の顔へ視線を移動させた。


「読み終わったのか?」


 初めて聞く絢斗の柔らかな声に錦織はうんと頷いた。


「この手紙を受け取ったその日から毎年結婚記念日には手紙を出そうと決めたんだ。婚姻届けを出した夕方の五時五十九分きっかりに船の上から投げ入れようと思ってね」


「そう……だったんですか」


「でも本当はね、五時五十九分じゃなかったんだよ。当時市役所は夕方六時で業務が終了だったんだ。俺と優花が婚姻届けを提出したのは六時を少しまわっててさ、受付の若い女性に『六時で終了しましたので明日おこし下さい』って感じ悪く言われたんだけど、定年間近くらいのおばさんがさ、『わたしの腕時計は五時五十九分だからいいですよ。おめでとうございます』って言って受け付けてくれたんだよ。だから俺と優花の中では十一月五日の五時五十九分が大切な時間なんだ」


 絢斗は遥か昔の思い出でも思い出しているかのように天を仰いだ。


「素敵なおばさんですね。お話を聞かせていただきありがとうございました」


 錦織はそう言って立ち上がった。取材として来たのであるがこの事実をおもしろ可笑しく記事にする事など錦織にはできなかった。もっといろんな話を聞いて編集長の北村に報告しなければないないが絢斗の気持ちを考えるとそんな事はできる訳もない。


 そして錦織は自分の心の変化にもうっすらと気づいていたのだ。初めは取っ付きにくい人だと思っていた。しかし愛した女性の事を話している時の絢斗は優しい表情をしていた。絢斗が大地に似ているからではない。絢斗の人柄、包んでくれそうな雰囲気、優しい目、絢斗の全てに好意を覚えてしまったのだ。これ以上この人と一緒にいてはいけない。そう思い錦織は東京へ帰ろうと決めたのだ。


「もういいのか? ならホテルまで送るよ」


 錦織は絢斗の車に乗せてもらいシートベルトを締めた。


「絢斗さん、あの……」


「どうした? まだ具合でも悪いのか?」


「そうじゃないんです。あの、わたし……明日東京へ帰ろうと思うんです」


 錦織は自分の心の変化に蓋をしたのだ。


「えっ? もう帰るのか? そっか……」


 絢斗は少しがっかりしたのかため息をつきながら俯いた。


「絢斗さん! 危ない!」


 俯いた直後、前の車がブレーキを踏み、危うく衝突するところであった。


「ふう。ごめんごめん。ついよそ見しちゃったよ。栞菜大丈夫? どこも打ってない?」


「はい。大丈夫です」


 その後お互い言葉を発する事なく錦織の泊まっているホテルの前に着いた。時刻は午後三時。街行く人たちの傘は暴風雨で役にたっていない。


「あの……さ。夜、一緒にご飯食べない? あ、いや、今日が最後だろ? だからその……この街の美味しいお店にでも連れて行こうかな、なんて……さ」


「はい。キャプテン。お供させてもらいます」





 約束の夜八時、錦織は指定された駅前の居酒屋に入り絢斗を待っていた。

 すると十分遅れで絢斗が暖簾をかき分けお店に入ってきた。


「ごめん、ごめん。待った?」


 絢斗は申し訳なさそうにそう言った。


「はい。待ちました」


「おいおい。そこは『ううん。わたしも今来たとこ』って言う場面だろ」


 お互い顔を合わせ、けらけらと笑いだした。


 その後二人は楽しく(さかずき)を交わすものの、自分の気持ちを伝える事なく別れていく。


「明日、漁があるから見送りできないけど、気を付けて帰ってね」


「はい。色々とありがとうございました」


 絢斗は運転代行を呼び自分の車の助手席に乗り込み窓を開けた。


「じゃあ」


「絢斗さん、あの……」


「どうした?」


「あ、いえ。なんでも。ご馳走さまでした」


 錦織は最後まで自分の気持ちを伝える事なく綾斗を見送った。もう二度と会う事はないだろう。そう思った瞬間、錦織の瞳から熱い物が流れでた。


「さようさら」


 錦織は小さな声でそう呟いた。


 翌日の朝、仙台駅から東京へ向かった錦織はアタッシュケースを転がしながら集講文庫のビルへと入っていった。


「おはようございます」


 錦織の大きな声を聞いた木綿は突然咲いたひまわりのように笑顔になった。


「栞菜さん! お帰りなさい」


「優樹菜ちゃん、ただいま」


 木綿に笑顔を投げ掛けた瞬間、ダミ声が聞こえてきた。


「おう、にしこり。取材はどうだった」


 編集長の北村である。錦織はきっとした表情で答えた。


「編集長、申し訳ありません。手紙の送り主へ既に亡くなっておりました。漁師だったそうですが荒れた海がへ出てしまいそのまま海へ沈んでしまったそうです。お役に立てず申し訳ございません」


「そ、そうだったのか。それならしょうがないな。出張お疲れさま。新しい企画、頑張ってくれ」


「はい」


 錦織は北村に背を向けるとぺろりと舌を出した。その姿を木綿は見逃さなかった。


「錦織さん、編集長に嘘の報告したでしょ。何処に行ってたんですか? そこで何があったんですか?」


「もう、優樹菜は感が鋭いのね。今日一緒に飲まない?」


「はーい。お供しまーす。ご馳走さまです」


「何それ。わたしのおごり決定みたいな感じだよね。まあいいけど」


 夜九時、錦織と木綿は会社から程近い居酒屋にきていた。錦織は絢斗の話ばかりしている。


「錦織さん、その人のこと好きなんじゃないですか? その絢斗さんって人の話をしてる錦織さん、超楽しそうですよ」


 錦織は生レモンサワーのジョッキを持ちながらこくりと頷いた。


「うん。好き。わたし……彼の事が好き。でも彼は漁師なの。そしてわたしは編集者。住む世界が違うのよ。どうしたって一緒にはなれないの」


 すると木綿は首を大きく左右に振った。


「錦織さん、間違ってる。彼の事好きなんですよね? わたしのパパとママは沖縄と北海道の遠距離恋愛でわたしを授かりました。東京と宮城でしょ? たったの300km、たったの一時間半の距離です」


 木綿が錦織に説教をした瞬間、錦織のスマホが音を立てた。


「もしもし、絢斗さん?」


 木綿は満足そうに笑みを浮かべた。

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