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二度目の……

 錦織は意気揚々と船に乗り込んだ。しかし出航して僅か一時間、錦織の顔が青くなっていった。


「おい、お嬢ちゃん。大丈夫か? 顔色悪いぞ」


「お嬢ちゃんじゃありません。錦織です。錦織栞菜です! うっ」


 プロの漁師でさえ海に出ない悪天候である。錦織に耐えられるはずもない。


「分かったから、今日はもう帰ろう。この天候じゃどうせ魚なんて獲れないし」


「頑張ります! だから……ウーエッ!」


 絢斗は大笑いしながら錦織の背中をさすった。


「お嬢ちゃ……あ、いや、錦織さん、いい根性してんな。負けたよ。船長(キャプテン)命令だ。今日は帰るぞ。船員の事を守るのもキャプテンの仕事だからな」


「すみません」


 錦織は自分の不甲斐なさが悔しかったのか大粒の涙を流した。その涙は雨に紛れ一見涙なのか雨なのか区別はつかないように思えた。しかし絢斗は錦織の涙と雨をしっかりと見極めていた。


「しかしなんで俺の手紙なんかでそんなに必死になれるんだよ。大手出版社の人間が食いつくほど価値のある手紙じゃねえだろ。ほら、屋根のある場所に行け。そこのプラスチックの衣装ケースの中に俺のジャージがあるから着替えろ。タオルも入ってっからちゃんと身体拭くんだぞ」


 散々吐いた錦織は雨に打たれながら両膝を抱え座っている。そして絢斗を見上げ何か言いたげな表情をした。


「大丈夫だよ。あっち向いてるから早く着替えろ」


 一時間後ようやく船は港に着いた。着くまでの間、錦織は何度も何度も吐いていた。


「ったく、たいしたお嬢ちゃんだぜ。明日獲れる魚はお嬢ちゃんのゲロをいっぱい食べてんだろうな」


「ほんとにすみません。ハックション」


 錦織は項垂れついでに絢斗に頭を下げた。


「今日はうちでゆっくりしろ。あっ、親父もお袋もいるから変な心配はすんな。風呂に入って客間で昼まで寝てろ」


「キャプテン命令ですか? なら……うっ……従います」


 嵐とも言える暴風雨の中、絢斗と錦織はようやく揺れる船を降りた。絢斗の所有するワンボックスカーに乗り込み家路に着いたのだ。絢斗の連絡を受けていた母親はバスタオルを持ち待ち構えていた。


「あなたが栞菜さんね。さあ、入って。もうこんな目に遇わせるなんて絢斗ったら。ごめんなさいね」


 絢斗の母は錦織の肩を抱きながら家の中へと導いた。


「悪かったねえ。うちのせがれが無理言って船に乗せたんでしょう。さあさあ、ゆっくりシャワー浴びておいで」


 絢斗の父も錦織に対し平謝りしている。


「違うんです。わたしが絢斗さんに無理を言って乗せて貰ったんです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「あいつなんかかばう事はない。あいつがやっと心開いて彼女を連れてきてくれた事が嬉しいんじゃよ」


「お父さん、やっと連れてきた彼女に余計な事言わないで下さいよ。栞菜さん、お気になさらないでねさあさあ、こっちこっち」


 絢斗の父も母もすっかり勘違いしているようだ。錦織は慌てて否定する。


「あっ、いや。私たちそんなんじゃ……」


「いいからいいから。早くお風呂に入ってきなさい」


 錦織の言葉を絢斗(けんと)の父、片桐綾之介(あやのすけ)が遮った。


「あ、はい」


 錦織は綾之介とその妻シサ子に促され――押しきられ――バスルームへ向かっていった。


 錦織がお風呂に入って数分後、漁の片づけを終えた綾斗がタオルで頭を拭きながらリビングに入ってきた。


「絢斗、いい子じゃないの。器量もいいし礼儀もちゃんとしてるし。お母さん嬉しいわ」


 絢斗の母シサ子、そして父の綾之介、二人とも綾斗の将来に不安を感じていたのだ。そんな矢先、女の子を家に連れてきた事で二人とも大喜びしていた。


「母さん、あの子とはそんなんじゃないから。風呂からあがったら何か食べさせてやってくれる? 胃の中の蓄え全部出しちゃったからさ。トーストでも何でもいいよ。俺隆司と会ってくるからあと宜しくね」


 絢斗はそう言うとい言える出ていった。再びワンボックスカーに乗り込み漁業組合へ車を走らせた。


「おう、絢斗。流石のお前もこの天気じゃ船出せなかったろ」


 事務所の外にある喫煙所にいた掛川が絢斗を見つけるなりそう言った。


 絢斗は苦笑しながら掛川の指に挟まっている煙草を取り上げた。そしてその煙草をくわえ大きく息を吸い込むと真っ白な煙をふうっと吐き出した。


「それがよ……」


 絢斗はそこまで言うと口をつぐんだ。


「それが……どうした?」


「船……出したんだよ。そしたらさ、お嬢ちゃんコンビニで買ってきた安っちいカッパ着て船の前に立ってやがってよ……」


 そこまで聞いた掛川は息を飲みその先を促した。


「そ、それで?」


「案の定、俺の船からゲロの虹を掛けてくれたって訳。話を聞いてやるから帰れって言ったんだけど、ピクリとも動きゃしねえんだよ」


「やるな。錦織さん」


 掛川は錦織の姿を思い浮かべ、にやりと笑みを浮かべた。


「で? 錦織さん、今何処にいるんだ?」


「うちの客間で漁の夢でも見てんじゃねえの?」


「お前、彼女連れ込んだのか? 流石、我が親友(とも)。やることが早いねー」


 掛川はそう言うと新しい煙草を一本取り出した。


「バーカ。そんなんじゃねえよ。あ、そうそう。これを渡しにきたんだよ。秋祭りの資料なんだけど今年もパソコンでうまいこと作ってくれよ」


「はいはい。絢斗もパソコンくらい使えるようになれよ。教えてやっから」


「スマホでさえ苦労してる俺にそんなハイテクな機械扱える訳ねえだろ。じゃあ俺帰るわ。お嬢ちゃんの話聞いてやんねえと。じゃあな」


 絢斗は煙草を灰皿に押し付けると、大雨の中をじゃぶじゃぶと泳ぐように歩きだし車へ戻っていった。

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