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二枚目の手紙

 今日獲れたばかりの魚が刺身となり大きなお皿に盛られている。そのお皿の隅に盛られたわさびはチューブの物ではなく老婆がすった物である。


 錦織は目を丸くしながら一切れの刺身を頬ばった。


「お母さん、美味しい! これって市場で買うお魚より新鮮って事ですよね? ほんとに美味しいです」


 その言葉に老婆の顔も緩んでいった。


「気に入っていただけてよかったわ」


 するとパンツ一枚にバスタオルを肩に掛けた姿で一人の男が錦織の前に現れた。六十代と思われるその男性は首から上と半袖を着た時に陽に(さら)される腕のみ真っ黒に日焼けしていた。錦織は口の中の刺身をごくりと飲み込んだ。


「はじめまして。集講文庫の錦織栞菜と申します」


 錦織は慌ててバッグから名刺入れを取り出した。


「にしこおりさん? にしこりさんじゃなくて?」


 島根にいた頃、周りには「錦織」と書く苗字を持つ人が沢山いたのだ。錦織が小さな頃、芸能人の影響で「にしきおり」と全国的に認識され始めた。そして近年、プロテニス選手の影響で「にしこり」と読まれるようになったのだ。


 しかし、地元島根の「錦織」さんのほとんどが「にしこおり」なのである。「にしこり」と読む錦織さんは全体の三割程度であり、「にしきおり」と読む錦織さんは百人に一人か二人程なのだ。


 上京五年目を迎える錦織は何度も何度も同じ質問に答えてきた。


「はい。にしこおりです。にしきおりでもにしこりでもなく、にしこおりです。弊社にお電話いただきましてありがとうございます。例の手紙の取材でお邪魔致しました」


「いえいえ。わたしが漁に出てる時に緑色のケースが魚と一緒に網にかかってたんですよ。ほんとは捨てようと思ったんですけど別れた嫁にまだ未練がありましてね。ははっ、この歳でお恥ずかしいんですが、二周り以上も歳の離れた嫁だったんですよ。この手紙を参考に元嫁に恋文でも送ろうかななんて思いましてとっておいたんですよ。そしたら週刊紙にあの記事が載ってましてね。びっくりしましたよ。ちょっと待ってて下さいね。わたしの部屋にあるので取ってきますね」


 吉村守はそう言うとぷっくり出たお腹をパンと叩きながら二階へ上がっていった。そしてものの一分ほどで居間へ降りてきた。


「これです」


 そう言って錦織に手渡した緑色のケースは錦織が拾ったそれと全く同じ物であった。


 その中の手紙を取り出した錦織は固まった氷細工のようにその手紙を読み始めた。


「間違いないです。わたしが九十九里で拾った手紙と同じ人が書いた物です。おそらく親潮っていうんですか、千島海流に乗って流れて来たんだと思うんです」


「なるほど。わたしが拾ったのが茨城県沖で錦織さんが拾ったのが千葉県沖なんですね。その可能性は大きいですね。となると、茨城から北海道の間で投げられたって事かあ。少し範囲が広すぎますな」


 吉村は謎の解けない無名の探偵のように腕組みをした。


「そうなんです。範囲が広すぎる上に苗字も分からないのでどこをどう探せばいいのか検討もつかなくて……」


 吉村は項垂れる錦織の肩をぽんと叩いた。


「うちで良かったら何泊でもしていきなさい。母と二人で寂しい生活を送っているのでこんな綺麗な人がいてくれたらわたしも嬉しいからね」


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。あの、守さんは明日も漁に出られるんですよね? お礼に漁のお手伝いさせて頂けませんか?」


 吉村は首を左右に数回振った。


「無理無理。船も揺れるしそんなに楽な仕事じゃないから……」


「大丈夫です。車酔いもしたことありませんし、体力には自信がありますから。お願いします。お手伝いさせて下さい」


 錦織が力こぶを見せながらそう言うと、根負けした吉村は苦笑いしながら首を縦に振た。


「しょうがないお嬢さんだなあ。じゃあ明日は三時起きだからね」


「さ……三時ですか? あ、いや。頑張って起きます。よろしくお願いします」


 錦織はテーブルに頭がつくほど深々と頭を下げた。


 翌朝、いや翌日の夜中三時に錦織のスマホがタイマーの音をあげると錦織は飛び起きた。居間へ行くと既に朝食が用意されていた。味噌汁、焼き鮭、目玉焼き、グリーンサラダ、そして真っ白な炊きたてのご飯がテーブルに並べられていたのだ。錦織はぺろりと平らげ、まだ暗い中、吉村と一緒に軽トラックに乗り込んだ。


 午前四時過ぎ、小さな魚船に乗り込むと錦織は長い髪の毛をゴムで縛った。


「じゃあ出発するよ」


 八月とはいえ、朝の海は寒さがある。出航して一時間、錦織に異変が起きた。胸をさすりながら嘔吐し始めたのである。


「だから言わんこっちゃない。大丈夫か?」


「はい。大丈夫です……オエッ!」


 吉村は一旦船を停泊させ、錦織の背中をさすった。


「今日は帰るか。海が荒れてるからきついだろ」


「いえ、大丈夫で……オエッ!」


 その後、錦織は何度も吐きながら最後まで仕事を手伝い、夕方ようやく家に帰ってきた。


「お疲れさまでしたね。顔色悪いけど大丈夫?」


 老婆が心配そうに錦織の顔を覗き込む。


「大丈夫です。少し船酔いしちゃいまして守さんに迷惑かけてしまいました。でも明日は頑張ります」


「おい、明日もいくのかよ。明日は家でゆっくりしてなさい。船長(キャプテン)命令ですよ」


 そう言われてしまえば錦織も従わざるを得ない。項垂れたまま「はい」と返事をした。


 錦織は昨日寝た部屋で二日目の夜を迎えていた。二枚目の手紙を持ちながら老婆が敷いてくれた布団に横たわる。


「どこをどう探せばいいんだろう」


 そう言って手紙を持ちながら仰向けになる。すると手紙の「親愛なる優花へ」という文字の上に数字のような文字が見えた。天井から送られる蛍光灯の灯りを背景にすると、透けてはいるもののはっきりと見えたのだ。


「あれ? 0225ー95ー……。その後ろが見えないな。これって電話番号? 0225? これって福島? 宮城?」


 錦織は手紙を鷲掴みにしながら部屋を出た。


 ――コンコン。


 吉村の部屋のドアを強く叩いた。


「守さん! 起きてますか? 守さん!」


 既に夢を見ていた吉村は目を擦りながら布団から出てきた。


「どうしたの? まさかやっぱり明日も船に乗るなんて言うんじゃないだろうね」


「違うんです。これ……この手紙のここ見てください。電話番号のような数字がうっすら見えるんです。0225ってどこの市外局番ですか?」


「ほんとだ。0225は宮城の石巻だよ。ちょっと手紙貸して」


 吉村は手紙を取り上げると鉛筆立てから鉛筆を取り出した。そしてその手紙の電話番号らしき痕のある場所に鉛筆の芯を斜めに宛がい、落書きでもするかのように擦りつけた。


 そこには明らかに電話番号と思われる数字が並んでいた。

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