94話 あの頃のリット
「き、着替えたよ」
そう言ってでてきたリットは、寝る時に着るガウンではなく、外で着るいつもの服を着ていた。今日は祭りのためのドレスを着ていたから、むしろ少し新鮮な感じがする。
「ご、ごめんね。でも私この服好きなの。ロガーヴィアであなたの仲間として一緒に戦って、ゾルタンであなたのパートナーとして一緒に暮らしてて……その、上手く言えないけど、今日のお祭りもすごく楽しかったけど、でも、祭りなんか無くたって私は毎日が幸せなの。だから、この服がいいかなって……嫌だった? 綺麗な服に着替えてきたほうが良い?」
「いや、俺もその服を着たリットが好きだよ」
言ってからお互い顔を赤くする。
リットは首のバンダナで口を隠そうとして、その手前でぎゅっと手を握ると、口元を隠さず俺を真っ直ぐに見た。
「それで、渡したいものって」
リットの空色の瞳を真っ直ぐに見つめながら、俺は右手の中にあるものの感触を確かめる。
その時、リットの瞳の中に、俺はロガーヴィアでリットと初めてであった頃のことを思い出していた。
☆☆
「勇者なんかいなくたって私達ロガーヴィア公国は魔王軍くらいやっつけられるわ!」
最初、リットに出会った時に言われた言葉だ。
あの時、リットは外部の人間である勇者に故国の命運を託すのを嫌がっていた。
俺達と反目し、同じ魔王軍と戦う者として直接的な妨害はしてこないものの、俺達より先に手柄を立てることで俺達の面目を潰そうとしていた。
そうすれば、勇者を受け入れ、軍の指揮権すら渡して、積極的に助力を頼もうというロガーヴィア王の考えを改めさせられるとリットは考えたのだ。
首都ロガーヴィアで、俺は机の上にロガーヴィア王からもらった地図を開き、解決すべき問題を書き込んでいた。
「占領されている村は2つ。南部に魔王軍の本隊が展開。西部と東部にもまばらにオーク軽騎兵部隊が展開している。山間の集落から木材の供給量が低下、原因不明。北部開拓地で竜と思われる怪物の襲撃あり。隣国サンランド公国への援軍要請は無し」
魔王軍の配置を見れば、魔王軍の最終目的がロガーヴィア城の包囲だということも分かる。今は村を襲撃し、ロガーヴィアへの食料供給を少しずつ絶ち、救援に動員されるロガーヴィア軍を疲弊させるのが目的だろう。
本隊のデーモン方陣歩兵は温存され、オーク軽騎兵やドワーフ奴隷歩兵ばかり戦いに参加していることからも間違いない。
「気になるのは、魔王麾下アスラデーモンの修羅隊が参加していることか」
魔王タラクスンと同族のアスラデーモンで構成される修羅隊は、恐れを知らぬ精兵達としてアヴァロニアの諸侯を震え上がらせた。鎧は鎖帷子のみ。歩兵部隊ながら進軍速度は極めて早く、悪路を物ともしない。
特に河川からの強襲を得意とし、小型ボートで集落を襲撃する。軍が集まって反撃しようにも川に逃げられ追いかけることができない。
人の街というのは基本的に川の近くに作られる。人が生きていく上で水は大量に必要だ。また農業をやるのに水が必要不可欠なのもあるし、物資の輸送は船で行うのが最も効率がいい。地図を開けば、河川にそって街や村が並んでいることに気がつくだろう。
「まだ修羅隊は動いてはいないが、早急に河川からの襲撃を警戒する必要があるな」
ロガーヴィア王の案の通り、部隊の指揮権の一部を俺達が扱えるのなら、そうした対応はずっと楽になる。
「俺達に指揮権を渡すことに反発する貴族達に対して手柄を立てて分かってもらう必要もあるな。だとしたら、最初は占領された村の解放や東西にあるオーク達の陣地への襲撃から始めるか」
その時、部屋の扉がガタンと荒々しく開かれた。
「外は明るいのに部屋に閉じこもってご苦労なことね!」
「なんだリットか」
俺は腰の剣の柄に置いた手を放す。
その様子を見て、リットは訝しげに俺を見た。
「あんた、なんで部屋の中で帯剣してるの?」
「自衛のためだよ。今度からノックくらいはしてほしいね」
「自衛って、ここはロガーヴィアよ? 誰が襲ってくるっていうのよ」
俺は肩をすくめるだけで何も言わなかった。
戦い続きで剣が手に届くところに無いと落ち着かないだなんて、わざわざ言うことじゃない。
「それで一体何の用だ?」
「聞いたわよ」
つかつかとリットは俺の隣へ歩み寄る。そのまま顔を近づけニヤリと笑った。
リットの顔が目の前に広がり、そのきれいな瞳に一瞬、見惚れてしまった。
「あんた達に兵の指揮権を渡すって案、保留になったらしいじゃない」
「誰かさんのおかげでな」
「褒めてくれてありがと!」
何をしに来たかと思えば、それを言いに来たらしい。リットは勝ち誇ったドヤ顔を浮かべていた。
「そういうわけだから、あなた達は別の国を救いに行けばいいのよ」
「そうは行かないな」
リットはムッとした表情に変わり、地図に視線を戻そうとした俺の肩を掴む。
「他に勇者を受け入れてくれる国なんていくらでもあるでしょ。そっちで戦えばいいじゃない。富も名声も、別にこの国にこだわる必要なんてないでしょ」
「ロガーヴィアが落ちれば北部一帯の前線が崩壊する」
「そんなこと私も分かってるわよ、だから私達が守るって言ってるでしょ」
「"守る"じゃダメだ。認められるのは"守った"だけ。守った後ならば俺達はここから喜んで立ち去る」
俺の言葉にリットは言葉をつまらせ、一瞬視線を泳がせた。
だがすぐに立ち直ると、ふぅとため息を1つ吐く。
「わかったわよ。あんた達は魔王軍に勝つために戦っているのね、それくらいは認めるわ」
「どうも」
「で、話を戻すけど、なんであんた1人で地図とにらめっこしてるわけ?」
「最初に俺が情報を整理して、それから仲間で相談するようにしてるんだ」
「え? あんたの仲間に賢者っていたでしょ? そいつはやらないの?」
「ん……まぁな」
俺が曖昧な表情で苦笑したのを見て、リットは察したのか初めて表情を柔らかくした。
「あんたも苦労してるのね」
「どうも」
それからリットも机の地図を覗き込む。
「短い時間でよく調べてるわね」
「これから方針立てるのに情報がなきゃ始まらないからな」
しばらく眺めた後、机の上のペンを取るとリットも地図に書き込みを加えた。
「ここは物資を売りに行く商人達が泊まる宿があるの」
「インフラの要所というわけか」
「それから地図にはないけど、ここには丘があるの。ここに布陣すれば有利になるはず」
「ふむ、逆にそこに陣を張られると攻め落とすのが難しくなるか」
「あと、この“東を押さえる”ってメモ書きは何?」
「それは、この地点を占領されると、この河川一帯の防衛が難しくなるからだ」
「……確かに。これは軍にも伝えておくわ。いいでしょ?」
「もちろん。だが、もし魔王軍本隊が出てくるようなら、防衛は諦めて、この地点まで下がったほうが良いだろう」
「確かに守りに向く地形じゃないわよね」
「南側に布陣している本隊が、ここまで動くのはまだ先のことになると思う。今のうちに作物の収穫を終わらせて、物資と共にこっちの街まで村人達を引き上げさせるべきだ」
「でも、それだけの人間を収容できるような街じゃないわよ」
「仮設住宅の準備も必要だな……なぁ」
リットは地図から視線をあげ、俺の目をまっすぐに見る。
「なんで手伝ってくれるんだ?」
「あんた、私が何を言ってもここの防衛戦が終わるまではロガーヴィアに居るつもりなんでしょ? だったら遊ばせるより、雑用でもやらせてやった方がいいと思っただけよ。別に認めたわけじゃないんだから、そこんとこ勘違いしないで」
「そうか。そりゃ助かる……しかし、なんだな」
俺は思わず口元がニヤけてしまった。
「何よ?」
俺の表情を見てバカにされてると思ったのか、リットが口を尖らせる。
俺は慌てて首を横に振った。
「違う違う。こうして最初の情報整理を誰かとやるのってずいぶん久しぶりだったからさ」
「あんた、本当に苦労してるのね」
「だからまぁ、なんというか……ありがとな」
「ば、馬鹿じゃないの! 別にあんたを手伝ってるわけじゃないの! ロガーヴィアのためにやってるだけなんだから!」
リットはバンダナで口元を隠した。
どうやら笑ったり、照れたりするとき、リットは口元を隠す癖があるようだ。
その時見たリットの仕草が、とても可愛く見えて、俺達に敵意を隠さないリットのことが、この時にはもう嫌ではなくなっていたことを憶えている。
あと1~2話くらいツンデレ期リットの回想やらせてください!




