91話 ありがとう
夕日の中、疲れ果てた『冬の悪魔』が街の外へ、まだまだ余裕たっぷりな様子で逃げていき祭りは終わった。
そのフィナーレでは、みな春が一日でも早く到来することを祈願するため、できうる限りこの瞬間を楽しむことが推奨される。
今が一番なゾルタン人の気質に、この真冬の間に精一杯楽しむ冬至祭は性に合っているようだ。季節ごと祭りでも、冬至祭が一番盛り上がる気がする。
「ねぇねぇ、あっちで貴族の子が踊ってるんだって」
「うっそー、私も行ってみようかな!」
「みんなで行こうよ、玉の輿狙っちゃお!」
3人の若い女性達がそう言いながら走っていった。中には未来を見据えているゾルタン人もいるようだ。
ティセは自分の手のひらの上にうげうげさんを乗せ、うげうげさんが指の間を行ったり来たりするのをじっと見ている。
マイペースだが、ティセもうげうげさんも表情や仕草を見る限り祭りを楽しんでいるようだ。
ティセの方を見ていると、クイッと俺の服が引っ張られた。引っ張ったのはルーティだ
「お兄ちゃん、今日はありがとう」
ルーティはそう言って笑顔を浮かべていた。
「楽しかった」
俺はルーティの頭を撫でる。ルーティは目を細めて受け入れた。
「でもまだもうひとつやってないことがあるぞ」
「え?」
俺はルーティの手をとった。ルーティの顔が少し赤くなる。
「一緒に踊らないか?」
「私が、お兄ちゃんと? ……いいの?」
「兄妹が一緒に踊るのに悪いことなんてあるもんか」
ルーティはリットの方を振り返る。リットは笑って行ってきなさいというように手を振った。
「でも、私、冬至祭で最後に踊ったの、お兄ちゃんが騎士団に入る前だよ。上手くなんて踊れないよ?」
俺は答える代わりにルーティの手を引いた。
「上手く踊るのが目的じゃないんだ、冬至祭は楽しく踊るのが目的なんだ」
悪魔は喜びを嫌うとされる。もちろん、魔王軍と戦ってきた俺達にはそれがただの迷信であることは知っている。
だが、迷信であっても、今ここで楽しく過ごせる理由になるのなら、それを否定する意味はないだろう。
「さあ」
「……うん」
俺が左手も差し出すと、ルーティは少しの間迷った様子だったが、ぎゅっと俺の手を握った。
ゾルタンの楽士達が軽快な春の曲を奏でている。ハーフエルフ達の奏でる、木製の笛はウッドエルフ達が使っていたとされる縦笛だ。正確な名前は伝わっていない、ただエルフの縦笛と呼ばれている。
ウッドエルフ達は記録を残すという習慣が少なく、謎の多い部分もあるが、人間が残した記録によれば、ウッドエルフ達はあの笛の音を恋人に捧げるために練習したという。
ハーフエルフ達にそのような習慣は残っておらず、ただ美しい音色を奏でる楽器として、また人間の楽器とは違うエキゾチックさを楽しむために使われている。
俺とルーティは、笛とバイオリンの曲に合わせて、単純だが楽しくステップを踏んだ。手を取り合って踊る。夕日に照らされたルーティの顔は赤く、だが楽しそうだった。
「いいのかな」
「どうした?」
「私がこんなに幸せになっても、許されるのかな」
「俺が許すさ。ルーティはこれまでずっと数えきれないほどたくさんの誰かの幸せのために傷ついてきたんだ。そろそろ自分一人くらい幸せにしたっていいだろう」
踊りながら、ルーティはじっと俺のことを見つめていた。
俺がルーティの腰に手を回すと、ルーティの身体を持ち上げくるりと回る。
俺は、ずっとルーティに幸せになってほしかった。
『勇者』である前に、ルーティは俺の妹だから。ルーティが『勇者』として、傷ついていくのを見るのは辛かった。
そして、そんなルーティの力になれなかった自分の非力さが悔しかった。
「お兄ちゃん、ありが」
「ありがとう」
「え?」
お礼を言おうとしたルーティの言葉を、俺の言葉が遮った。
「幸せになってくれてありがとう」
「あ、う……」
涙を浮かべるルーティと一緒に、兄妹は祭りのフィナーレを過ごしたのだった。
☆☆
夜。ゾルタン港区。
「今日は酷い目にあった」
トボトボと歩くのは自称『竜騎士』オットー。
鎧を身に着けていた時は、まだ騎士という雰囲気もあったが、こうして冬の夜に穴だらけの服を来て、大きな身体を寒さで丸めて歩く姿は、ただの『船乗り』である地がでてしまう。
「はぁ、やっぱヴェロニアに帰ろうかなぁ」
故郷で漁師の家に生まれたオットーは、この大きな身体から村では英雄のような扱いをされた。加護も漁師にぴったりな『船乗り』だったことも、村から大きな期待をかけられた理由だ。
そしてオットーは調子に乗った。
俺は偉大な人生を歩むために生まれた男だと言い出し、村の仲間が唖然とする中、ヴェロニアの海軍に志願して村を出ていってしまったのだ。
だが小さな村でチヤホヤされて生きてきたオットーにとって、海賊あがりのヴェロニア海軍は容赦のない環境だった。
船の上では逃げ出すこともできず、劣悪なヴェロニアのガレー船で、航海士ではなく漕手の仕事ばかりやらされ、上官からは理不尽な嫌がらせの毎日。
ここで故郷に帰ろうと決心していれば、また人生は違ったのだろうが、オットーは「俺は誰かに仕えるような器じゃない。一国一城の主になるんだ」と夢を見て、3年軍艦に乗ったあと、退職金と共にアヴァロニア王国へ騎士になるために旅立った。
それからなんの成果もなく、町々を転々とし、こうして辺境ゾルタンまで流れてきたのだ。
「巨人に占拠されている城があるって聞いたときはこれだって思ったんだけどなぁ」
ヒルジャイアント(丘の巨人)は、モンスターとしてはそう強大な相手じゃない。勝てると思ったオットーだったが、実は一度仲間を7人集めて城を攻めたことがある。
自称『竜騎士』の名前につられて集まった、Cランク冒険者2人、Dランク冒険者4人、Eランク冒険者1人。さらに流れ着いたばかり傭兵を2人雇い、オットー自身を合わせた10人の軍勢。
結果、ヒルジャイアントの一体も倒すことができず、オットー達は命からがら逃げ出したのだった。
知性の高いモンスターは、加護を高く成長させていることがあり、城を占拠したヒルジャイアント・ダンタクはそうした一種のヒルジャイアントの“英雄”なのだろう。
現在のオットーでは到底勝てる相手ではない。
オットーもそろそろ若くない年齢ではあるし、そろそろ帰って村の連中に頭を下げるべきだろうかと悩んでいる。
それに戦いの中で加護レベルは村の連中よりは高くなっているし、きっと悪いようにはされないだろう。
そんなことを考えながらも、今日の祭りのバイトで、散々怒られながらもらった食べ物を抱えて、オットーは港区の安宿を目指していた。
その時、すっと黒い影が港区の暗がりを走った。
「ん?」
オットーは首をかしげる。
どうみても怪しい。放置すればいいもの、この大男はふらふらと暗がりへ入り込んでいった。
☆☆
「なんじゃ?」
そこでは3人のショートソードを構えた男達と、彼らに囲まれ、壁際に追い詰められた女性の姿があった
美人だったら助けようかとオットーは目を凝らすが、どうやら腰の曲がったお婆さんのようだ。
最初、オットーはがっかりしてその場を立ち去ろうとするが、老婆の姿にずっと会っていない母親の姿を思い出し、彼は柄にもない孝行心を感じた。
思い立ったらすぐに行動するのが、この男の性格だ。
オットーはぱっと飛び出すと、背後からいきなり男を殴りつけ、驚いている間にもう一人の首根っこを掴むと、壁に勢いよく叩きつけた。
「おいおい、こんな目出度い日なにやってんだお前ら」
最後に残った男は驚いたまま、飛び退くように距離を取る。
そして猫のような俊敏さで、男はオットー目掛けて跳躍した。
「ほい」
オットーは左手に持っていた食べ物の袋を投げつける。
バラバラと中身が飛び出し、男の視界を一瞬、塞いだ。
「オラァ!!」
そこにオットーの大きな脚が飛んでくる。顔面に直撃し、男の身体はくるりと宙を舞ってから、どさりと地面に落ちた。
その間にオットーは老婆を両手で抱きかかえると、大急ぎでその場から走り出したのだった。
(やべえ、あいつらメチャクチャ強いじゃん)
不意打ちと幸運で無事だったが、実はかなり危ないところだった。全力の攻撃を直撃させたにも関わらず、男達はすぐに立ち上がろうとしていたのだ。
武器も鎧も無いし、追いつかれたら殺されるかもと、慌ててオットーは人がいる方向へと逃げていった。
しかしすぐに後方から気配を感じた。
「まじかよ、もう追いついて来たのか!?」
かなり力を入れて殴ったり蹴ったりしたのだから、もう少し動けないかと思ったのだが、本当に大したダメージにはなっていなかったらしい。
「ひぃぃ!!」
命の危険を感じてオットーは必死に走る。
「もし」
「な、なんだよ婆さん、しゃべると舌噛むぞ!」
「私を置いていけば助かると思いますよ」
老婆は申し訳なさそうに言った。それを聞いてオットーはきょとんして言う。
「思いつかなかった」
そう言いながらオットー達は角を曲がって通りにでると、そこには背の小さな少女がいた。その肩には小さなハエトリグモが乗っていて、その手にはやたらちくわが入った器を持っている。
「おや、あなたは確か情けない『竜騎士』の」
「げ、お前はあの時の」
「何なんです? 今度は誘拐ですか? 痛めつけたほうがいい感じです?」
ティセは訝しげにオットーを睨むが、オットーは叫ぶ。
「う、後ろからやべえやつらが来てるんだ! どっかに隠れてろ!」
「後ろ?」
ティセが背後に目をやると、3人の男の姿が見えた。
「ほぉ」
ティセは追いかけてくる男の顔を見て目を細めた。
次の瞬間、ティセは駆け出していた。
「お、おい!?」
風のような軽やかさで、ティセはオットーとすれ違う。
慌ててオットーが振り返ると、
「ギルドを抜けたアサシンとこんなところで出会うとは」
白目をむいて気絶している3人の男達と、おでんの器を左手に持ったままのティセの姿が見えた。
そのおでんの器に入った汁は、少しもこぼれてはいなかった。




