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71話 君が望むスローライフを送れますように


 錬金術師ゴドウィンに薬を作らせている部屋の場所について、ティセから言葉でしか説明をされていない。

 画一的な部屋の並ぶ古代エルフの遺跡の居住区画でそれを見つけるのは少し骨の折れる仕事だった。


「ここかな」


 少しだけ時間がかかってしまった。

 もうそろそろリット達も山を登り始めているころだろうか。

 俺は古代エルフ遺跡によく見られる、妙に重い引き戸を開ける。


「おっと」


 中からガラスの瓶が飛んできた。

 俺は前方に飛び込むようにして、その瓶をかわす。

 次の瞬間、瓶は「ボン」と音を立てて爆発した。

 まわりに緑色の粘着液をばらまくが、そのときにはすでに俺は部屋の中へと飛び込みながら前転し、立ち上がってその錬金術師の首筋に剣を突きつけていた。


「て、てめぇは薬屋の! 俺を捕まえに来たのか!」

「あー、戦いに来たんじゃないんだ」

「剣を突きつけておいてよく言う!」

「いや、あんたが爆弾投げてくるから。それに戦うつもりなら、もうその首をこの剣で貫いているよ」


 ゴドウィンの手にはもう1つ粘着爆弾が握られている。

 僅かに睨み合ったあと、ゴドウィンはゆっくりと手を下ろした。

 その動きに合わせ、俺もゆっくりと剣を、ゴドウィンの首の側から外していく。


「あんたを捕まえている女はどこだ?」

「なんだ薬屋、あいつに用があるのか。やめとけやめとけ。てめぇが強いのは斬られた俺が一番良く分かっているが、それでもあの女にゃ勝てねえよ」

「勘違いしているようだが、俺と彼女は知り合いだ」


 ゴドウィンは意外だというような表情を浮かべた。


「英雄リットに続いて、あの女とも関わりがあるのか。薬屋、てめぇ一体何者なんだ」

「ただの薬屋だよ。それより彼女はどこだ?」

「俺が知るかよ。遺跡のどっかにいるんじゃねえか?」


 この遺跡の何処かにいるルーティを探すとなると、それはまた骨の折れる仕事だ。


「…………」


 叫んでルーティを呼ぶか?

 なんとなくだが、それは避けたい。ここに俺がいることはルーティにとって予想していない状況のはずだ。悪魔の加護やゴドウィンの脱獄といったことが俺に知られたことにルーティが気がついたら、ルーティはおそらく悲しむ。

 可能ならその場に俺がいて、なんでもないということを伝えたい。


「おい、ゴドウィン」

「なんだよ」

「あんたが彼女を呼べ」

「お、俺が?」

「大声で叫べば、彼女の超感覚スキルをもってすれば十分に聞こえるはずだ」

「薬屋が叫べばいいだろ。俺はてめぇを信用してないんだぞ。もしてめぇがあの女の敵で、あの女が俺のことを裏切り者だと思ったらどう責任とってくれるんだ」

「じゃあ俺から剣を突きつけられて殺すぞと脅されたことにしろよ」

「嫌だよ。俺はあの女が心底怖いんだ」


 ええい面倒な。


「どうしても嫌か?」

「嫌だね」

「仕方ない」


 俺はゴドウィンの爆弾を持った左手を掴んだ。

 爆弾は危ないから奪い取って床に置く。


「な、なにしやがる……」


 ゴドウィンは不安そうに振りほどこうとするが、俺はがっちり掴んで放さない。


「大丈夫、怪我はしないから」

「け、怪我って……てめぇ! やめろ!」


 ゴドウィンは何をされるか気がついたのか、慌てて暴れようとするが。


「あとあれだ、あんたのせいで俺のリットが危ない目にあったんだってな」

「そ、そのことはてめぇが俺を斬ったことでチャラだろ!」

「ありゃアルの分だ」


 以前、こいつの粘着爆弾で、リットは危うくストーカーデーモンにやられそうになったことがあった。その時の仕返しも少し込めて。


「えい」


 俺はゴドウィンの左腕の関節を固め、曲がってはいけない方向に少しだけ引っ張る。


「ぎにゃあああああああああ!!!」


 痛みに耐えかね、喉から迸ったゴドウィンの絶叫が遺跡に響いたのだった。


☆☆


「畜生……」


 ゴドウィンは座り込んで自分の左腕をさすっている。

 恨みがましい目で俺を睨んでいるが、気にしない。


 それよりも近づいてくるはずの気配に俺は耳を澄ませた。

 ゴドウィンは、悪魔の加護を作るために必要な錬金術師。ルーティにとっては必要な人間だ。

 だから今の悲鳴を聞けば……。


 その時、扉が衝撃ではじけ飛んだ。

 空中に飛んだ扉の影から、少女の影が稲妻のように走った。

 かがむような姿勢から突き出された剣は寸分違わず俺の首へと迫る。

 さきほど俺がゴドウィンに剣を突きつけた動きに少し似ているが、その速度と鋭さは比べることもできない。

 だが、その一撃は俺の首へ到達する前に止まる。


「お兄ちゃん!?」


 その時ルーティに浮かんだ感情は、勇者であるルーティにはあるはずのない『怯え』だった、そう俺には見えた気がした。


☆☆


 俺とルーティは別の部屋へと移った。

 ゴドウィンは、ルーティがあのような態度を見せるのが信じられなかったようで、随分驚いていたが、それでもまだルーティへの恐怖はしっかりと残っているようで、ルーティからしばらく休んでいいという言葉に素直に従っていた。


「お兄ちゃん……どうしてここに?」


 この部屋はルーティが、この遺跡での寝床として使っている部屋らしい。

 ゴドウィンの部屋から通路2つ隔てた場所にある他の部屋より少し大きめの寝室だ。

 古代エルフの技術は現代より優れているとはいえ、部屋の中の家具などはすでにボロボロに風化している。

 ルーティもゴドウィンも、そうした部屋にあるゴミを別の部屋へと移し、組み立て式の簡易ベッドを使って眠っているようだ。

 ゴドウィンの部屋には、他にも調理器具や水や食料の貯蔵庫なども置かれ、生活するのに十分な状況が整っていた。

 またいかなる原理かは分からないが、この古代エルフの水道設備も生きている。どこから供給されているのか得体の知れない水を飲むのは抵抗があるが、身体を洗ったりとする生活用水としては使える。

 ゴドウィンやルーティがそれぞれ使っている部屋の隣には、物干し竿などが置かれ、古代のロマンとはかけ離れた生活感のある光景が見られた。


「お兄ちゃん?」

「ああ、悪い、古代エルフの遺跡の奥なんて久しぶりだからさ。少し驚いているんだ」

「そう」


 本題だな。


「ルーティ、話はティセから聞いたよ」


 びくりとルーティは肩を震わせた。うつむき、何を言えばいいのか考えているようだ。

 怒られる、と思っているのかもしれない。

 これまでずっと勇者として生きてきたルーティにとって、悪魔の加護や犯罪者の脱獄はありえない行為だ。

 それに加護にふさわしい生き方をせよという聖方教会の教えを真っ向から否定する行為でもある。


「ごめんな、ずっとなにもしてやれなくて」


 俺はそう言って頭を深く下げた。


「え?」

「ルーティの加護の衝動を抑える方法は、俺もずっと探していたんだ。みんなには黙ってたけど」


 そういって俺は腰のベルトポーチから薬を1つ取り出す。

 前にアデミに飲ませたワイルドエルフの秘薬だ。


「これも加護の衝動を抑える薬だよ。加護のレベルを一時的に下げる効果がある。でも、これは毒扱いでね。勇者の加護には通用しない」

「なんで?」


 ルーティはただ戸惑っている。


「お兄ちゃんはずっと世界を救おうとしてきたんじゃなかったの? 小さい頃からずっと強くなろうとして、騎士団に入って、たくさんの人を助けて。それに魔王討伐の旅にも一緒に来てくれた。たった数人で各地を回り、魔王軍と戦い続けるなんて絶望的な旅。お兄ちゃんは私みたいに人を助けなくちゃいけなかったわけじゃない。でも戦ってきた」

「……そうだな、ルーティにはちゃんと言ってなかったな」


 ルーティが選んだ魔王討伐への旅。

 その最初、故郷の村が魔王軍の略奪部隊に襲われ、ルーティが1人でオーク達と戦おうとした時から俺は一緒だった。

 それから何人か一時的にルーティの仲間になっては、抜けていくメンバーもいたが、俺は最初の戦いから土のデズモンドとの戦いまで、ずっと同行し続けた。

 しかし、この言葉を伝えるべきかは悩んでいたことだ。好意が人を傷つけないとは限らないからだ。


「お兄ちゃんはなんで魔王を倒そうとしたの」


 ルーティはまっすぐに、その綺麗な目に不安を宿しながら俺を見つめた。


「俺はただ、お前を守りたかったんだ」


 ルーティの目がわずかに見開かれた。動揺するように視線が少しだけ揺れ動く。


「小さい頃からモンスターを倒していたのも?」

「そしてバハムート騎士団に入ったのも。ルーティが旅立つときに守れるだけの強さが欲しかったからだよ」

「なんで……? 私が勇者だから?」

「馬鹿だな、そんなの決まっているだろ……ルーティは俺の大切な人だからだ。ルーティがいずれ旅にでると分かっていたから、俺はその日のために準備してきただけだよ。だからルーティが勇者であることを辞めようが、俺は気にしない、とがめない」


 実は……迷わなかったといえば嘘になる。

 勇者とともに旅をしてきた俺にはよく分かる。ルーティがいなければ、魔王軍による被害は大きく拡大していた。もしかすると……アヴァロン大陸は滅ぶかもしれない。

 ルーティに勇者であることを強要しないということはそういうことだ。

 だが、それでも俺はルーティの味方につく。そう決めた。


「本当に、いいの? 私、仲間もみんな置いてきた。ゴドウィンを脱獄させた……勇者を辞めようとしている。それでもお兄ちゃんは許してくれるの?」

「許すよ」

「わがままを言っていいの? 世界がやれっていうことよりも、加護がやれっていうことよりも、自分がやりたいことやっていいの?」


 自分が望む人生スローライフを送る。それはきっと勇者にとって許されることのない我儘わがままなのかもしれない。

 それでも俺はルーティの意思を否定しない。


「俺の人生が俺のものであるように、ルーティの人生はルーティのものだ」


 ルーティはゆっくりと、俺の頬に両手を添えた。

 じっと俺の目を見つめた後、ルーティは額を俺の胸に押し当てた。


「お兄ちゃん、私、本当はわがままなの。勇者失格なくらいわがままなの」


 今の位置からじゃ、ルーティの表情は見えない。

 ただ頬に添えられたルーティの手のひらから、温かいルーティの体温が伝わってきた。


「それでも、私のこと嫌いにならないでいて欲しい」


 俺はルーティの手に俺の手を重ねる。


「ルーティは、いつだって俺の大好きな妹だよ」

「ありがとう、私もお兄ちゃんのことが好き」


 ルーティは穏やかな声でそう言った。

 俺は、幼い頃、嵐の日に2人でくっついていた時のことを思い出していた。

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