160話 少年とヤランドララ 後編
「おお、君が私を助けてくれたのか!」
外で待っていたのは、命を狙われた商人のロビンソンだった。
俺の両手を取ると、やり手の商人らしい人好きする笑顔を浮かべた。
「こんな小さな子供なのに大したものだ!」
ロビンソンさんは板に流れる水のような言葉で俺のことを褒め称えた。
そういえば村ではこうして褒められたことはなかったな。
村の周りのモンスターを片っ端から倒していたもので、村に被害が出るところまでいかなかったのだ。
だから俺がモンスターを倒していることを隠してはいなかったが、その功績を認められたことはあまりない。
まぁ、褒められるのは嬉しいもんだな。
もし俺が隊長とかになったらできるかぎり褒めて伸ばすようにしようと、そう心に決めた。
「ロビンソン、もうそれくらいにしておいて」
「あ、ああ、これはすまない。ちゃんとしたお礼は後ほどあらためて言わせてもらおう」
またヤランドララさんが俺との間に入ってたしなめた。
気を使ってくれるのは嬉しいけれど、一回戦っただけなのでなんだか申し訳ない気がしてきた。
「ありがとう、ラグナソン君。できれば明日は休むといい、フローレス卿へ説明なら、私が喜んでさせていただこう」
「いえ、大丈夫ですよ。それよりも、襲撃者が1人とは限りませんので、ロビンソンさんこそお気をつけて」
「ああ、これからは事が済むまで護衛を付けて人通りの多すぎるところは避けるとするよ」
ロビンソンさんはそう言って、もう一度俺の手を取った後、通りの向こうへ歩いていった。
その後ろには片刃の剣を腰に佩いたハイエルフの戦士が2人従っている。
「あの剣はハイエルフの国キラミンの剣?」
「私が呼んだの。最初からああしておけば良かったのに」
「ハイエルフ絡みの問題なんですね」
「そうね。それで、あなたはどこへ行くつもりだったの?」
「そうだった。俺はコスモスの花を買いに行くところだったんだ。でもこんな真冬にコスモスなんて売っているとは思えなくて」
ヤランドララさんは両手を口の前で合わせて目を輝かせた。
「それなら売っているところを知っているわよ」
「本当!?」
「ええ、案内してあげるわ」
親切なエルフだな。
人間と性格が変わらないハーフエルフは別として、ハイエルフやドワーフは付き合いにくいものと思っていたけれど、こういうエルフもいるのか。
それともロビンソンさんを助けたのが、偏屈なハイエルフの御眼鏡に適うことだったのだろうか。
「ロビンソンさんはね、塩の商人なの」
王都の表通りから裏路地へと曲がり、建物の間を歩いていた時にヤランドララさんが言った。
「ハイエルフの国キラミンは知ってる?」
「詳しくはないけど名前は」
「アヴァロン大陸最大の都市。使徒キューティを祀る水晶伽藍。壮麗なる翡翠の都。煌めきの尖塔群。街を囲むのは永久岩を積み上げた不撓不屈の三重城壁。そこに住まうは100万の美しきハイエルフ」
歌うようにキラミンについて語るヤランドララさん。
だが。
「実際は100万もいないわ。キラミン王国にそこまで長い歴史はないもの」
「そうなの?」
「キラミンは傭兵として活躍したハイエルフ達がアヴァロニア王国によって建国を認められた国。私達の建築技術は人より優れているから壮麗な町となっているけれど、領土の狭さはどうにもならない。私達は外国からの輸入がなければ自給自足できないの」
「それで塩」
「ハイエルフだって塩がなければ生きていけないわ。ロビンソンさんは塩の交易路をキラミンとつないでくれる商人なの」
「それは……今は快く思わない人もいるんだろうね」
「小さいのに賢いわね。ええ、あなたの言う通り」
人間と価値観の違うハイエルフを嫌う人は少なくない。
アヴァロニア王国とキラミン王国は友好条約を結び協力関係にあるが、いつ破綻してもおかしくない危ういバランスの上に成り立っているらしい。
現在アヴァロニア王国は長年争い合っていた南の群島諸王国に介入して停戦協定を結ばせようとしているそうだが、それを快く思わない勢力が王都のハイエルフ嫌いに働きかけ、キラミンとの関係を崩すことで群島諸王国への介入を弱めよう……ということを考えている勢力がいるそうだ。
まぁフローレスさんの受け売りだけど、俺は王都にきてまだ日が浅いのだ。
「塩の売買は民間の交易だけれども、ハイエルフは外交条約よりも個人間の繋がりを重視するの。人間から良く非難される二枚舌っていうのも、外交官が変わったから、信用しなくなったって場合が多いのよ。困った種族でしょ?」
「ロビンソンさんの存在がアヴァロニアとキラミンの間で重要なんですね」
「ええ。ハイエルフが一番嫌うのが裏切りなの。キラミンの友人であるロビンソンさんが殺害されるなんてことになったら、キラミンは殺害した犯人を許さない。でもアヴァロニア王国としては自国民の殺害事件だからキラミンに介入されるのは道理が通らない」
「それは外交問題だ」
「ごめんなさい、つまらない話をするつもりは無かったの。ただこれだけは知ってほしくて」
ヤランドララさんは俺を見て笑った。
「あなたは私達を救ってくれたってこと、ありがとうギデオン君」
ハイエルフの顔は人間の基準からすると誰も彼も美しく見える。
だが、それを差し引いても、大粒の雪が降るあの日、フードから覗くヤランドララさんの笑顔はとても綺麗だった。
☆☆
白い雪に覆われた小さな森が広がっていた。
枝の上でリスがドングリをかじっている。
バサリと落ちた雪に驚き、イタチが慌ててどこかへ逃げた。
「王都は石とレンガと土ばかりだと思っていたけれど、こんな場所もあるんだ」
ヤランドララさんに案内された場所は、先程いた場所から20分ほど歩いた場所。
王都の中心街からは外れているが、それでも王都の中にこんな閑静な場所があるとは思わなかった。
薄っすらと積もった雪に足跡を残しながら、木々の間を少し歩くと、煙突のあるレンガの家が現れた。
家の側にはとても大きなケヤキの木が、葉のない枝を雪で白く彩っていた。
ヤランドララさんは木目の美しい木の扉に近づくと、ノックもせずに扉を開けた。
そして俺の方を振り返って笑う。
「どうぞ」
どうやら、この店はヤランドララさんのものだったようだ。
促されるままに中に入ると、花の香りを感じた。
「すごい」
俺は思わずつぶやいた。
そこには透明な仕切りで区切られた小部屋が並んでいた。
小部屋には花が、春の花、夏の花、秋の花、冬の花、見たこともない異国の花……。
馴染み深い花や珍しい花まで様々な花が咲き乱れている。
「ありがと」
ヤランドララさんは嬉しそうに言った。
「コスモスもあるから安心して。さぁ、そこに座って。お茶の準備してくるから」
「あ、おかまいなく」
「いいからいいから」
ヤランドララさんはそのまま店の奥へと行ってしまった。
俺は丸テーブルのそばにある椅子に座る。
椅子はローズウッド製で、肘掛けが備えられていた。
子供の俺には少々大きい椅子だったが、座ると少し身体が沈み、ぴったりとフィットするようだった。
いつも使っている騎士団の年季の入った丸椅子に比べれば雲泥の差だ。
「ほぅ」
俺は息を吐き出し、少し力を抜いた。
椅子の良し悪しは分からないが、多分これは良い椅子なのだろう。
しばらくそうしていると、ヤランドララさんが白い湯気を立てるカップと、ふわふわしたきつね色の焼き菓子を持ってきた。
あまりに美味しそうなもので、もしかしたらこれは有料なのではと少し不安になる。
俺の小さな財布にはフローレスさんからもらった花代を除けば、クオーターペリル銀貨が数枚しか入っていないのだ。
「蜂蜜入りのハーブティーよ。焼き菓子はエレーレンっていう名前で、ハイエルフがよく食べるものなの。中には砂糖漬けのベリーが入っていて、疲れている時には特に美味しく感じるの」
ヤランドララさんは優しい声で説明しながら、食器をテーブルに置く。
それから俺の顔を見て笑って言った。
「お風呂も沸かしているところだから、食べ終わったら入っていって」
「お風呂ですか?」
聞き返してしまった。
もちろん言葉の意味が分からなかったわけではない。だが、この場面でお風呂を勧めてくるとは思わなかった。
「私の家のお風呂はヒノキでできていていい香りがするわ。きっとリラックスできると思うよ」
時間的には、コスモスの花は明日の朝までに届ければいいので、ここでお風呂に入っても問題はない。
なのだが、見ず知らずの少年に、このヤランドララという名前のハイエルフはなせそこまでしてくれるのだろうか。
彼女の意図が分からない。
なんだか、魔女の家に入り込み優しくされているうちに食べられる子供のおとぎ話を思い出してしまう。
戸惑っている俺を見て、ヤランドララさんは少しかがんで俺に視線を合わせた。
「剣を預かろうか」
「え?」
俺は思わず腰の剣の柄に手をおいた。
「抜けないでしょう、そのままじゃ」
ヤランドララさんにそう言われ、俺は柄を持って少しだけ剣を抜こうと力を込めた。
「あれ?」
ヤランドララさんの言う通り、何かにひっかかったように剣は抜けない。
「貸してみて」
俺はベルトから鞘ごと剣を外すと、ヤランドララさんに手渡した。
ヤランドララさんは柄と鞘をそれぞれ手に持ち、両腕にぐっと力を込めた。
カチンと刀身と鞘が触れる音がして、勢いよく剣が抜けた。
「あ」
鋼の刀身には、真っ赤な血がついていた。
剣は血を拭かずに鞘に収めると抜けなくなる。
剣術を学ぶ者なら、まず最初に教わることだ。
そういえば俺はいつ剣を鞘に戻した?
あの傭兵を倒した後で俺は何をしていた?
「剣は私が洗っておくね」
「は、はい」
俺はカップへと手を伸ばす。
カチカチとカップが音を立てた。
「手が」
カップを握る俺の手が震え、カップがソーサーに当たって音を立てていた。
「人を斬ったのは初めて?」
ヤランドララさんは剣を置き、震える俺の手を、白い指で優しく握った。
「……はい」
「加護の強い者はその痛みを感じないものだけど、あなたの加護は優しいのね」
ヤランドララさんはそう言ってゆっくり俺の腕をさすった。
そうか、なぜヤランドララさんがここまでしてくれたのかようやく理解できた。
俺自身は気がついていなかったけれど……俺が傷ついていたからだ。
そう自覚したら、麻痺していた脳がようやく動き始めた。
「ゆっくり飲んで。このハーブティーは苦しい気持ちをリラックスさせるの」
ヤランドララさんの手がゆっくりとカップを俺の口元へと運んだ。
カップの中のハーブティーは、とても優しい味だった。
☆☆
余談ではあるが。
俺は今回の功績により異例の速さで従士への昇格が決まった。
話を聞いたネビルが俺に訓練という体で決闘を挑んできたので叩きのめした。
怒るかと思ったら意外にもネビルは素直にこれまでのことを謝罪し、心を入れ替えたように小姓の仕事をこなすようになった。
そのためネビルを除名し実家に送り返すという話はなくなり、俺が騎士となったあとは頼れる部下として随分と一緒に仕事をしたものだ。
今も立派に騎士として戦っていることだろう。




