153話 追い風の日
2日後。
ゾルタン港区の桟橋。
北と東は巨大な山脈に阻まれるゾルタンだが、海を見ればどこまでも続くような青空が広がっている。
今日は冬らしくない温かな強い風の吹く日だった。
「うん、良い風だ」
リリンララが言った。
「風の向きも追い風だな」
「レオノール王妃も2人のアスラデーモンも消え、我らの勝機は十分にある……が、レオノールに従っていた貴族達が今更素直に我らに従うわけもない。他国に嫁いだヴェロニア王家の血を担ぎ上げ、旧王復古を主張するだろう」
「戦いはこれからか」
「その門出の日が追い風だ。船乗りとしてはこの上ない吉兆だ」
リリンララは嬉しそうだ。
今日はリリンララとサリウス王子がゾルタンを旅立つ日。
すでに補給は終わり、最後に残った船員達が、別れを惜しむゾルタン人達の歓声と共に海に浮かぶガレー船へと向かっていった。
他国の人間からこのように歓声を浴びることになれていないのか、海賊のような荒々しい風体のリリンララの兵士達が、照れたり涙ぐんたり、貰ったハンカチを大事そうに抱えていたりしている。
そんな部下達を見るリリンララは苦笑していたが、眼帯の無い左の目はとても優しい色をしていた。
「ミスフィアについていったあいつらが、このゾルタンに残った理由も分かる気がする。ここはいい町だ」
「それでも逃げ出す船員がいなかったのはすごいな」
「連れてきたのは長年共に船に乗ってきた奴らだ。船乗りを消耗品と思っている他所の海軍どもと違って、海賊にとって同じ船に乗る船乗り達は家族なんだよ」
海賊は寄るべき国を持たない。広大な海を誰の後ろ盾もなく進むアウトローだ。
だからこそ、同じ船に乗る仲間は厳しい上下関係を築きつつも、全員が船長に対して意見できる権利を有するという関係を構築している……そういう海賊もいるようだ。
もちろんすべての海賊がそうではないが。
「お前達にも、この町にも本当に世話になった、決して忘れない……達者でな」
市長達と話していたサリウス王子が船に乗り込んだのを見て、リリンララも俺達に別れを告げて移動する。
リリンララ達と会うことも、少なくとも魔王軍との戦争が終わるまでは無いだろう。
もしかしたらもう二度と会うことも。
ゾルタンは辺境なのだ。
「これで良かったのか?」
「ええ、これで良かったのよ」
俺が振り返ると、杖を突いたミストーム師が穏やかな表情でそう言った。
「おそらく今ヴェロニアに行かなければゲイゼリクとはもう会えなくなるぞ」
「分かっているわ、でもいいのよ。私達は出会って、そして別れた……ずっと昔に終わった物語なの。今回の出来事は私やレオノールの過去を清算するためではなく、サリウス王子の未来のための戦いだった」
「サリウス王子の戦いか……確かにそうかも知れない」
「ええ、私はゾルタンのミストームとして、あとは静かに余生を送るつもり。まぁたまには若い冒険者と一緒に旅をするのもいいわね」
「また無茶するとガラディンが怒るぞ」
「毎回使える言い訳を考えておかないと」
ミストーム師は苦笑した。
だがその苦笑はすぐに晴れやかな笑顔へと変わる。
「私の物語はこれで終わったんだね、なんだか実感が湧いてきたよ」
ミストーム師の声は、嬉しいような寂しいようなそんな響きがあった。
「あとは最初の一歩を踏み出す冒険者の背中をそっと押して導くような、そんなお婆ちゃんとしてゾルタンで暮らすことにするわ。パーティーも正式に解散。Bランクの称号も返上して、Dランクってことにしてもらおうかね」
「救国の英雄がDランク冒険者になるのか」
「だってBランク冒険者が新人に混ざったらなんだか厭味ったらしいじゃないか」
「たしかになぁ」
ミストーム師は肩をすくめた。
それから少しうつむき、顔を上げると俺の目をまっすぐに見据える、
「ありがとうレッド。あなた達のおかげでゾルタンは救われた」
「俺達はただ、自分達の住む町と手の届く友達を失いたくなかっただけだよ、全部自分のためさ」
「そうね、ゾルタンは小さな国だから、それで十分……」
ミストーム師が最初に出会った時より、少し老いたように見える顔で笑う。
「あとはお願いね」
ミストーム師は俺にそう言った。
サリウス王子とリリンララがゾルタンを離れた日、ミストーム師は正式にパーティーの解散をギルドに届け出た。
Dランク冒険者、“ご隠居”ミストーム。
彼女が大きな事件に関わることはもう無かったが、ゴブリンなどを侮って冒険に出かけようとする新人を引き止め、彼らの最初の冒険を手助けする姿を見ることができた。
その静かな晩年は俺から見ても幸せそうで、こういうのも悪くないと思えるようなものだった。
変わるものもあるが、俺達は守り抜いた元の日常へと戻っていく。
リットやルーティと一緒に。




