144話 レオノールの奇策
戦争における射撃戦の優劣は、何よりそれぞれの陣営の位置が重要だ。
特に「高さ」は、練度や武装、数や加護の差さえ覆す。
城壁の上から降り注ぐ素人民兵の矢は、精鋭の弓兵をも容易に殺す。
「だめだ! 下がれ下がれ!」
小舟に乗るレオノールの傭兵達は、リリンララの船から海へと降り注ぐ矢にたまらず後退した。
その様子を見て白髪の混じった傭兵隊長は、自分の指揮する一団に迂回することを指示した。
「まるで要塞だな、あんなのとまともに戦ったら商売にならん。他の奴らに任せよう」
同じように考えた傭兵の船も後に続き、10艘の小舟が大きく迂回して川岸側からゾルタンを目指す。
だが、彼らを待ち受けるのはショーテルを両手に構えた英雄リットだ。
ヒラリと黒い影が空を跳び、衝撃と共に傭兵達の船へと着地する。
「な、なんだ!? 女だと!!」
驚きながらも傭兵達は使い込まれた剣を躊躇なく突き出した。
さすがにゾルタンの冒険者とはモノが違う。
混乱状態にあっても訓練と経験によって反射的に戦うことができる精兵だ。
だが。
「はぁっ!」
リットの気勢と共に、両手のショーテルが嵐のように暴れまわる。
傭兵の剣は空を切り、身を守る盾を超えてショーテルの大きな湾曲が刃を届かせた。
攻撃も当たらず、防御もできず。
傭兵達は瞬く間に斬り伏せられる。
唯一、隊長であった白髪交じりの傭兵の判断は的確だった。
男は手にした剣をリットに投げつけ僅かな隙を作ると、躊躇なく海へと飛び込んだ。
(ありゃ無理だ)
戦場を生き抜いてきた歴戦の男は、海中で着ていたチェインシャツを脱ぎ捨てると必死に泳いで逃げていった。直感がリットには絶対に勝てないと彼に教えたのだ。
そして彼の直感は正しかった。
小舟を制圧したリットは、休むまもなく跳躍する。
「ひっ!?」
3艘も壊滅させた頃には、傭兵達は我先にと海へ飛び込み逃げ出していた。
「まぁ、金で集めた傭兵達ならこんなものよね」
傭兵達は信用のため命は懸けるが、死ぬと分かっている状況で戦うほど忠誠心は高くない。
それも継続契約している傭兵ではなく、今回の遠征のために掻き集めた者達ともなればなおさらだ。
「海辺から上陸しようとしている部隊は走竜騎士達がうまく撹乱しているわ。集結さえされなければゾルタンの低い城壁でも持ちこたえられる。傭兵達もわざわざ上陸戦から攻城戦なんて面倒くさい連戦よりも、川を突破して城壁の内側へ上陸したいと考えているみたいね。戦力の大半はこちらに集中している」
リットは状況を確認しながらつぶやいた。
「レオノールの傭兵達の動きが鈍くなってきている。楽な勝ち戦のつもりが、当てが外れて命が惜しくなったのね」
☆☆
「ならばもうひと押しだ」
覆面をしたサリウスは部下達に前進を指示する。
リリンララの船の影から飛び出したキャラベル船を操るのは、数え切れないほどの海を乗り越えた船乗り達だ。
リットの起こした追い風と、川の流れに乗って滑るような速度でガレオン船の横腹へと突撃する。
ガレオン船は近づいてきた中型船に向けて、まばらな矢を放った。
小舟と兵士を降ろす手は止めず、大した敵ではないと判断しているようだった。
「ふん、素人め」
サリウスはそう言って笑うと、部下達に合図する。
サリウス達は、船の後ろにつないでいた小舟に飛び乗ると、すぐにロープを切った。
追い風を受けて真っ直ぐ進むキャラベル船からサリウス達は全力で遠ざかる。
船をぶつけるつもりだと気がついた時には遅い。
さらにこの船の傭兵達は海戦の経験が少ないのか、キャラベル船の中から煙が吹き出しているにもかかわらず慌てている様子がない。
ただ船をぶつけるだけだと思っているのだろう。
タイミングは完璧だった。
船がぶつかる寸前、キャラベル船が轟音と共に爆発した。
ガレオン船の甲板にいた傭兵達が吹き飛んだ。
穴の空いた船は大きく傾き、ミシミシという断末魔の叫びを上げながら沈没していく。
パニック状態になった傭兵達は、船を立て直す素振りすら無く船を捨てて逃げようとしていた。
「ふ、船に爆薬を積んでやがる! 帆を上げろ! 回避機動を取れ!」
「海に降ろす兵は少し待て! 船を守る兵力が必要だ!」
残った7隻のガレオン船が、慌ただしく帆を上げる。
だが向かい風に煽られ、巨大なガレオン船はバラバラに動き出す。
「おい! こっちに来るなぶつかるぞ!」
「お前らこそどけ! こちらは動けない!」
「何だと!? こちらもまだ制御が……!」
2隻のガレオン船が衝突した。
船が大きく揺れ、甲板から転がり落ちた兵士もいる。
他の船も、まだ帆を上手く使えておらず、どの船も制御不能に陥っていた。
その様子を眺めながらリリンララが笑う。
「私が最新鋭のガレオンを、あんたに盗られると知りながらヴェロニアに置いていった理由を考えなかったのかい? たしかにそいつはアヴァロン大陸最強の新型だ。だがね、そいつを完璧に操るには生半可な訓練じゃ追いつかないんだよ。ちょっと船に乗れるくらいの傭兵なんかじゃそうなる」
ガレオン船から降りてくるはずの増援がなくなり、海上の傭兵達はますます士気を下げた。
取るに足らない辺境の小国ゾルタンの人々は彼らが思っていたよりずっと手強い。
英雄リットはもちろんのこと、ゾルタン兵達も勇敢に戦っている。
傭兵達はこのまま攻めたら大きな被害がでることを理解してしまった。
彼らは段々と敵に接近するのを嫌うようになり、届かない距離から矢を放って戦っているフリをする者が現れ始める。
こうなれば傭兵達が次々に逃げ出し、戦線が崩壊するのも近い。
そうなる前に退却の命令を出して一度傭兵達を集結させるのが上策だ。
リットはまず緒戦は勝利したと確信した。
(これでレオノールも少しは悔しそうな顔してるかな)
リットは艦隊の中央で動きを見せず構えている魔王の船を見た。
甲板に上に立つレオノールは2人の王子と何か会話をしているようだ。
「……笑っている」
レオノールの小さな顔が楽しそうに笑っているのが見えた。
リットは嫌な予感で不安になるのをこらえながら、何が起きても対応できるように構える。
だが、それから起きたことは英雄リットをもってしても、ただ口を開けて呆然とするより他無かった。
「ありえない……!」
リットは思わずそう叫んでいた。
甲板には印を組む2人の王子と、その周りに座り同じように精神集中しているヴェロニアの魔法使いが5人。
この7人が何をやっているかは、魔法の知識がない者にとっても一目瞭然だった。
「魔王の船が……浮いている!?」
浮いていると言っても、水面から離れて空を飛んでいるわけではない。
だが鋼鉄の船ウェンディダートは入れないはずの川の中で前進を開始していた。
王子達の魔法で船を持ち上げているのだろう。本来なら座礁してしまうような川を巨大な船が進んでいく。
ウェンディダートは全長100メートルを超える鋼鉄の船だ。
いくら7人がかりとはいえ、あれを魔法で持ち上げることは通常不可能だ。人類最強の魔法使いである『賢者』アレスですらできなかっただろう。
「アスラデーモンの魔法」
リットはショーテルの柄を握りしめながら言った。
それは人智を超えた力だった。
戦場にいるすべての人間やエルフ、レオノールの傭兵達ですら戦うのを止め魔王の船を呆然と見つめていた。
「まずい!」
最初に我に返ったのはリットだ。
すぐさま自分のキャラベル船へと戻って叫ぶ。
「ウィリアム卿! この船をぶつけるわよ! あれがゾルタンまで到達されたらまずい!」
「わ、分かった!」
リットの船が帆をはためかせて進む。
だが、近づく前に魔王の船の甲板に設置された大型のバリスタが、槍ほどもある鋼鉄の矢でリットの船を狙った。
城門すら貫く攻城用のバリスタだ。直撃すれば20人乗りのキャラベル船に穴をあけるだけの威力は十分にある。
それに加えて、甲板の傭兵達のはなった矢が嵐のように襲ってくる。
「あいつら手強い!」
リットほどではないにしろ、あの船を守る傭兵はレオノールが頼りにしている百戦錬磨の英雄達。
全員加護レベル30近くある、Bランク冒険者相応の実力者達だろう。
Bランク冒険者とは、町の危機を解決できる冒険者パーティーというのが基準。つまりは、町が数百人規模の軍を投入しても解決できない問題すら解決する冒険者だということだ。
それぞれが一軍に匹敵する兵達であり、英雄リットですらこの状況を単独で突破するのは難しい。
「ど、どうするリット殿! まったく近づけない!!」
ウィリアム卿が悲鳴をあげた。
「……レッド」
リットはそうつぶやいてから微笑する。
大丈夫、私達にはレッド、ルーティ、ティセがいる。
あそこにいる英雄達なんて遠く及ばない、このゾルタンでスローライフを送る世界最強の英雄達が。
だからリットは絶望しない。
☆☆
レオノールは満足そうに海の上にいる有象無象を見下ろしていた。
勇気に酔い痴れ、勝てない戦いに夢を見ていた者が、現実を知り絶望するのを眺めるのはいつだって心地がよい。
あの生意気なハイエルフの海賊リリンララが必死の形相で応戦しようと叫んでいるが、その顔には優秀がゆえに敗北することを理解してしまったものの見せる陰があった。
「判断を誤ったわねぇ」
甘ったるい声でレオノールはささやいた。
ゾルタンが味方になったことで、リリンララは地の利を得たように思っていたのだろう。
だが、河口を封鎖された状態で川上に位置するリリンララの船にはもう逃げ場がない。
リリンララもサリウスももう助からない。
彼女達はもうレオノールの手の中にある。あとはそっと指に力を込めて握りつぶせば終わりだ。
「でもまだ殺さないから安心して……殺すのはお姉様の目の前で。何日も何日も拷問にかけてから。お姉様が泣いて許しを乞いて、自分の方を殺してくれと懇願して、それを踏みにじってから殺してあげる。まだまだ長生きできるわ」
レオノールの目は暗く濁っていた。
寿命が尽きようとしているこの王妃に残されたものは狂気と憎悪のみ。
人生最後の野望の成就を確信し、レオノールはついに声に出して哄笑した。
「それがあなたの敗因よ、レオノール」
「お姉様!?」
レオノールは背後を振り返る。
聞こえるはずのない声だった。
だが姉妹の歪んだ絆が、聞こえないはずの声を届けたのかも知れない。
次の瞬間、ウェンディダートの甲板が大きく傾いた。
レオノールはたまらず倒れ甲板をぶざまに転がる。
「な、な、何が起こったのです!?」
そう叫んだレオノールが見たのは水柱とともに現れた一隻の船。
古びたその船は、すべてのマストを切られ、扉など多くのものが取り外されているが、その船をレオノールは知っていた。
「あれはお姉様のレグルス号!? そんな馬鹿な! ありえない!」
海中から飛び出した船の甲板には人影が立っていた。
その姿を見たリットは笑顔になって叫んだ。
「レッド!!」
「悪い! 待たせた!!」
甲板に立っているのはレッド、ルーティ、ティセ、ガラティン、そして。
「私とゲイゼリクがどうやってその船を魔王から奪ったのか、あなたに話したことは無かったかしら? レオノール!」
「お姉様あああ!」
ミストームがレオノールを見下ろしていた。
「私を見下すなあああ!!」
「母上! 我々にお掴まりください、船がぶつかります」
「黙れえ! あれをなんとかしなさい!!」
「聞き分けのない母上だ!」
ウズク王子がレオノールの手を掴む。
それとほぼ同時に、ウェンディダートの後方から飛び出したレッド達の乗る船が、船尾へと伸し掛かるように激突する。
激しい衝撃でさしもの英雄級の傭兵達も、船の縁に掴まり甲板から落下しないようにするのが精一杯。
そして、魔王の船を持ち上げるために精神を集中していた魔法使い達はひとたまりもない。
気がついたときには彼らは空中に投げ出され、レオノールと2人の王子を残して海へと落ちていった。
魔法が崩れ、ウェンディダートはレッド達の船に押しつぶされる形で川底に座礁した。
恐るべき魔王の船は、もう前にも後ろにも進めない。
レッド達は魔王の船へと飛び移った。
狼狽するレオノールを見て、レッドは呆れたように呟いた。
「まぁ……軍人でもない素人の政治屋が指揮を執ったのが敗因だな」
レオノールは奇策によって相手の心を折ろうとした。
なるほど、たしかに宮廷の陰謀を勝ち抜いてきたレオノールらしいとレッドは思った。
だが戦場の王道とは当たり前に勝つべくして勝つこと。リスクのある奇策は戦力で勝る側がやることではない。
レオノールはせっかくの圧倒的戦力を、みすみす失ってしまったのだ。




