表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/177

142話 英雄の二つ名

 翌日。

 朝日が水平線を離れた頃。

 ゾルタンの人々が交代で仮眠を取りながら迎えた朝。


「英雄リット」

「ウィリアム卿、どうしたの?」

「冒険者ルールとティファ、ミストーム師と冒険者ギルド幹部のガラディン、あと薬屋レッドの5人がいないようなんだが」

「レッド達なら別働隊として動くみたい」

「別働隊? 近くの漁村の漁師達には集まってもらったが、他の村へ兵士を集めに行っているのか?」

「私も詳しくは聞いていないけど、戦いが始まったら合流するって」

「そうなのか。よく分からんが、総指揮官が把握しているならいい」


 この戦いの総指揮を執る立場にあるのはゾルタン軍のトップである将軍ウィリアム卿だ。

 だが実際に全軍の指揮を執るのは英雄リットに任せ、ウィリアム卿自ら指揮を執るのは麾下である走竜騎士達の部隊のみという段取りになった。つまりゾルタン軍のトップであるウィリアム卿はリットの指揮下に入ることになる。

 ウィリアム卿は実戦経験のない将軍だが、さらに演習において海戦の演習はほとんど行っておらず、自慢の騎士達も慣れない船の上では勝手が分からない様子だ。

 ウィリアム卿以外の貴族達は少数の私兵を雇っているが、仮想敵はゴブリンやモンスターであり、「やっつけろ」と「退却しろ」以外の戦術を使ったことがない。


 リットも魔王軍と渡り合ってきたとはいえ、内陸国のお姫様であり海戦の経験はないのだが、それでもここにいる誰よりも優れた指揮官だろう。

 だからといってあっさりと自分の権限を冒険者に渡すなど、普通はプライドや面子や戦後の責任などが邪魔してできないものなのだが、リットはウィリアム卿達の思い切りの良さに内心驚き感心していた。

 ロガーヴィア公国でリット自身も勇者に軍の指揮権を渡すことに反発していたように、それはとても勇気がいることなのだ。


 ウィリアム卿はリットと共に、錬金術で作った爆薬を積んだキャラベル船へと乗り込む。

 リットや走竜騎士達の役割はこの船を守ることだ。

 敵に乗り込まれ、火でもつけられたらこの船は簡単に爆発してしまう。

 本来は20人乗りの帆船だが錬金術の爆薬を大量に積み込んでいるため、船に乗り込むのは8人。

 敵となる上陸用の小舟に対しては、こちらの方に高さがあり有利に戦えるとはいえ、十分な人数とはいえないだろう。


「英雄リットにゾルタン最強の走竜騎士達。残り2艘には、冒険者ギルド長ハロルドとCランクの精鋭冒険者達、サリウス王子と配下の水兵達。この守りに加えて、リリンララ殿の率いる大軍艦。これなら安心だ」


 他には10艘の小型商用帆船にも、兵士達が乗り込んでレオノールのヴェロニア軍を迎え撃つ。

 ゾルタンでは考えられないほどの大軍勢なのだ。ウィリアム卿は自分が魔王軍との戦いに赴く騎士にでもなったように高揚していた。


「ウィリアム卿。指揮官であるあなたが現実を忘れてどうするの」

「り、リット殿!」

「敵はこの何十倍も強大よ。リリンララの軍船1隻でゾルタンを制圧できると恐れたのはついこの間でしょう。今度来るのは最新鋭の軍艦8隻に、ヴェロニア王国の切り札である魔王の船」

「そ、それはそうだが」


 冷水を浴びせられたような表情で、ウィリアム卿は困惑する。

 リットはついさっきまで、兵士達にこの軍勢なら必ず勝てると鼓舞して回っていたのだ。


「指揮官達には伝達したように、私が鼓舞し、あなた達が抑えるの。でないと……これから見る現実との落差に、兵士達が動揺するわよ」


 ゴクリとウィリアム卿がつばを飲んだ。

 リットは海を指差した。

 遠くに見える海に大きな影が現れる。

 まだ距離があるため、その大きさは実感として兵士達に伝わっていない。

 だがすぐに分かるだろう。


「大きい」


 ただ1人、リットはその威容に驚いていた。

 魔王の船ウェンディダートの姿は、ミストームの記憶を見せてもらった時に確認している。

 だが実際にこうして自分の目で見るのとでは迫力が違う。

 120メートルにもなる長大な全長。

 随伴する全長40メートルのガレオン艦隊が小舟に見えるほどだ。

 ウェンディダートは煙突から黒い煙を吐き出し、巨大な外輪で海をかき混ぜながらゾルタンへと近づいてくる。


「お、おい、なんだあの船、煙を吐いているぞ」

「本当に船なのか、貴族様の屋敷よりでかい」

「中央にはあんなものがあるのか」


 ウェンディダートが近づいてくるにつれ、ゾルタンの兵士達に動揺が広がっていく。


「り、リット殿!」


 ウィリアム卿が震えながらリットを見る。

 ウェンディダートとガレオン艦隊はもうすぐ河口付近まで到達するだろう。


「ウィリアム卿、兵士が見ているわ。上に立つ者はどんな絶望的状況でも胸を張って」

「な、情けないと自分でも思う。だが、震えが止まらないのだ」


 涙目になりながらウィリアム卿は自分の太ももを叩いた。

 それでも震える足は収まらない。


「それでも」


 リットはウィリアム卿を見て微笑む。


「それでも私はあなたを臆病だとは思わない。あなたは私に任せてくれた。できると言い張って土壇場で失敗するよりも、自分のできないことを人に任せる勇気があった」


 リットは右手を掲げる。


「だから、この状況を覆せる」


 リットは意識を周囲の風に向ける。


「風の精霊よ、我らの勝利を導き示せ! コントロールウィンド!」


 ゆったりと川上へと吹いていた風が止んだ。


「さあ、船乗り達は帆綱ほづなをしっかり掴んで!」


 リットが叫ぶ。

 次の瞬間、強い風が追い風となってゾルタンの船を押した。


「風だ!!」


 船を操る者達は慌てて帆を操作する。

 リットはすべての船が落ち着いたのを見てから、声を張り上げた。


「海戦は風上が有利! ゾルタンの風はゾルタンに味方する!」


 リットの大声は良く響く。

 だがその大きな声は耳に不快ではなく、聞き入りたくなるような不思議な響きがあった。


「巨大な船が怖い? 見たこともない大艦隊が恐ろしい? なるほど、たしかに海の上で出会ったらひとたまりも無いでしょうね。でもここはゾルタン。あんな巨大な船を受け入れる港なんて存在しないことを、あなた達は誰よりも理解しているでしょう? あの船はどれもゾルタンへはたどり着けない。私達が戦うのは、あの船から降りてくる、小さな小さな小舟ばかり。風も川も、私達の住むゾルタンが相手の動きを妨害し、私達に味方する!」

「勝てる……のか?」


 誰かのつぶやき。

 それは小さな声だったが、リットは聞き逃さない。


「勝てるのかですって?」


 リットはそこで言葉を切り、自分に注目している兵士達をゆっくり見渡す。

 その動作に、その間に、人々はリットの姿から目が離せなくなる。

 次の言葉を、今か今かと期待する。


 英雄リット。

 彼女がロガーヴィア公国で、王が決めた皇太子を差し置いて次期女王へ推す声が起こってしまったのは、ただ彼女が強かったからではない。


「もちろん! この私、英雄リットの名にかけて! これはミストーム師を守って死んだという言い訳のための戦いなんかじゃない。ミストーム師を守り抜き、ゾルタンは大国ヴェロニア王国を追い払ったと語り継ぐための戦いよ!」


 静まり返った中、誰かが叫ぶ。


「勝利を!」


 それに応えるように、リットは一段強い風を吹かす。

 リットの声は風に運ばれ、すべての兵士達にはっきりと聞こえた。


「私達に勝利を!!」


 リットの言葉は兵達の心を打った。


「勝利を! 勝利を! 勝利を!」


 互いの叫びが、互いを鼓舞し、士気を限り無く高めていく。

 加護を超えた、生まれ持った王女としてのカリスマ。

 人々が感じているのは、英雄リットの後に続けば上手くいくという安心感。


「勝利を!」


 リットの後ろで兵士達と一緒になって叫ぶウィリアム卿を見て、リットは苦笑した。

 これでまたしばらくは冒険者に戻らないかと言われることが増えるだろう。


(私はただレッドと静かに暮らせればそれで十分なんだけどな)


 だが、このカリスマのおかげでリットはロガーヴィアでレッドと対等の仲間として肩を並べて戦い、故郷を離れることになり、そして愛するレッドと再会することができた。

 だからリットは、自分の能力を否定はしない。

 人生とは不思議なものだと、リットは心の中で笑った。


「さっさとやっつけてレッドと私の家に帰るんだから」


 愛剣である2振りのショーテルを左右に構え、リットはヴェロニアの艦隊を睨むとそう言ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書籍版真の仲間15巻が7月1日発売です!書籍版はこれで完結!
応援ありがとうございました!
↓の画像をクリックすると特設ページへ!




― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ