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110話 ルーティは激怒した

 同時刻。ゾルタン中央区南側の通り。

 おでんの入った袋を下げて、ティセが一人、夜道をテクテクと歩いていた、

 うげうげさんは、ティセの腕に捕まり買い物袋の中を覗き込んでいる。

 中には鶏団子、大根、牛すじ、玉子。ちくわが無いのはヴェロニアの軍船を恐れて漁師達の活動が鈍り、魚の値段が上がっているせいだ。魚のすり身を原料とするちくわも、値段が上がりオパララのような小さなおでん屋では対応できなくなっているのだった。

 鶏団子などひき肉系を増やして対応しようとしているようだったが、やはり味の違いは大きい。


「許さない」


 おでんの具はちくわこそ最高という固い信条を持つティセにとって、ヴェロニアの軍船は許されざる存在へと変わっていた。

 肝心の調査の方はもう詰めに入っているところだ。

 情報が入りにくい辺境ゾルタンとはいえ、冬至祭の時にいたヴェロニア人の船乗りなど、外から交易品を運んでくる者はいる。

 それにティセ自身、もう数ヶ月前とはいえアサシンギルドから得ていた情報もある。


(3国の海を荒らし回った海賊覇者も、いまや死の淵か)


 もちろん、ヴェロニアの王たるゲイゼリク王が、この微妙な時勢に床に伏しているなどという弱みを見せることはない。重要な式典には参加して顔を見せているし、国政にも影響を与えないよう最大限の注意を払っているようだ。

 だが、いくら隠しても、死に逝こうとする者の運命を変えることは出来ない。暗殺者としてさまざまな死に立ち会ってきたティセは、集められた情報からゲイゼリク王の死の匂いを敏感に感じ取っていた。


(そろそろか)


 ルーティとティセが住んでいる屋敷まであと数百メートルほど。人通りの少ない路地へと入ったティセは、左手におでんの袋を下げたまま、隠し持つショートソードをすらりと抜いた。


「バレていたか」


 背後の影から現れたのは長い耳をした男。

 サリウス王子の背後にいたハイエルフの一人だ。


「やはり只者ではないようだ」


 ハイエルフの右手には三叉の槍トライデントが握られている。それに左手には折り畳まれたネット。


(あれなら私にも分かるわ。『グラディエーター』の加護持ちね)


 ティセは相手の加護に当たりをつけた。あの特徴的な武器の組み合わせを得意とする加護は極めて少ない。

 『グラディエーター』は大衆の前で戦う競技戦闘を得意とする加護だ。もちろん、大衆がいなくても、戦闘スキルの大半は機能する。

 ハイエルフは整った口元を歪めて笑った。


「強いな。だが俺は戦いに来たのではないぞ」

「用件はなんでしょう」

「お前の仲間は預かった。無事に返して欲しければ我らの船までご同行願おうか」

「…………」


 ハイエルフの言葉を聞き、ティセは考え込んでいた。


(仲間というとルーティ様のことだけどルーティ様を捕まえるなんて人類には不可能よね。となるとレッドさんとリットさんだけど、あちらもどんなに低く見積もってもヴェロニアの軍艦10隻くらい持ってこないと捕まりそうにないし……あとは……屋敷に住み着いている野良猫くらいしか思い当たらないなぁ)


 肩に登ったうげうげさんと首を傾げ合ってティセは困惑する。


「驚いているようだな。だが、俺の加護には相手の加護レベルが自分より高いか低いかを察知するスキル“強敵洞察”がある。お前は加護レベル39である俺よりも強い。ヴェロニアでも俺より強いやつは右手で数える程度しかいないのだが、こんな辺境にお前のような英雄がいるとは驚きだ」


 レベル39、なかなか高いとティセは思った。そのレベルならアサシンギルドでもよっぽどの精鋭、騎士団なら団長クラスだろう。ヴェロニア王国屈指の戦士という自称はハッタリではない。

 まぁティセは加護レベル60を超えているのだが。


「だから俺には分かったのさ。お前の仲間の鎧を着た女。あいつがまったくもって弱いってことが」

「?」

「とぼけても無駄だ。あいつのレベルは俺より低かった。そして俺の隣にいた相棒の加護は『奴隷狩り』。自分より弱い相手に有利になるスキルを持っている。あいつの加護レベルは俺と同じだからな。お前の仲間には万に一つも勝ち目はない」

「???」

「まだシラを切るか。だがお前の無表情を取り繕っているその顔の裏に不安が渦巻いていることが

、手に取るように分るぞ」


(無表情なのは訓練したからで、裏に渦巻いているのは疑問だけなのに)


 ティセはますます困惑している。

 ルーティのレベルはティセよりも高い。多分、今や人類の中でも最も加護レベルが高いのではないだろうか?

 そのルーティのレベルを、『グラディエーター』の“強敵洞察”が低く察知したのはどういうわけだろうか?


(もしかして『シン』のレベルを察知したの?)


 ティセもリットも、そしてもちろんレッドも、他人の加護を察知したりするスキルはない。レッドが相手の加護を言い当てるのは、純然たる知識によるものだ。

 だから、加護を察知するスキルをルーティに使った場合、どのような情報として伝えられるのか分かっていなかった。


(レベルの高い『勇者』よりも『シン』が優先されたのね。まさかゾルタンに“鑑定”が使える『賢者』や『聖者』が来るとは思えないけど、『異端審問官』や『魔女狩り』のような、一部のスキルやレベルを明らかにするスキルを持つ加護はある。そういう人とルーティ様が出会った時、『シン』の存在の異常性に気が付かれたら大変だわ)


 うげうげさんも、深刻な様子で飛び跳ねている。これはルーティ様に伝えておかなければ。


「おい、お前さっきから何をボーッとしているのだ。本当にお前俺よりレベル高いのか?」


 失敬な人だとティセは内心憤慨しているが、表情には現れないため、目の前のハイエルフはますますティセのことを見下しているようだった。


「まぁいい。もうじきお前の仲間を連れて相棒がやってくるはずだ。それまで大人しくしてるんだな」

「そうでした」


 そういえばこっちも大変だったと、ようやくティセは意識を向けた。他人事感はあるが、それでも今から自殺しようとしている人を止めるくらいはしておいた方がいい気がする。


「あなたの相棒に今すぐ戻ってくるよう伝えた方がいいですよ」

「脅しか? だが俺を倒したところで相棒のやることは変わらない。お前の仲間は捕らえられ、お前が従わない限り酷い拷問を受けることになる。ヴェロニア海軍の拷問は恐ろしいぞ? どんな屈強な男でも子供のように泣きじゃくり、早く殺してくれと懇願するようになる」

「いえそういうことではなくて」

「それに俺の加護は『グラディエーター』。1vs1でこうしてお互いの姿を認識し合う状況でこそ力を発揮する。お前の身のこなしからして、おそらくは盗賊系の加護だろう。果たしてその余裕面をいつまで続けていられるかな」


 ドヤァとハイエルフは笑っているが、ティセは「ルーティ様も丸くなったし、まさか問答無用で殺しはしないと思うけど……」とぶつぶつ呟いて考え込んでいる。

 どうも自分の言葉への反応が鈍いティセに対し、ハイエルフは段々と苛立ちを募らせていた。


「なんだお前は、『悪霊憑き』や『デュアルマインド』のような話の通じない加護持ちなのか?」


 だとしたら面倒だ。そうハイエルフは舌打ちし、腰を低くして構える。

 戦わないつもりだったが、会話の通じない加護持ちだったら急に襲いかかってくる可能性もあり、人質が意味をなさないかもしれない。

 そんな兆候はなかったはずだがとハイエルフは自問自答しながら、ネットを投げつける隙を伺う。


 彼の戦い方はまずネットで相手の動きを封じ、動けない相手を、動きが大きく避けられやすいが一撃必殺の威力を持つ武技:“大振破壊撃だいしんはかいげき”で攻撃するというものだ。もしネットを避けられた場合は、武技:“網如生蜘蛛あみはいけるくものごとく”で網を動かし、相手の足を絡め取って転ばせ、そこをやはり武技:“大振破壊撃だいしんはかいげき”で攻撃する。

 巨大なモンスター相手には通じない限定的な戦術だが、海賊船で戦ってきた彼にとって、殺すべき相手はすべて人間だった。彼は自分の戦い方に絶対的な自信を持っていた。


 ハイエルフはネットを持つ腕に力をこめ、いまだ戦意を見せないティセに対しいつでも動け、


「ふげっ!?!?」


 その時、空から何かが猛烈な勢いで突っ込んできてトライデントを構えたハイエルフを押しつぶした。


「え?」


 さすがのティセも呆気にとられ思考が止まる。

 目の前には2人のハイエルフが、いろいろ見ちゃいられない姿になってしまっていた。2人とも高レベルの加護持ちだから生きているが、普通なら死んでいるだろう。


「まさか」


 恐る恐るティセは背後を振り返る。

 まだ数百メートルの距離があるティセ達の屋敷。


(投げたの!? あそこから!?!?)


 ティセの理性も本能も、巨人じゃあるまいし、人間にそんなことできるわけがないと否定したくなるが……。


(そういえばマウンテンジャイアントをぶん投げたりしてたっけ)


 無数の山の巨人達に襲われた時、面倒くさくなったのかルーティは剣を収めると、襲ってくる山の巨人を次から次につかみ、崖の下へと放り投げていた事をティセは思い出した。

 最後には逃げ回る山の巨人達とルーティによる命がけの鬼ごっこのようなありさまで、その光景は、まだ仲間になったばかりだった頃のティセの脳裏に深く焼き付いたものだった。

 山の巨人のパワーと重さに打ち勝てるくらいなんだから、人間を数百メートル先へ投げ飛ばすくらい簡単なのかもしれない。


(しかも狙って)


 ピクピクと痙攣しているハイエルフ達をみて、ティセの無表情な顔にも乾いた笑いが漏れた。


(やはりとんでもない人ね)


☆☆


 翌日。


「それで、その2人はどうしたんだ?」


 ティセから話を聞いた俺は、朝食のサラダパスタを皿に盛り付けながら尋ねた。


「ルーティ様が治療した後、縛って屋敷の使ってない部屋に放り込んでいます」

「おでんが冷めていた」


 変なところでルーティは怒っていた。眉を僅かに動かし、胸の前でぎゅっと拳を握りしめ、ルーティなりに精一杯すごく悪いやつだったと俺に伝えようとしている。

 悪いのレベルが長話しておでんを冷めさせたというあたり、ティセの言う「ルーティ様の世界は常人からずれている」という部分だろう。


 まぁそれも個性だ。むしろそこが可愛いくらいある!


「えー」


 俺の表情を見て何を考えているのか察したのか、ティセが口を横に伸ばして微妙な表情をしていた。


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