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[書籍化決定・第一部・第二部完結]緑の指を持つ娘  作者: Moonshine
緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

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フェリクスは、立場上謝罪というものを知らなかった男ではあるが、一度ノエルによって死ぬほど恐ろしい思いをした後に、謝罪することによってことなきを得た。


この成功体験は、(王太子としてはどうかと思われるが)人間としては良い成長を促したらしい。

直角の角度でオリビアとベスに、見事な謝罪をしているところがメイドの掃除用品を納めている倉庫からメイソンの目にチラリと見えた。


オリビアの方はニヤニヤしているし、ベスは困ったような顔をして、3人はとぼけた顔をして倉庫から出てきた。

ノエルほどではないにしろ、それぞれ一応王族の謝罪の意味合いはうっすらと理解している。


「さあ、オリビア、笑っていないでまた殿下の鍛錬が終わる前に掃除を。ベス様、またお風呂の準備をお願いできますか」


「メイソン様、ぜんっぜん、めちゃ笑ってないですよ、ぜんっぜん」


メイソンは何もみていないふりをして、娘たちに指示を出す。


一日5回のフェリクスの入浴。


あの日以来、入浴の度にベスは必ず1から水を変えろと、穏やかなベスにしてはかなり強めにフェリクスに主張していた。

一般的に風呂の水を毎日変えるのはかなりの手間だし、無駄とされ、誰もそんな事はしない。


特に王侯貴族など身分の高い連中は、貴重な香草や、薬草、それに女性の間ではヤギの乳や蜂蜜などを湯に入れたりする事もあるため、数日は風呂の水を換えることはない。下手をすると、ひと月変えないこともザラだ。


だが、こと風呂と寝室に関してはべスの言うことに全幅の信頼を寄せているフェリクスは、1日5回にも及ぶ入浴のその際の水の全てを換えることとした。


(私はあの嫌な気持ちになる黒い風呂に浸かり続けて数年、ほとんど肌がよくならなかったのに、ベスの整えた心地の良い風呂で、一気に肌が回復している。貴族の習慣やら、平民の習慣やら、何も関係ないではないか。私は心地よくて肌にも良い風呂に入りたい)


日によって、天気によって、そしてフェリクスの体調によって、毎日毎回、ベスの整える風呂は変わっている。

毎日毎回風呂に入るたびに、少しずつ、少しずつ症状がよくなってきている様子で、毎回の風呂が本当に待ち遠しい。そもそもベスの風呂は気持ち良いのだ。風呂上がりの飲み物まで最高で、べスの風呂に図々しくもほぼ日参しているメイソンの気持ちがようやくわかった。


そして、少し肌の症状が良くなった頃を見計らって、今までオリビアの洗浄魔法に頼りきりだったフェリクスのリネン類の洗濯も、井戸水で洗濯して、そして太陽の下でカラカラに乾かす事も始めた。


ゴワゴワとした、太陽の光で乾かされた麻の手触りと、健康的な太陽の匂いのするリネンの匂いを胸いっぱい吸い込んで、フェリクスは久しく感じていなかった、幸せという感情を思い出す。


シーツに残された太陽の光の微かな温度と、風の名残は、毎夜フェリクスを幸せな眠りの世界に誘い込んでくれる。


いつもフェリクスを恐れて怯えていたオリビアは、仕事が増えてしまったはずなのに、もう怯えた顔など見せず、毎朝ニコニコ笑顔を浮かべて仕事をしている。

(それどころか時々、ニヤニヤした顔をしてフェリクスを見ている不敬についてはおそらく、あの日目撃してしまった代物の事を思い出しているのだろうが)


メイソンはいつもフェリクスがおいたわしいとメソメソ陰気だったのに、フェリクスの容体に安心したのか、最近では暇な時間は一階のサロンで趣味だったピアノを奏でる余裕が出てきたらしい。

盲目のラッカは、フェリクスの鍛錬が終わると、いそいそとバイオリンを持ってその演奏に参加する。盲目ではあるが、あまり楽器の演奏には不自由しないらしいのだ。


田舎者のベスは、ピアノとバイオリンの合奏に、こんな美しい音など聞いたことがないと感動して、よく二人の演奏をねだっており、正直楽器の腕はイマイチの二人の男を大いに照れさせている。

べスの田舎には、バイオリンも存在しなかったそうだ。


あの日ノエルが派手に壊した、古くて陰鬱な、重厚な屋敷への入り口の扉も、ふと思い立ってせっかくだからとフェリクスは修理の際に美しい色に変えてみた。


正直フェリクスはどんな色の扉でもよかったのだが、気が向いて美しい緑の色に変えてみたら、思いがけずにベスとオリビアが大喜びしているので、何となく外壁も塗り替えてみた。


娘たちがもっと喜ぶので、何となくいつも芝を整える庭師に、庭に手入れのいらない花を植えるように指示を出してみた。

庭師が用意した雑草に近い種類の花はすぐ開花し、ミツバチや蝶々が訪れるようになり、娘たちは大喜びして、よく花畑の横で昼食を取っている様子。


その様子を嬉しそうに窓から眺めて手を振るノエルに釣られ、フェリクスも手を振ると、娘たちは当然のように手を振り替えしてくれる。


時々オリビアの恋人もピクニックに混じっている様子だ。


この男は本来は離宮に出入りしてもよい身分の人間ではないのだが、青竹を切った余った端材で石鹸置きを作ってフェリクスの浴室に勝手においていったり、メイソンの力仕事をちょっと手伝ってくれたりと、とても気さくに親切な男な上、オリビアに己の輝かしいものを見せてしまった負い目もある。


フェリクスは細かい事は、もう何も言わないでいる。


ある日、包帯のない状態でのフェリクスにもバッタリ会ってしまった事がある。


羞恥で体が固まって、息が止まる気持ちのフェリクスだったのだが、田舎の大工の男にとって、人の顔の皮膚が爛れているくらい別にどうという事はないらしい。


いつも通り「こんにちわ!」と気持ちの良い挨拶をして、そのままスタスタとオリビアの元に去っていった。


後でフェリクスがオリビアに話を聞くと、この男の祖父は火事で体の一部が焼け爛れているらしいのだが、火傷を負ったその理由が、火事にあった家から若い娘を命懸けで救出したからという理由らしい。


その後若い二人は結ばれて、現在に至るので、男の祖父は、何なら自慢気味に名誉の負傷を見せびらかしているというのだ。

オリビアも男の実家に遊びに行くたびに、傷を見せびらかされて、同じ話を何回もされるので、うんざりしてると笑っていた。


「・・だが、お前はいつも私の爛れた顔を見て、怯えていたではないか」


オリビアと仲良くなって軽口を交わすようになったフェリクスは、ポツリとオリビアに聞いてみた。


「爛れたお顔に怯えていた訳ではありませんよ。いっつも不機嫌で物に当たり散らして、陰気だし、正直フェリクス様はものすごく怖かったですよ。今はお優しい方だと知ってますから、怖くないです」


「・・お前は、私の肌が、顔が、怖いのではないのか?」


オリビアは品悪く、ゲラゲラと笑った。


「そりゃ正直ちょっと怖いですよ。怖いというか痛そうで、お気の毒です。でも、うちのママの神経痛のお見舞いくださるようなお貴族様に、顔が怖いとかそんな小さな事、何も関係ありません!めちゃくちゃありがたいだけですよ!」


(小さな、事)


フェリクスは、己のメイドの言葉に、頭に岩が落ちてきたような衝撃を受けた。


一度、オリビアの母が寝込んでいるとべスから聞いて、ちょうど届いていた王都からの定期便の中に入っていたキャンディを見舞いに渡した気がする。

正直あまり覚えてもない。

オリビアがものすごく恐縮していたのは記憶しているが、フェリクスにとってはその程度の出来事だ。


たったそれだけで、フェリクスがこれほど苦しみ抜いている、皮膚の爛れによる外見の醜さはオリビアの中では完全にチャラになる程度のものらしい。


(森で、ベスに出会った時も、そうだった)


今まで言葉を交わすことすらなかった、平民達との会話は、なんとフェリクスの心を救い、洗い、そして励ますのか。


貴族の社会の中では、外見の美しさはとてつもなく重要な事だ。

顔に少しでも傷の入ってしまった令嬢は嫁ぎ先すら見つける事は叶わず、そばかすの一つですら、呪いのように忌み嫌われる。


フェリクスが完全無欠の王太子と言われていたのは、その完璧とも呼べる美貌、輝かしい金髪、目覚めるほどの青い瞳のためでもあるほどだ。


もしもフェリクスの瞳が緑であったら。鼻があと少し、低かったら。


(オリビアも、べスも、気にとめもしないだろう。ラッカに至っては見えないし)


おそらくここの連中は、何一つ態度を変える事などないだろう。ベスなどは恐らく、明日になってフェリクスの足が一本増えていても、目がひとつになっていても、気がつかないかもしれない。


頭の中で、「ああ、フェリクス様、今日は足が増えたのね」とそれだけ呟く優しい娘の姿が思い浮かばれて、フェリクスの心が優しく温まる。


(私は、とても小さな世界で、とても小さな事で苦しんでいたのかもしれない)


化け物屋敷と恐れられていた陰鬱で悲しみの満ちたフェリクスの離宮は、変わった。


鮮やかな色の外壁を持ち、若い娘達の笑い声と、美しい音楽で満ちている。

花は咲き、蝶は訪れ、いつの間にか、それは美しい場所へと変貌を遂げていた。

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