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[書籍化決定・第一部・第二部完結]緑の指を持つ娘  作者: Moonshine
緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

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完全無欠の王太子と、そうフェリクスは呼ばれていたのは、何もその美貌や血筋、魔力だけではない。

その頭脳の高さと判断能力の高さももちろん、完全無欠の形容詞を彩る要素の一つであった。


そんな完全無欠な頭脳と判断能力の男が、こうも心を掻き乱す、不思議な存在に対して行う次の行動の決断はひとつだ。


(会って、確かめてみる)


幸いにも、と言えるのだろうか、ノエルにはまだ、何一つフェリクスの心の内に何が去来しているのか、気が付かれていない。

そして、これも幸いにも、と言えるのだろうか。件の娘は、フェリクスの目と鼻の先の、フェリクスの温室の中にいるのだ。


今日は鍛錬は休みの日だ。

街で、王宮医師団と、フェリクスの治療方針についての会議を行うため、ノエルが留守にしている、定休の日。

今日は報告のためにラッカも一緒にノエルについていっている。

ここの所ラッカの肌艶が非常によく、少しではあるが、視力を失っているその両目でも、光がよく感じられるようになったと喜んでいる。


(都合が良い、などと考えてしまうのは間男の考えだ。私は断じてそういうつもりで訪問するのではない。鍛錬の時間が空いたから、自分の敷地を見回るついでに温室にも立ち寄る。ただそれだけだ)


フェリクスは自分に色々と言い訳を与える。


なお、フェリクスは温室の中に入った事はない。

フェリクスは特に植物に興味があるわけでもないし、この離宮に来たのは肌の疾患がひどくなってからだったので、できるだけ外に出ないようにしていた事もある。


温室を、自室の窓から初めてまじまじと眺めてみる。


今更ながら、かなり立派な作りの大きな温室だ。


この離宮が建立されたのはもう数百年前だし、温室が建立されたのも同じ頃だろう。

非常に背の高い作りになっている温室は、王宮式と呼ばれている建築技巧の中でも、特に珍しい建築の様式である事は、気が付いていた。


ぼんやりとアビーブ王国の歴史を頭の中で反芻していると、横に控えていた家令のメイソンが咳払いをした。どうやらしばらくぼんやりと窓のそばで立ち尽くしていたらしい。


「メイソン。温室に向かう。用意を」


フェリクスは意を決すると、驚きで口をパクパクとさせているメイソンをよそに、温室に向かう決意をした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「はーい、開いてまーす」


フェリクスは相当な覚悟を決めて、温室の扉を叩いたのだが、中からは非常に間伸びした、若い娘の声が聞こえた。


フェリクスは扉を前に、躊躇う。


やはり、人に、それも己の感情を揺さぶっている娘に、この見窄らしいこの包帯だらけの姿を晒すのは恐ろしいのだ。


フェリクスは、ノエルのきめ細やかな白い肌をふと思い出した。


「殿下、入りましょう」


フェリクスは、後ろに控えているメイソンに促されて、恐る恐る中に足を踏み入れた。


(・・ほう)


内部は外から見るよりも、随分広い作りになっていた。


そして、どうやってこの短期間でここまで温室を整えたのか不思議になるほど、内部は心地の良い空間が広がっていた。

このアビーブの火山帯特有の生態系を築き上げている大小の植物達が、所狭しと配置されてあり、さながら小さな森の中の様だ。

珍しい植物も、そうでない植物も、どれも同じように大切にされている様子だ。

どれもよく手入れされている。


どの植物も生命力に満ちており、生きる喜びを体全体で表している。

葉はのびのびと伸びて、根は自由に地におり、花は安心してその花弁を広げている。


どの植物も無理がない。


ただ、あるべき姿があるようにそこに存在し、その存在が祝福されているように、見える。


蟻の隊列が、キノコを運んでいるのが見えた。


この個体は森にしか住まわない。アビーブ火山帯の固有種だ。

酸性の強い森林地帯でしか生えないキノコを好んで食すため、森を出るとすぐに弱ってしまう。

だが、この温室ではどうやら元気に繁殖して、この蟻の主食である、キノコの収穫をしている様子だ。

キノコは人口では繁殖しない。

この温室は、生き物たちから、健やかな森と認識されている様子だ。


(・・・見事だ)


植物に詳しくはないフェリクスでも、感動するほどの素晴らしい空間だった。

これほどまでに命の喜びが満ちている空間を、フェリクスは知らない。

ノエルが「天才だ」と手放しで誉めていたその能力は、贔屓から出た言葉ではないらしい。


「おお、いつ来ても実に見事な出来栄えですな。さすがです」


メイソン家令は上機嫌でフェリクスの先をゆっくりと歩く。

どうやらメイソンはよくこの温室に遊びに来ているらしく、足取りに迷いがない。


ふと、フェリクスは足を止めた。

病気になっている蘭の一種が、温室の隅に置かれていたのだ。

葉はいくつも黒く腐り落ちて、茎にも茶色いシミのような点がたくさんついていた。


この植物にはよくある病気に罹っている様子だ。


(・・・)


フェリクスは、その蘭の鉢植えをの腐った葉を見て、なんだか涙が出そうになった。

そうは珍しくない蘭の一種で、森に入ればいくらでも代わりが見つかるような蘭だ。


だが、その病気の蘭はとても丁寧に手入れをされている様子なのだ。


他の健康な蘭の鉢と分けられて、どうやら特別の配合の水と肥料が与えられているらしい。

赤いリボンで印の付けられたジョウロと、石灰土が横においてある。


この蘭の世話に使っているらしい金の霧吹きは、王家の紋章が入っていた。


病気の蘭の世話に使うには格式が高すぎる、古めかしい霧吹きだ。

おそらくこの温室に長く放置されていたものを使っているのだろう。


フェリクスは、もっとよくこの蘭を観察してみることにした。


足元に何枚も腐った古い葉が落ちてはいるが、その後には新しい葉が姿を見せており、先端についている花の蕾は、花開くことを諦めてはいない様子だ。


丁寧に剪定された後がいくつも見える。土は柔らかく掘り起こされて、そして丁寧に石灰と、貝殻の粉が撒かれていた。


おそらく相当手間をかけて、時間をかけて、この病気の蘭を癒しているのだろう。


(森に入れば、いくらでも代わりの蘭を見つけられるだろうに)


だが、この蘭を世話している手は、他のどの代わりの蘭ではなく、この鉢植えの、どこにでもある蘭に心を砕き、時間をかけて世話をして、心から慈しんでいる様子なのだ。


蘭は確かに病気だが、生きる力に溢れていた。

そして、幸せそうに伸び伸びと残った葉を空に広げていた。

腐った葉と、茶色いシミのある茎で、それでも森でよく見る、真っ白な美しい花をもうすぐ咲かせるのだろう。


(お前は、生きる事を諦めないのだな。そして、お前を助けようとしている手が、あるのだな)


病気の蘭の鉢植えを前に、フェリクスは爛れた肌を持つ己の身を思って、込み上げてくる思いにしばらく動けなくなっていた。


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