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「ベスちゃん、今日のお風呂も最高だったわ。本当にありがとう。でも森で出会った、怪我した亀の浸かっていた外のお風呂に入りたいだなんて、面白いわね」
すっかりベスと仲良くなったミリアは、案の定べスの風呂の虜になってしまい、しょっちゅうこうして風呂に入りに遊びにきている。
ベスの風呂が神経痛にとてもよかったのはもちろんなのだが、色々長年抱えてきた辛い思いや、悩みがすべて湯の中に溶けだして、そして心と体が息を吹き返すような気がするのだ。
最初は遠慮がちにミリアもオリビアの後ろについてやってきたのだが、べスは訪ねるたびに喜んでくれるのだ。すっかり娘を通りこして、ミリアはベスの友人になっていた。
「オリビアのおばさん、だって王都の広場のお風呂は外で入れて、とても気持ちよかったのよ。ここにも外で入れる温泉があればいいのに。でもね、森で見た、亀の入っていた天然のお風呂の方が、王都のお風呂よりもよほど気持ちよさそうだったわ。あれからどんなに探してもあの場所は2度と見つからないのだけど、絶対にあのお風呂は最高だと思うの」
ベスはミリアに風呂上がりの飲み物を渡しながらいった。
今日の飲み物はレモネード。今日のレモネードには生姜がたっぷり入っていて、ピリリと辛くて大人の味だ。
丁度いい温度に冷やしていて、辛さと刺激で目の裏から汗が出る。五臓六腑にしみわたる。
「王家の森の奥の源泉のところなのよね、私ここで生まれ育ってるけどそんな場所があっただなんて聞いたことないわよ。それに、大体森の中で若い娘が外のお風呂に入るなんて、あんたそんなじゃノエル様の所にお嫁に行けなくなっちゃうわよ」
宿の女将さんが笑う。
自分の宿の宿泊客のお風呂だというのに、幼馴染のミリアがベスの風呂にこうもしょっちゅう入りに来るものだから、最近では宿の女将さんまでもお風呂に入りにきてベスの部屋は大賑わいだ。
「ねえ、この子案外、あの伝説の温泉に出くわしたのかもよ。神々が傷をいやしてバラバラになった心と体と魂を癒しにくるとかいう伝説の温泉よ」
「ははは、そうね、ミリア、そんな神話もあったわね。あの奥の森が王家の土地になって立ち入り禁止になってるのも、それが理由だとか聞いた事があるわ。ひいおばあちゃんからだったかな」
「へえ!この土地にはそんなお話があるんですね。面白いなあ。じゃあ私が出会ったあの亀は、何かの神様だったのかしら」
「ははは、案外そうかもよ!なにせアビーブ山の神様は、黒い亀だといわれているからね!べスちゃん、いまから王都に戻って宝くじ買っておいた方がいいかもよ!」
ケラケラと女たちは軽口をたたきあって楽しそうだ。
おそらく魔法伯の伯爵と婚約者に対してこの気安さは大変な不敬に当たるのだろうが、ベスがみんな遊びに来てくれて嬉しいとニコニコ喜んでいるし、ベスが喜ぶなら裸で逆立ちして王都を練り歩いても全く問題のないノエルの二人の滞在する部屋だ。
田舎特有の遠慮のなさもあり、今やこの宿の風呂は毎日誰かが遊びにきてくれて、ベスは幸せだ。
そしてそんなベスをニヤニヤ眺めている、ノエルはもっと幸せだ。
「本当にベスちゃんは天才よね。ここの宿のお風呂はどの部屋も同じお湯を使っているのに、ベスちゃんの部屋は絶妙な温度で、絶妙に植物が置いてあって、お風呂のお湯に入れてくれるものも、ちょうどいいのが、本当にいいのよね。他の部屋のお風呂にも同じように植物を入れたけど、ここの部屋みたいに心地よくはならなかったわ」
宿の女将として、歯がゆいのだろう。女将は少しため息をついた。
「女将さん、毎回お湯を替えるのを許してくださってありがとうございます」
ベスはそんな女将にペコリと頭を下げた。
普通この地域では毎日、それも毎回入浴する度に湯を変えることはないのだが、人にあわせて、効能に合わせて湯舟に入れるものを変えたいので、毎日お湯を変えて欲しいと、ベスにしては珍しい贅沢とも言えるワガママを女将に言ったのだ。
「いいんだよ、湯治じゃ間に合わない私の旦那の関節まで面倒見てくれて、お湯だってノエル様が魔術で変えてくださってるだけじゃないか。こんないいお客さんならもっとワガママ言ってくれてもわたしゃ何にも文句言わないよ」
女将さんは自分用に持ってきた風呂上りのビールを片手に微笑んだ。
そう。湯治で間に合わないような病人の症状は、ノエルが面倒見てやっているのだ。
治療魔術など人生で一度も見たことのないような田舎の人間に、ノエルはポーションを作ってやったり魔術をかけてやったりして、それはありがたがられているのだ。
一般的にはノエルほどの治療魔術師に魔術をかけてもらうなど、王族クラスの人間以外はありえないし、そもそもノエルがこの田舎に来ている理由も、このアビーブ王国の王太子の治療のためだ。
きっとベスと出会う前のノエルであれば、決して巡り合わせた平民に、このような施しはしなかっただろう。
(俺がみんなからベスを独占してしまっているからな。せめての罪滅ぼしだな)
ノエルは、ベスという身も心も溶け切るような最高の癒しを一人で独占して、ほとんど罪悪感をおぼえるほどに幸福なのだ。
(身分やら、名誉やら、俺がこだわっていたくだらない物は一体なんだったかすら、もう覚えてない。ただベスの側が心地よすぎて溶けてしまう)
ノエルはベスがいれてくれる心地の良い風呂に入り、ベスが整えてくれる心地の良いベッドで眠り、ベスが作ってくれる心と体にちょうどいい食事を味わって、ただただ心地よく、ベスの隣にいるという、天国のような毎日を過ごしているのだ。
非常に繊細で、こだわりの強い男だといわれていたノエルだが、ベスによって毎日身も心も溶けるほどに癒される毎日を送る今、平民と貴族だとか、客と宿の女将だとか、目が開いているか閉じているか。
そんな些末な事は、今更ノエルにとって、心からどうでもよい事だ。
部屋をノックする音がする。
「お、今日は遅かったですね」
ノエルは笑顔で客を迎えた。
「ちょっと王都に手紙を送る必要がありましてね」
満面の笑顔の、ラッカとメイソンが、酒を片手に遊びに来てくれたのだ。
ミリアが盲目のラッカの手を自然にひいて、ラッカを椅子に座らせる。
ベスが風呂を準備し、女将さんが冷たい飲み物をとりに下の階に歩いて行った。
盲目のラッカが風呂ですべって怪我しないように、メイソンは風呂に入りに来るときは、必ずラッカと一緒に風呂に入る。
だれがいいだしたわけでもないし、誰が決めた事でもない。
幸せな風呂で癒された人々は、同じく幸せに風呂で癒される人を増やしていきたいと願うものだ。
「今日はラッカ様にはよもぎのお風呂だそうですよ」
ノエルがニコニコと、ラッカの手に柔らかいタオルを渡してやる。
ラッカは照れたように、「ありがとう」と言った。
やはり、こうもしょっちゅう人様の家の風呂に入りに来るのは、身分も良識も遠慮もある男達には少し照れくさいらしい。
ノエルとベスは、幸せな風呂の日々を送っていた。




