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「ベスの田舎の粉挽きになるという俺の夢は、結局叶わなかったな」
温室の植物に見事な水魔法を展開して水を撒きながら、ノエルは、少し残念そうに頭をかいた。
「良いんです。私この温室も好きですし、ノエル様はやっぱり粉を挽いているよりも魔術師様をしている方がカッコいいですから」
うっとりとノエルの水魔法に見とれていたべスはそう言った。
「そ・・そうか、ベスがそういうなら・・まあ、悪くないのか」
言葉の少ないベスに、素直にカッコいいと言われて、ノエルは耳の裏までプシュという音が聞こえるほど、真っ赤になってしまう。
結局ノエルとベスは、ベスの田舎に帰らずに、この温室にいる。
ノエルは相変わらず魔術院の責任者だし、ベスは女王から、魔術院の温室の責任者に任命されたのだ。
オベロンが、べスにだけは全く頭が上がらず、素直に言う事を聞く現場を見たユージニアに、頼むからこの温室の責任者になってくれと、平身低頭で頼まれてしまったのだ。
ユージニアはほとほと、オベロンが苦手なのだ。
ベスは、村に医療機関を設置してくれるなら、という条件でこの新女王の願いを叶えた。
ユージニアは光の速さでベスの願いを聞き届け、逃げられては困ると、魔術院の隣の屋敷まで、褒賞として二人に与えたのだ。結局二人の生活は何も変わらず、変わった事があるとすれば、ノエルもベスと同じユーカリの香りを漂わせて、仲良く一緒に温室に出勤するようになったくらいだ。
ちなみにベスの粉挽小屋は、なんと今カーターが面倒見ている。
冒険者に向いていないとようやく悟ったカーターが、エイミーと一緒に村の粉挽きになる事になったのだ。
カーターにしてみれば、恋人の隣の家に、仕事と住処が確保できて都合が良すぎるほど都合が良い。ベスが帰らない方が、むしろ村の都合が良くなってしまって、ベスは拍子抜けだ。
今は、ベスと、ノエルの二人が一緒に整えるようになった温室は、人間だけではなく、妖精にも実に心地よいものになっていた。
ベスが丁寧に世話をした植物達は、心から嬉しそうに自由気ままに枝葉を広げ、手先の器用なノエルが温室の隅に作ってやった小さな妖精の遊び場で、妖精達は楽しそうに入れ替わり立ち替わり精霊の世界から遊びに来ている。
妖精達はノエルの遊び場で遊び疲れると、ベスの手で世話された見事な花の蕾の中でお昼寝をして、夜になると甘い蜜を求めてふわふわと花から花へ渡り歩く。
ノーム達も遊びに来ている様子。
ノエルが下手くそに整えた畑の畝が、朝来てみると真っ直ぐに整えられている事がある。
ノエルは苦笑して、畑の隅っこにお礼に飴玉を置いておいた。
光溢れるこの温室に、ここの魔術院の皆も、癒しを求めて昼寝をしに帰ってくる。
いつものソファで昼寝するエロイースの横で、一緒になって昼寝をしている小さな妖精を見つけたエズラは、人と妖精のこの平和な共存の風景に、号泣した。
人と精霊は、本来生きる世界を共にすることができないと、そう信じられてきているのだ。
だがこの温室であれば、人も、人ならざるものも、植物も、動物も、生きとし生けるものが。
皆が光の元で、元気を与え合える。
皆が、産まれたままのその姿で、のびのびと幸せに存在できる。
ドラが、温室の妖精を追いかけて遊ぶ。妖精は消えたり現れたりしてドラを揶揄う。
「聖域」
いつの間にかこの妖精と人間の共同統治の地である温室は、そう呼ばれるようになっていた。
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「ノエル様!一体これ、どうしたんですか!」
温室の手入れをしていたベスに、満面の笑みでノエルが差し出しているのは、百年草の花の鉢植えだ。
見事に開花して、それは馥郁たる香りを放っている。
「さすがに俺一人で育てるのは難しいから、実はオベロンに助けてもらった」
ノエルはちょっと舌を出して、種明かしをする。
最近ノエルは時々精霊の森の方に、オベロンとコソコソ向かうことが多かったのだが、こういう事だったのか、とベスはようやく腑に落ちた。
百年草は、ノエルが勘違いしてベスを牢屋に入れた時に、無実の罪を晴らすためにカーターが蕾の状態で、ちぎってノエルに見せた、実に育成が難しい花だ。
この花の開花を見れば、百年に一度の素晴らしい恋ができるという伝説がある。
(でも、どうして百年草・・?)
ベスは不思議そうな顔をしていたのだろう。ノエルは微笑んで言った。
「ベス。この花は、蕾の状態でも、確かに伝説通りに俺達に素晴らしい恋を贈ってくれた。この花をちぎったお前の幼馴染は恋人と結ばれたというし、俺達もこうして、心を通わせた」
「ベス、俺はお前から与えられてばかりで、何も返せない。俺は不器用だから、どうやってどれほどお前を愛しているのかを伝えたらいいのかも、皆目見当がつかん。そもそもお前は、あまり言葉が得意でないから言葉では、伝わりにくい」
そして、ずい、っと鉢植えをベスに押し付けた。
「それで俺は考えたんだ。どうすればベスに、俺がこれほどお前の事を愛しているのか、伝わるのか。俺はベスとの間に子供が産まれても、家族が増えても、俺はずっと、ずっとベスの一番の恋人でいたいんだ。それで、俺は百年草の事を思い出した。植物を介してであれば、俺の思いがお前に伝わるかと」
「百年草があれば、お前がずっと俺に恋してくれるのであれば、100株でも200株でも育ててやるほど、俺はお前を愛してるんだ。どうだ、俺の愛は伝わったか? さあ、これを受け取ってくれベス!」
ワハハハと悪役のように、子供っぽく笑うノエル。
目元に大きく、くしゃりとシワを作って笑うノエルの大きな笑顔の愛おしさに、ベスは息が止まる思いだ。
「ノエル様ったら・・」
ベスこそ、ベスだからこそ百年草の栽培が、生半可な努力で叶うものではない事を知っている。
どれほどの手間隙をかけて、ノエルがこの鉢植えを育てたのかと思うと、そしてそれがノエルのベスへの思いを伝えるためだとすると、胸がいっぱいになる。
ベスは、そしてまだ何か言いたげなノエルの顔を見て、もう一度、百年草の花に目を向けた。
(まあ)
百年草の花びらの中には、繊細なモチーフの百年草の模様がぎっしりと掘り込まれた、美しい指輪が、コロリと入っていた。
不器用で不遜で、ロマンチストなこの男は、こんな手の込んだ方法で、ベスに永遠の愛を誓おうとしているのだ。
ノエルは、そっと、壊れ物に触るように恐る恐る、ベスの指に指輪を通す。指輪はピッタリだった。
ノエルは祈るように、そっとベスの指輪に口づけを落とした。
「ベス、お前はいつも俺に素晴らしい植物を育てて贈ってくれるのに、俺は、お前のために植物を育てた事は一度もなかったろう? お前の恋人は、本当にどうしようもない男だ」
悪戯っぽく笑って、ノエルは、そっとベスを抱きしめた。
「俺はお前を心から愛している。百年後も、二百年後も、俺の太陽でいてくれ、俺の夜の星でいてくれ。俺の最愛の人でいてくれ。俺の心の温室であってくれ」
「・・愛しています、ノエル様。百年後も、二百年後も」
「ベス、愛してる。俺の全て。俺の最愛」
二人はそっと抱きしめ合って、唇を交わし合い、そしてまた抱きしめ合って、そして、微笑み合った。
口づけを交わす二人の上から美しい光が溢れ、小さな虹が踊り出す。
蝶々は舞い、果樹は実に嬉しそうに大きな実をつけている。
草花は幸せそうに微風に身を任せ、小さな芋虫が、薬草と薬草の間を面倒臭そうにノロノロ横切る。
誰もが幸せになる場所。
誰もが、幸せになる事が許される場所。
ここは、ベスの温室。
~了




