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「‥‥べス?」
驚きで、声もなく、ただ大きな目をパチパチとさせているべスの顔は、世界で一番美しいと、ノエルは嘆息をつく。
「わ、私は、学もないですし、田舎の地味な粉挽ですよ?ノエル様は、高貴で、美しい王都の魔法使いです。釣り合いません」
あわあわとして頬を赤くしているベスが可愛くて愛しくて、ノエルの口角が上がる。
「では、俺が王都の魔法使いをやめて、田舎の地味な粉挽きになればちょうど釣り合うだろう。俺が美しいかどうかは知らんが、俺にとってお前は世界で一番美しいのだから、それでいいだろう?」
「俺だったら、冬になっても小屋を魔法で温かく保てるし、粉も上手に挽く訓練もしよう。水車の部品も変えてやるし、屋根の修理だってできる。ああ、それからそうだな、本も沢山婿入りにもっていくよ」
ノエルは、足元に咲いている小さなスミレの花を、そっと手折った。
「他にもあるぞ。俺は薬を作るのが上手だから、お前の大切な村人の役にも立つ」
ベスの村には医者がいないのだ。
「他にも、お前の役に立つように、料理でも掃除でも洗濯でも、精進すると約束する。だからベス、どうかオベロンの元にはいかないでくれ」
「で、でも・・」
「俺では不満か?俺の事が嫌いか?では俺は一体どうしたらいい?何をお前に約束すれば、お前は俺と結婚してくれるんだ?」
「ふ、不満だなんて!嫌いだなんて!そんな、とんでもないです、私はノエル様の事が、大好きです!でも、でも」
咄嗟に口をついてしまった言葉に、ベスはもう可哀想なくらいに赤くなってしまった。
「では、何が一体お前の心を悩ませている?俺に教えてくれ」
ノエルは手折ったスミレの花を、ベスの短くなった髪に飾った。
ベスは、逡巡しながら、おずおずと、言った。
「…ノエル様は、私を置いて、先に行かないと、約束してくれますか?」
ノエルは、ふらりと見えたベスの幻影を思い出す。
だれもがベスを一人にしてゆく、死。別れ。二度と一人になりたくないという、悲痛なべスの心の叫び。
ノエルはベスの言葉の意味を咀嚼して、そして少し考えてから、正直に言った。
「・・最善はつくすが、その約束はできない。俺はお前より先に旅立つかもしれない。そもそも俺は願わくば、お前より先に死にたいんだ。お前のいない世界など、俺には何の意味もないからな」
「そ、そうですよね・・無理な事を言って、ごめんなさい」
ベスの瞳が潤んで目に涙が溜まってくる。
だが、次の瞬間ノエルは、幸せそうにべスを抱きしめて、言った。
「だが、べス、案ずるな。俺には名案があるんだ。俺たちで一緒に家族になって、沢山家族を増やせばいい。大勢子供を作ろう。ペットも飼おう。家畜も、それから沢山の植物で満ちた、美しい温室も一緒に作ろう。もしも俺が先に旅立っても、俺たちが一緒に育んだ家族でお前が囲まれて、決して、お前を二度とひとりぼっちにはしない」
ノエルは、子供は何人いればいいだろうか、そういえば俺は犬も飼ってみたかったんだ、猫はそっけないからな。そういって隣をいぶかし気に通りすがったドラの頭を撫でてやる。
ドラは鬱陶しそうにノエルにさわられて、面倒くさそうにナーン、と言った。
そしてべスに向き直って、その足元に、ガバリと身を投げて、深々と頭をさげた。
「なあべス。頼む、この通りだ。オベロンの元にいくな。俺はお前を心から愛しているんだ。どうか俺と結婚して、俺をこの世で一番幸せな男にしてくれ」
(ノエル様ったら・・・相変わらず、早とちりで、勝手なお方)
ベスは、不遜な所のあるこの男の、なりふり構わない求婚に、出会った日の事を思い出して、思わずくすくすと、笑いだしてしまった。
「どうした、一体何がおかしい?」
ノエルは、キョトンとした顔をして、頭をあげた。
ノエルにとっての人生で一番真剣な告白だったというのに、べスの予想外の反応に、ノエルはとまどった。
ベスはノエルを地面から立ち上がらせると、言った。
「ねえ、ノエル様、そもそも私は精霊の森に住むだなんて、一度も言っていませんよ。あそこは遊びに行くには美しいし、辛いことも悲しいことも決して起こらないけれど、村のみんなにも、魔術院のみんなにも会えなくなるのはいやですし、そもそも私は仕事をするのが好きなのです。仕事もないし、あそこは割と退屈な場所です」
「え・・そうなのか」
オベロンの愛し児となれば、その寿命がつきるまで一生精霊達に傅かれ、美しい場所で大切にされ、ただ遊び暮らすのだ。魅力を感じないはずはない、そうノエルは勝手に考えていた。
だが、べスにとってオベロンの愛し児という待遇は、そこまで魅力的には映らないらしい。
「それに、ノエル様ったら本当にしょうのないお方。あのお話の魔術師様は、姫君になんといって求婚していたか、覚えています?」
「えっと、共に歩もう、とかそういう事だったと思うが・・」
ベスの愛している、冒険譚。ノエルも何度か目を通した事があるが、それだけだ。
だがべスにとっては、一字一句諳んじるほどに、読み込んだ大切な物語だ。
ベスは言った。
「魔術師様は、塔の頂上で、姫君の手をとって、こういったんです。「美しい姫君よ。私はあなたを必ず世界で一番幸せな花嫁にする。だから、どうか私と結婚してほしい」と」
ベスははじけたように笑いだす。
「ノエル様ったら、あの魔術師様と全く逆の事をいうのですもの」
結婚して、自分を世界で一番幸せにしてくれ。
地面に這いつくばって、なりふり構わない、なんとも女々しくて情けない、なんとも自分勝手な、ノエルの必死の求婚。
バツが悪そうにノエルは頭を掻いた。
「ベス、おれは本来こういう男だ。お前の本の主人公の、勇敢な魔術師様とかけ離れている。お前の愛を得るためなら、土下座だっていとわない卑しい男だ。俺の方こそお前のように美しく、優しい魂の持ち主の娘には、まったく釣り合っていない」
またガリガリと頭を掻くと、ノエルはどうやら開き直ったらしい。
大きく息を吸うと、自信満々に、腰に手をやって、不遜に、温室中に響くほどの大きな声で、叫んだ。
「だが!!!!俺は、お前を、世界で一番愛している!!!俺を幸せにしてくれ!!!俺と結婚してくれ!!!べス!!!」
(本当に、しようのないお方)
ベスは、涙と笑いで、ぐちゃぐちゃの顔で、ノエルの胸に思い切り飛び込むと、ノエルを力の限り抱きしめて、ノエルに負けないくらいの大声で、叫んだ。
「喜んで!!!!」
ノエルの顔は、信じられないという表情から、だんだんと、泣き顔になり、そして大きな、大きな笑顔になった。
ノエルの一点の曇りもない、美しい笑顔は、ゆっくりとベスの顔に近づいて、そっと二人の唇は重なった。




