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[書籍化決定・第一部・第二部完結]緑の指を持つ娘  作者: Moonshine
神仙ユリ

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第三段階だ。


根が出てからの神仙ユリの成長は早く、みるみるうちにすべすべとした緑色の葉をつけるようになった。


「今日から私も泊まり込みで、様子を観察しますね」


ベスはそう言って、少し真剣顔をした。

緑の葉のその奥に、小さいながらも硬い蕾を見せるようになっていたのだ。


いつも通りにベスに過ごしてほしいと願うノエルの命令によって、皆一見普通に過ごしてはいるが、魔術院の温室には今、要塞レベルの堅固な魔術が幾重にも重ねられいる。


侵入者には全員が、攻撃魔法をすぐに発動できるようにさまざまなトラップが仕掛けられており、庭園に無造作に置かれていた石の彫像は、封印されていたゴーレムとしての本来の役割を与えられた。


ここまでの育成に成功した例は、この百年、ない。


洗濯タライからようやく植木鉢に移してもらえた神仙ユリは、この時点で国宝級の宝である。

ドラ猫がユリの香りを確かめに、ふんふんと近づいてきた時には、ノエルは思わず攻撃魔法を発動するところだった。


万全の守りの中で、神仙ユリは静かに成長している。


いつも夜になるとノエルは一人でこの温室の優しい闇に眠りに着く。ノエルの厳しい不眠症は再発していなかったが、さすがにツボミを目にした興奮と不安だろうか。今晩は闇の中にノエルの意識が溶けゆく事はなかった。


薬草のまんじりもなく眠りが訪れるのを待っていると、眠りではなく今日は闇の中からふんわりと、ユーカリの香りがノエルを訪れる。


「ベスか」


「はい」


ベスの部屋の風呂には、ユーカリの束があるという。

湯気の蒸気でそれは良い香りだとエロイースは言っていた。入浴を終えたばかりなのだろう。


繁殖日に乗り遅れた蛍草が、まだいくつかの胞子を飛ばして、闇の中でも美しい。

ベスは何も言わずに、ノエルの向かいのソファに腰掛けてゆっくりと薄い光を放つ神仙ユリの鉢を手に取った。


濡れた髪で、闇の中でユリの魔力で白く照らされたベスの姿は、まるで神殿にある聖女の像のように美しく、儚かった。


「ベス」


それだけしか、ノエルの口からはでてこなかった。正確には、口にすべき言葉が見当たらなかった。


「眠れませんか」


ノエルに、ベスは、それだけ言った。


言葉少ないベスの言葉に、ノエルの心が緩んでゆく。思わず心の片端が漏れだしてくる。


「ああ。…俺は多分、恐ろしいんだ」


ベスは何も言わずにじっとノエルの次の言葉をまつ。


「俺のせいで、目覚めない眠りの呪いにかかった命がある。次の赤い月までに目覚めなければ、本当に永遠の眠りに着く」


喉の奥から、ひりひりとする焼け付くような言葉がこぼれた。


「俺が守れなかったからだ。三年前に俺といっしょにあの方は、魔獣に襲われた。そして事もあろうに、俺だけ助かった。この花を使って精製するポーションが、魔獣の呪いの毒からの唯一の目覚めの方法だ。俺は目覚めてから寸暇を惜しんで、ありとあらゆる方法を試してきた」


息が詰まって。言葉が出てこない。

言葉の代わりに、涙がポタポタと溢れて、嗚咽と変わる。


「‥この花がもし開花しなかったら、ポーションができなかったら、俺のせいであの命は潰えてしまう。そして俺は身分も魔術師の称号をも剥奪され、家からも、魔術院からも、それから王都からも追放されるだろう」


どこにも行き場がなくなる。魔術師ですら、なくなる。

人の命が消える事に比べたら、それはなんという事もないはずだ。


でも恐ろしいのだ。心の底にある醜くてずるい己の姿に、ノエルは吐き気がする。


冷静で、清廉でそして魔術院の責任者として立派な立ち居振る舞いのノエルの心も、本性は、弱く、そして自分中心で、情けなくてずるい。


虐げられながらも侯爵家の長男で、魔術院の筆頭魔術師ですらなくなったノエルは、一体なんの価値があるのだろう。醜く薄汚い自分勝手な思いに、ノエルは飲まれていく。


「お‥俺は生まれた時に魔力が強すぎて、聖女である母の命を奪ってしまった。お、俺など、ぐすっ、生まれるべきでは、ぐすっ、なかったと、皆そう言う。俺が生まれてきたという罪を償うには、このポーションを完成させる以外はない、そう‥ぐすっ」


ノエルにはわからなかった。なぜ今更、遠くに捨て置いたはずの感情がやってきたのか。

醜く弱い、ノエルの本性。


ただ、ベスの前では、ベスの温室では、嗚咽しても許される。弱音を吐き出しても、泣き言を言っても、醜い本性を見せても許される。そう思うと、捨てたはずの感情が、愚かで弱い自分の心が、ゆり戻って来る。


ノエルはボトボトと自らの意志とは別のところから流れて止まらない涙を、眺めていた。


ベスはいつの間にか、じっと泣きじゃくるノエルの隣に座っていた。

ふわりとしたユーカリの青い香りと、石鹸の香りがノエルの心を落ち着けてくれた。


ベスは何も言わない。

ただ、泣きじゃくるノエルの側で、じっと側にいてくれた。


どのくらいの時間、そうして沈黙の時間を過ごしていただろうか。

不意にベスは言葉を発した。


「王都を追放されて、魔術師でなくなったら、その後はどうするんですか?」


ベスはきっと花が開花しますよ、や、ノエル様のせいではありません。など気休めをいったりしない。


ノエルはこの、ノエルを裁かない娘の前で、正直に言った。


「魔術師でも侯爵家の人間でもなくなった俺には、なんの価値も無くなる。これからどうしたらいいのか実は、本当に途方に暮れているんだ」


自嘲的に言ったつもりだ。

だがベスはそんなノエルに、のんびりと、言った。


「では、ノエル様が追放されたら私と一緒に粉挽きをしませんか? 一人でするにはちょっと仕事が多くて大変だったんです。それに時々ノエル様の魔術で水車の壊れた所修理してくれたら助かります」


ベスの全く思いがけなかった言葉にノエルはギョッして、先ほどまで頬を伝っていた涙も引っ込んでしまった。


思わずまじまじとベスの顔を見ると、ベスは何事もないように続けた。


「温室はないですけど畑があるので、ノエル様がよく眠れる様に畑の横にハンモック吊るしておきますね。何もないけど静かでいい場所ですし、ノエル様がきてくれたら、嬉しいな」


「粉挽き、か。俺が」


ノエルは想像してみた。


ベスの森のほとりの粉挽き小屋に二人で住んで、粉を挽いて野菜を育てる暮らし。

ベスのそばで農夫のような格好をして、ノエルは本を読みながら粉を挽く。ベスが作った外の畑で素晴らしい出来の植物を眺めながら、時々ベスに頼まれて、魔術で水車を修理する。

べスが整えた家も、畑も、毎夜素晴らしい眠りにノエルを誘ってくれるだろう。


鳥が好きなベスの事だから、きっと魔術で鳥籠を作ってほしいとせがんだりするのだろうか。

ベスは、そしてノエルの隣で笑ってくれるのだろうか。


「‥そうだな、ベスの為にだけ魔術を使う生活は、悪くないな」


涙で重くなったノエルの頭には、今、幸せなベスとの素朴な生活が浮かんでいた。


そして、心の平静を取り戻したノエルは微笑むと、言った。


「ベス、だがお前、まるで俺に結婚の申し込みをしているみたいだが、その自覚はあるのか?」


「ええ!!! ノエル様、私、そんなつもりじゃなくて、えっと、本当にノエル様がいてくれたら楽しいなとか、ちょっと助かるな、とかそういうつもりで、えっとそんなつもりは全くなくって!!ほら、おじいちゃんの部屋があるからちょうどいいなって、ただそれだけで!!!」


暗闇の中でもわかるほどベスの顔は真っ赤になって、あわあわと自らの不用意発言に大慌てしているベスに、ノエルは大笑いしてしまう。


「せっかくベスがそう言ってくれているんだ、お前の良き夫となるように努めよう。粉挽き小屋に運ぶ荷物をまとめておかないとな」


そう笑って、ノエルは貴婦人にするかのようにベスの手をとって、小さな爪に口づけを落とした。


ベスは毛を逆立てるかのごとく驚いて、


「ぎゃー!!! ノエル様!!!! だ、だからノエル様! ちょっとノエル様がもっと一緒にいてくれたら嬉しいなとか、家族みたいに朝から一緒にご飯が食べられるの嬉しいとか、あの、そう言う意味で、結婚とかそんな事のつもりで言ったわけではないんですって!」


先ほどまで魂を苛んでいた、黒いヘドロのような感情は、ウブな乙女の大慌ての前に、さらりと溶けて、消え去る。


(可愛いなあ・・)


驚いてしまって、おもわずノエルへのいろんな感情を吐露している事に本人は気がついていないのだろう。

ノエルは、幸せだった。

地位も名誉も何もかも無くした後にでも、家族のように一緒に朝からご飯を食べたら嬉しいと、そう心から言ってくれる娘に出会えたのだ。


やがて闇夜は白い光の中にすいこまれてゆき、朝日が温室を照らす。

遠くで時を告げる鶏が朝の訪れを喜んでいた。


(また、朝が来た)


ノエルは立ち上がって、朝の大きな光に、その身をまかせてみる。

ずるくて醜い、小さなノエルは心からは消えてはいない。だが、ノエルはずるくて醜くく弱虫なノエルが、今はそう嫌いではなかった。


(べスは、そんな俺でも受け止めてくれた)


「あ! やっと止まってくれたわ。これでもう大丈夫よ」


ノエルの抱えていた神仙ユリの芽に、青い蝶が羽根を休めにやってきた。

べスがロドニーに麦わら帽子をかぶせて、森にとりにいかせていた蝶だ。


「なぜかは分からないけれど、この蝶がどうしても必要なの。そうこの子がいっているの」


蝶はなんどか羽根をはためかせて、そして美しい鱗粉を惜しげもなく神仙ユリに落としてゆくと、温室の天窓から夢のようにきえていった。


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