ライオンハート
その日の夜、八尋と桜花は新居で共に夕飯を食べていた。真新しい食卓に並ぶのは、手の込んだ和風の献立だ。
当然八尋は料理なんてしたこともないので、全て桜花の手製である。菫に叩き込まれた家事秘伝には男心を胃袋から掴む技があるのだ。
八尋が黙々ときんぴらごぼうに舌鼓を打っていると、ポツリと桜花が呟いた。
「‥‥すみません、八尋さん」
「ん? なにがだ?」
作ってもらった料理は全て文句なく美味しい。八尋の好物ばかりな気がするのは、気のせいだろうか。
「‥‥いえ、私のせいでこんな騒ぎになってしまって」
桜花は無表情の中に反省の色を見せるという器用なことをしながら、八尋を見る。
(ああ、そっちの話か)
確かに桜花があそこで反論しなければ、ここまで話は拗れなかったかもしれない。
(けど、桜花の容姿ならどうせあの男に目をつけられてただろうしなあ。時間の問題だったような気もするけど)
とはいえ、それを桜花に言っても後悔は収まらないだろう。
八尋は少し考えると、箸を置いて口を開いた。
「あのさ、桜花」
「‥‥なんでしょうか?」
「正直言うと、少し嬉しかったんだ」
「‥‥嬉しかった、ですか?」
桜花はコテンと首を横に傾げる。
「ああ。形だけの婚約者とはいえ、俺が馬鹿にされて本気で怒ってくれただろ? そういうことあんまりなかったからさ」
八尋は姫咲の家に引き取られた当初、分家の人間や姫咲家で戦闘訓練を受ける門下生たちから、鬱陶しがられ、馬鹿にされていた。
ただ生贄であったからという理由で、姫咲家の本家で手厚く保護される八尋が気に食わなかったのだ。
そして、それを菫や善十郎は注意してくれたが、本気で怒れば角が立つ。
だから今日、普段の彼女からは想像もつかないほど激高した桜花を見て、八尋は嬉しかったのだ。
「だから、ありがとな。決闘はまあ、なるようになるだろ」
桜花はまさか礼を言われるとは思ってなかったのか、目を大きく見開くと、
「‥‥そ、そうですか。その、それはありがとうございます?」
「ああ、それとこのきんぴら美味いな」
そう言うと、桜花は少し嬉しそうなオーラを出しつつ料理を食べ始めた。そのスピードは今までよりもずっと早くなっている。
そんな桜花を見ながら八尋は、
(そういえばあいつ、周りに女の子侍らしまくってたし、決闘に勝ったらハーレムの作り方でも教えて貰おうかな)
と、そんなことを考えていた。
桜花と二人きりで屋根の下、しかも彼女の手料理を食べている最中にそんなことを考えていると世の男たちが知れば、八尋は今ごろ今日以上の敵意を向けられることだろう。
幸い、嬉しいオーラに包まれた桜花にそのことを気付かれることはなく、仙道家の食卓は和やかに進んでいった。
無論、部屋に戻った桜花が、婚約者と公言した羞恥と、八尋に礼を言われた嬉しさのあまり、無言でベッドに飛び込んだのは言うまでもない。
◇ ◆ ◇
金に彩られた豪奢な一室。
そこに置かれた大きなベッドの上で、金髪を撫でつけた男は裸で煙草を燻らせていた。
「ねえレクト、本気であんな奴を妻にするつもりー?」
男――レクト・ライオンハートの腕に抱かれた裸の女が、その分厚い胸に頬を寄せて猫撫で声を出す。豊かなウェーブのかかったワインレッドの髪を端麗な顔にかける、色香の強い女だ。レクトが八尋たちに突っかかった時、傍らにいた女子生徒――サリスである。
レクトは吸いきった煙草を灰皿に押し付け、言う。
「ハ、知るかよ。芋臭い田舎者だが、あの顔は俺のものであるべきだ。‥‥まあ、余程の馬鹿ならペットで十分だろ」
「あの調子じゃ、ペットでも分不相応だと思うけど?」
そう言うと、サリスは両腕をレクトの首に回し、豊満な胸を押し付けた。
「なんだサリス、妬いてんのか?」
「もう、馬鹿」
笑うサリスの唇に、レクトは己の唇を荒々しく押し付け、その柔らかな身体を押し倒した。
レクト・ライオンハートの頭に、敗北の可能性は存在しない。
何故なら相手は最大霊力量でE判定を受けたゴミであり、そして何より、レクトが『ライオンハート』だからだ。
『ライオンハート』と聞けば、このレビウムでは全ての人間が震えあがる。何故ならライオンハートは天理の塔に挑む組織、『クラン』において、トップクラスに数えられる巨大クランだ。
その方針は、力こそが全て。
どんなに愚劣な者だろうが、外道であろうが、脛に傷を持っていようが、ライオンハートでは力を示せば全てが許される。強者はただそれだけで特権階級なのだ。
そして、レクトはそのライオンハートを仕切る最強の男、その息子である。生まれながらに契約者としての類まれな才を持ち、好戦的で物怖じしない。
まるで冒険者になるために生まれてきたような男。それがレクト・ライオンハートだった。
(ああ、そうだ。俺は俺のやりたいようやる。ライオンハートの俺には、その力がある)
「――っあ!」
「いい声で啼けよサリス、俺を満足させろ」
レクトは自身の勝利と輝かしい未来に一片の疑問も抱かず、猛々しい獣欲をサリスに叩きつけた。
◇ ◆ ◇
レクトと邂逅してから数日後、決闘の日は訪れた。
八尋としてはそもそもどこで、どんなルールで決闘をするのか不思議だったのだが、その答えが今目の前に広がっている。
「両者共、準備はいいか」
八尋とその対面に立つレクトに確認を取ったのは、筋骨隆々の男性教諭だった。今日の決闘の立ち合いを引き受けてくれた教師である。
「はい、大丈夫です」
「ああ、問題ないぜ」
頷く二人が対峙しているのは、エレメンタルガーデンの訓練場の一つだ。
そう、八尋とレクトの口約束でしかなかった決闘は、正式に学校側に認められたのだ。
なんでも昔から天理の塔に挑むような冒険者志望たちは血の気が多い人間ばかりだったため、小競り合いは日常茶飯事らしい。
そして学校側としては、勝手に決闘でもして死者が出られても困るので、こうして教師立ち合いの元決闘を認めることにしたというわけだ。流石に、桜花を賭けるという点について学校側は認知していないが。
今は本来なら訓練場を使った授業中。基礎的な身体づくりの必修科目であり、当然この場にはレクトと八尋以外の生徒たちが多く居た。中には噂を聞き付けた先輩などもいる。
彼らは皆備え付けの観覧席に座り、決闘の始まりを待っていた。
――おいおい、あいつマジでレクトとやるのかよ。Eランクだろ?
――殺されるんじゃねーの?
――身の程知らずが、自業自得だろ。
観覧席で静かに座る桜花の耳に聞こえてくるのは、そんな声ばかり。
誰もがレクトの勝利を疑わず、話は八尋がどんなやられ方をするかということで盛り上がっている。
それ程までに、ライオンハートの名が持つ影響は大きい。
冒険者になれるのは、基本的に十五歳を超えてからだ。実際、桜花は少しレクトの情報を集めてみたが、天理の塔で目覚ましい活躍をしたという話はない。
天才と言われているようでも、彼自身の実力は、まだ訓練段階の評価でしかないのだ。
しかし人は皆レクトを恐れ、大仰な評価を下す。
それは彼が『ライオンハート』の血族だからだ。
強さこそが正義という単純にして野卑な思想。だがそれを豪語するだけの力を持つが故に、誰からも畏怖されるクラン。それが『ライオンハート』だ。
ただそれを知って尚、桜花は取り乱すこともせず、周囲の無神経な野次を聞いていた。その目が見つめるのはたった一人だけだ。
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