境地
ヴィードが地を蹴った。
圧縮されて鎧となった風が、その瞬間だけ解き放たれ、ヴィードの身体を加速させる。
八尋は一直線に向かってくるヴィードに、六花を合わせた。
宙を走る六振りの剣が、次々に振るわれた。狙うのは前と同じく甲殻の薄い関節部分。
しかしヴィードも前の自分を殺した技を正確に理解していた。
全身に纏う嵐鎧が六花の軌道をずらし、的確に拳や蹴りで迎撃していく。
火花と風を散らしながら、ヴィードは速度を落とすことなく八尋へと肉薄した。その勢いのまま、脚を踏み込み、拳を叩き込まんとする。
踏み込んだ地面が螺旋状に抉れ、拳を覆う風が獰猛な唸り声を立てた。
ゴッ! と振るわれた拳は、八尋の顔すれすれを通り過ぎた。嵐鎧が頬と肩を削り、真っ赤な血が飛び散る。
寸前で割り込んだ六花が拳の軌道を逸らしたのだ。間髪入れず、残った五振りが全方位からヴィードに襲い掛かった。
ヴィードは一振りの六花を弾き、空いた穴へと身体を滑り込ませて離脱する。
直後、折れた樹々を吹き飛ばし、八尋とヴィードによる苛烈な衝突が始まった。
六花が舞い、ヴィードは嵐鎧で剣を弾いて、八尋へ拳や蹴りを叩き込む。
八尋はそれを六花で捌くが、音すらも置き去りにするヴィードの猛攻は、まさしく嵐そのものだ。振るった拳は余波だけで樹々を折って枯葉の如く巻き上げ、蹴りは地面を波打たせる。
直撃を避けてはいても、風によって八尋の肉が削ぎ落ち、血煙が空を汚した。
それでも八尋が戦いを続けられているのは、背後で双銃を握った桜花がいるからだ。
ファルウートを展開したレーシアの陰に隠れ、桜花は高速で動き回り続ける八尋に的確に治癒弾と強化弾を当てる。治癒弾はまだしも、もし強化弾をヴィードに当ててしまえば、戦局は一瞬にして崩れる。
しかし桜花は躊躇わない。
長年八尋と生活を共にし、戦いではその背を見続けてきた桜花は、ヴィードの動きは分からなくとも、八尋の動きなら分かる。
経験から八尋の立ち回りを先読みし、ヴィードの動きにも注視しながら、偏差射撃を行うその様は、まさしく絶技と言うに相応しい。
それに気づいているのは、受けている八尋、一番近くで見ているレーシアだけではない。
ヴィードもまた、本能的に戦いを長期化させている原因に気付いていた。
だからこそ八尋を吹き飛ばし、桜花を虎視眈々と狙っているのだが、
「おい、よそ見するなよ」
斬ッ!! とヴィードの意識が逸れた瞬間、六花が甲殻の隙間に斬撃をねじ込む。青い血が少なからず飛び散り、ヴィードは八尋を蹴りで牽制した。
――シュゥゥウウ。
おかしい。
これまで八尋の使う六花はヴィードの嵐鎧を突破出来ず、もし超えられたとしても、軌道を逸らされて甲殻に弾かれるのが関の山だった。
だが、今は違う。
徐々に徐々に、ヴィードの身体には傷が刻まれ始めていた。
ヴィードはそのことに気付くと同時、大きく距離を取った。不用意に踏み込み続ければ、進化した自分さえも危うくなる何かを直感で察したのだ。
八尋はヴィードの慎重な動きに、苦い顔をした。
(本当にさっきと同じモンスターかよ。進化して知能も大分上がってるな)
カチャカチャカチャ、と八尋の周囲で漂う六花が音を立てた。
ヴィードの選択は正しい。
何故なら、ヴィードが戦いの中で進化し、新たな力を得るように、神殺したる八尋の霊装もまた、形を変えるだけではないのだ。
特に八尋が普段から使う六花は、最も癖がない代わりに、ある特徴が存在する。
それはアンリエルの本質そのものを体現した、『変化』の力だ。
戦いの中で機片を組み替え、霊力の回路を切り替えることで新たな力を発現させる。
八尋は背に治癒弾を受けると同時、笑った。
「そろそろ、反撃といくか」
八尋は六花をヴィードに向け、走り出した。
ヴィードも同時に嵐鎧を纏い、これまで同様六花を迎撃する。
甲殻と六花の刃がぶつかり合い、ギィイン! と甲高い音を立てて弾かれ合う。
しかし、そこには明確な変化があった。
ヴィードの嵐鎧が突如制御を失ったように乱れ、その隙間を縫うように六花が斬り込んで青い血を飛ばす。
それはさながら風船が破裂したように、ヴィードの力によって圧縮された空気が所々で飛散し始めたのだ。
当然ヴィードもその異変に気付き、外へ流出する風を操って嵐鎧を維持しようとする。
八尋はその動きに獰猛な笑みを浮かべ、呟いた。
「――まさか、風を操れるのが自分の特権だと思ったか?」
嵐鎧を維持しようとするということは、即ちヴィードへと風が集うということだ。
そして、それは『変化』の力によって風を操る力を得た六花にとっては、追い風そのものである。
ザザンッ! と六花がヴィードの嵐鎧をすり抜けて、その身体を斬りつける。
答えは単純で、八尋は戦闘中も最も近い位置でヴィードの羽の動き、そしてその霊力の霊力の動きを全力で観察していた。霊力の動きは可視化出来るわけではない。あくまで感覚以上のものではなく、だからこそ肉薄することで、より正確にその動きを感じ取っていたのだ。
その中で得た知見を基に、六花の構築を変更し、ヴィードの羽が持つ風を操る力を擬似的に再現したのである。
ヴィードの嵐鎧は、その派手な見た目と違って非常に繊細に出来ている。凄まじい暴風を圧縮し、鎧の形に制御し続けるのだから当然の話だ。
故に、六花の力で少し穴を空けてやれば、嵐鎧は簡単に瓦解する。
八尋の攻撃を防ぐはずの暴風は、六花を加速させる追い風となってヴィード自身を追い込んでいるのだ。
これが、経験の差。
進化することによって得た圧倒的な質量と速度で敵を押し潰してきたヴィードにとって、こうした搦め手を使われることはほぼなかった。
逆にどれだけ経験を積んでも肉体的には脆弱な八尋は、霊装の操作に関しては卓越した技量を持っている。
崩れた戦いの趨勢は、明確な結果となって現れた。
斬ッ! と六花の動きを無視して強引に八尋へと突撃したヴィードの腕に、六花が斬り込み、肘の部分からその腕を斬り飛ばしたのだ。
青い血を撒き散らし、深緑の前腕がクルクル宙を舞う。
その隙を見逃さず、八尋は全ての六花を叩き込んだ。
五振りの剣が風によって加速。銀の残光を刻んで斬撃を重ね、ヴィードの甲殻を切り刻んだ。
寸前のところで嵐鎧の流れを加速させ、関節部を狙った斬撃を逸らしたのは流石だろう。
「‥‥」
だが、戦況は確定した。
片腕を失ったヴィードと、背後から桜花の支援を受けられる八尋。
小さな綻びが勝敗を決める極限の戦場において、これは八尋の優勢を決定づける圧倒的なアドバンテージだ。
それは、その場にいる全ての者が感じ取っていた。
だからこそ、八尋は油断なくヴィードを睨み付け、ヴィードもまたそれに呼応するように赤い瞳に光を宿した。
圧倒的なアドバンテージ、確実な優勢。それらは間違いないものだが、八尋は知っている。最も危険な相手とは、手負いの獣だということを。
ヴィードもまた知っていた。戦いは最後の最後まで、どちらかが死ぬまでは、いつひっくり返ってもおかしくないことを。
ヴィードの顎が、開いた。
これまでは息を漏らすだけだった黒い空洞が、大きく開けられる。
直後。
――ァァシャアアァアアアAAAAA!!
爆音めいた咆哮が、空気を震わせた。
ビリビリと肌が震える程の叫声。脱皮してから焦りを見せなかったヴィードは、その時初めて決死の覚悟を持った。
膨れ上がる霊力と共に、青い血が噴き出るのも構わず筋肉が膨張する。触れる物全てを切り裂かんばかりに四枚の羽が振動を起こし、大気が鳴動した。
背後で、レーシアが震える気配がする。
ただでさえ強力な怪物が、この後のことも、己の命さえも顧みないことで至れる境地。
「レーシア!」
「な、なんでございますか!?」
上ずった声で返答するレーシアに、八尋は端的に言った。
「桜花を頼む」
瞬間、桜花の強化弾が撃たれたのを機に、ヴィードと八尋、お互いの霊力が爆発した。
申し訳ございません、久々の更新です。
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