ファルウート
「‥‥‥‥‥‥え」
起き上がったレーシアが言えた言葉は、それだけだった。
あのヴィードを圧倒したはずの八尋が、まるでバットで殴られた野球ボールみたいに吹っ飛んでいたのだ。
そもそも、何が起きているのか、まるで理解が追い付かない。
ヴィードは死んだはずだ。八尋の六花に全身を貫かれ、もう動かなくなった。
それで全部終わった。終わったはずだった。
――シュゥゥウ。
レーシアの目の前に立つ何かが、溜まっていた息を吹き出す。
脱皮直後で白かった甲殻は既に深緑に染まり、硬度を増しているのが見て取れる。これまでの虫らしい形状からは考えられない、無駄を削ぎ落した人型。
(嘘‥‥でございますよね‥‥?)
そう思いたい。けれど、頭の冷静な部分では理解しているのだ。
目前に立つモンスターが、戦いの中で進化したヴィードだということは。
(八尋は‥‥)
半ば現実から逃げるように、レーシアは八尋が吹き飛んでいった方向を見る。
周囲は、惨憺たる有り様だった。
草花の生い茂っていた地面は至る所が抉れ、この階層の代名詞たる密林はこの一帯だけ綺麗に吹っ飛ばされていた。
ザッ、と音が鳴った。
それは、ヴィードの足音だ。
レーシアを殺す、死神の迫るカウントダウン。
「っ‥‥!」
レーシアは、動けなかった。あの八尋でさえ勝てなかった相手に、自分が敵うはずがない。
(結局、こうなるのでございますか)
一年前、あの日このモンスターに出会ってから、出会ってしまってから、運命は決まっていた。
意地を張らずに、テイルと同じく冒険者を諦めていればよかった。
そうすれば、今ごろどこかで当たり前の日常を、命の危険がない、普通の生活を送れていたかもしれない。
きっと、八尋も死んでしまった。どんくさいレーシアのせいで、呪われた自分とパーティーを組んでしまったせいで。
もう、顔を上げることも出来ない。レーシアは俯いたまま、ヴィードが近づく気配を感じていた。
その時だった。
「レーシア!」
声と共に、何かが炸裂する音が連続する。
同時に、誰かがレーシアの腕をとって思い切り身体を引き起こした。
その声は、八尋と同じ位レーシアにとっては頼りになる声だ。
艶やかな黒髪がレーシアの視界で舞い踊り、彼女は片手に握った銃を臆すことなくヴィードに突き付けていた。
「桜花!?」
レーシアのもう一人のパーティーメンバー、姫咲桜花はレーシアの方に顔を向けず早口で言った。
「レーシア、すぐにファルウートを発動してください。私の霊装で多少は時間稼ぎ出来るとは思いますが、長くは持ちません」
「そんな、私なんかじゃ」
「レーシア」
静かに佇むヴィードを油断なく見つめながら、桜花はレーシアを連れてじりじりと距離を取る。
そして、レーシアに語りかけた。
「私の本質は補助です。直接的な戦闘力はほぼありません。あれと戦うためには、レーシアの力が必要です」
「でも、八尋ですら勝てなかったんですよ。私じゃどうにも出来ないのでございます‥‥。それに、いくら戦えたって、私の力じゃあいつを倒せないのでございますよ」
「勝つ必要はありません、時間を稼いでくれればいいんです」
「‥‥救援が来るのでございますか?」
レーシアの問いに、桜花は首を横に振った。
「八尋さんが居ます」
桜花のその言葉に、レーシアは胸に痛みが走った。まさか、八尋が蹴り飛ばされたのを見ていなかったのだろうか。
そんなレーシアの様子に桜花は言葉を続けた。
「安心してください、レーシア。あの程度なら八尋さんは死にませんし、私の弾はここからでも八尋さんに届きますから、治癒は可能です」
「本当でございますか!?」
桜花は頷く。
「だから、お願いしますレーシア。今ならヴィードもまだ自分の身体には慣れ切ってません。私たち二人だけでも、八尋さんが復帰するくらいの時間は稼げるはずです」
「‥‥私は」
その時、桜花の目が確かにレーシアの目を見た。
綺麗に澄んだ、少しの迷いもない瞳。
「レーシア、あなたの力は八尋さんも、私もよく知っています。信じてあげてください、一年前、あなたを助けた霊装の力を。それを使うあなた自身を。――そして私と八尋さんを」
桜花の言葉に、レーシアは心臓を握りしめられた気分になった。
「‥‥狡いのでございますよ、桜花」
そんなことを言われたら、やらないわけにはいかない。
たとえこのまま死ぬことになっても、桜花や八尋を巻き込んでしまうことになっても、きっと二人は恨み言も言わないのだろう。
レーシアが土下座でパーティーに入れて欲しいと頼んだ日、それを受け入れた時から、八尋も桜花も覚悟していたのだ。
死ぬ時は、パーティーとして死ぬのだと。自らの命を、パーティーの全員に預けることを。
パーティーに入るためなら、何だってやると思っていたレーシアだが、今になって自分が何も覚悟していなかったことを思い知った。
二人は最初から今まで、一度たりとも防御しか取り柄の無いレーシアに文句を言うことも、隠し事をしていたことも責めなかった。
そういった全部ひっくるめて、あの時八尋たちはレーシアの願いに頷いたのだ。
「――ファルウート!」
涙が、出てきそうだ。
光がレーシアの全身を覆い、鎧を形作る。ずんぐりむっくりとしていて、頭には丸い耳が二つ。攻撃は全然出来ない、硬いだけの霊装。
それでも一年前、ヴィードの突進からレーシアの命を守ってくれた力。
『おお! お前の霊装凄くないか! びくともしないじゃんか!』
ずっと前、はじめてレーシアの霊装を見たテイルが、驚きの声を上げたのは、今でも覚えている。
あのパーティーも、皆がレーシアの全部を受け入れてくれた。
だから、今度はもう負けない。もう二度と、大切な人を奪わせたりはしない。
二日間ほど更新できず申し訳ありません‥‥。




