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存在進化

 八尋には、レーシアの気持ちは分からない。パーティーメンバーを殺された時も、自分一人で冒険者を続けようと決めた時も、八尋たちのパーティーに入れて欲しいと願った時も、そして今、目の前で仇敵が殺された時も。


 きっと教えてくれる日が来るのかもしれない。それでも言葉で伝えられる思いなんていうのは本当に少ないことを、八尋は知っている。


 自身を生贄に差し出した村、そのほとんどを殺し、八尋に呪いをかけて笑った鬼神。あれに抱く八尋の思いは、どれだけ伝えようと思っても完全には無理だろう。何故なら八尋自身が、その感情の全てを把握し切れていないからだ。


 レーシアの胸にも同じように、幾つもの思いが混ざり合って動き回っている。


 だからせめて、簡単な感情の整理がつくまでは胸を貸してやろうと八尋はレーシアの頭に手を置こうとする。


 その時だった。


「――っ!?」


 頭の先から脊髄を貫くような、悪寒。筋肉が緊張すると同時に内臓が収縮し、喉がひりついて息苦しくなる。


 全身を覆うのは、不思議な霊力の圧だった。


 それは決して大きくはない。ヴィードから発せられていた物の方が、余程強かった。


 だが、そうじゃないのだ。


 八尋はこれを知っている。


 ただの眷属や、モンスターには決して出せない質の違い。同じ枠組の中にある限り、絶対に届くことのない場所。


 バッ、と八尋はレーシアの肩を掴んだ状態で後ろを振り返った。

「八尋‥‥?」

「‥‥」


 不思議そうなレーシアの声にも、返答することが出来ない。彼女はまだ気づいていないのだ、この小さくも異質な変化に。


 八尋の見つめる先にあるのは、六花に貫かれ、完全に死んだはずのヴィードの死体だ。


 しかし、それがもうおかしいのだ。


 モンスターは死ねば光の粒子となって散る。例外は、素材となって身体の一部が残る時だけだ。それはヒーローモンスターとて逃れられない運命。


 ならば目の前の死体は?


「しまっ――!」


 その答えに八尋が辿り着いた時、既にそれは始まっていた。


 ――パキパキ。


 静かに、けれど確かに何かが割れる音がヴィードの死体から鳴った。


 周囲に溢れる霊力が質、量ともに大きく変質し、そのことに気付いたレーシアが身を固くする。


「な、なんでございますか?」


 レーシアの疑問に答えるように、一際大きな音と共にヴィードの背の甲殻に一直線に罅が入った。


 そもそもヒーローモンスターはどうやって生まれるのか。突然変異? 精霊神の気まぐれ? それらもあるのかもしれない。その中でも、ただ一つ分かっている事実がある。


 彼らは、進化するのだ。

 

 激戦を経て、あるいは戦いの中で。自らの存在を作り変え、新たな存在へと昇華する。


 ズルリ、と甲殻の罅が左右に別れ、中から黒とは対称の白い何かが現れる。


 透き通るような白い何かは、八尋たちの見つめる先で解け、その形を露わにした。


 二本の腕は甲殻に手をつき、両脚は膝を折った状態で甲殻に乗せられている。


 頭には巨大な目が二つ、小さな触覚が揺れ、その間には一本の鋭い角が反り返っている。そして、背の濡れている羽が、静かに広げられた。


 薄く、光に照らされる四枚の羽は所々虹色に輝き、美しささえ感じさせる。羽は徐々に渇いていき、本来の硬度を取り戻していった。


 白く虚ろだった目に、赤い光が灯る。その輝きは紛れもなく、これまで戦っていたヴィードと同じものだった


 それが八尋を見た瞬間、八尋は反射的に六花に霊力を込めた。


 ヴィードに起きた変化、それはヒーローモンスターにのみ許された特権。




存在進化(クラスアップ)




 ――こいつは、マズイ。


 本能がガンガンと警鐘を鳴らす。これを万全にしてはならないと。


(動き出す前に仕留める!)


 驚愕の光景に固まっているレーシアを抱いたまま、八尋は判断すると同時、躊躇わず六花全てを全力でヴィードに射出した。


 白いヴィードは明らかに存在の格がこれまでと別次元になってはいるが、まだ脱皮直後だ。完全に力を発揮するよりも先に、狩る。


 射出された六花は一瞬にして音速を超え、鋭い風切り音を立ててヴィードに殺到した。


 これまでヴィードの突進を弾き、甲殻の隙間を狙ったとはいえ、脱皮前の身体を貫いた攻撃だ。


 未だ動く気配のないヴィードに、六方向から六花が迫る。


 それに対し、ヴィードは変わらず四つん這いの状態で黒い甲殻にしがみついていた。


 だが、その時八尋は見た。

 

 ヴィードの背から新たに生えた四枚の羽。薄く、触れれば切れそうな程に鋭い羽が、微かに震え始めたのを。


(飛んで逃げるつもりか?)


 しかし見た所ヴィードの圧倒的な初速は大気を圧縮し、それを解放することではじめて得られるものだ


 今更風を集めたところで、遅い。


 八尋は構わず六花を走らせる。


 そしてその切っ先がヴィードの身体にあと数センチというところまで迫った時、それは起きた。


 轟ッ!!! と風がヴィードを中心に吹き荒れた。


 空間が歪んだと錯覚する程の颶風(ぐふう)は、全てを飲み込んで吹き飛ばす。地面が捲り上がり、掘り起こされた太い木の根が枯れ枝の如く宙を舞う。


 その威力はまさしく嵐。音速を超えたはずの六花さえも風に飲まれ、弾かれた。


 風を集めるとか、そんな行程は必要ないのだ。霊力によって巻き起こされるそれは、まさしく超常の現象。


「ッ!」


 八尋は考える暇もなく、レーシアを抱きしめて腰を沈めた。


「なっ、八尋さ」


 レーシアの声は、襲い掛かってきた暴風の咆哮にかき消された。


 背中を打ち付ける衝撃に、踏ん張った両足が浮き上がる。


 身体の向きが上下左右に絶え間なく入れ替わり、八尋はとにかくレーシアを離さないようにするのに精一杯だった。


 紛れもない、油断と慢心が招いた惨事。


 ヴィードの攻撃を見て、戦って、八尋は格下だと判断した。簡単に倒せると思い、実際に六花で貫いて、倒したと思い込んだ。


 鬼神に比べれば所詮こんなものだと、驕ったのだ。


 鈍っている。


 考え方も、腕も、咄嗟の判断力も。


 何が退屈していただ、馬鹿じゃないのか? 勝手に燻っていたのは、自分だ。


 これまで鬼と戦う時、八尋は常に最悪を想定し、最善を考えて動き続けてきた。自分が弱いことを、知っていたから。


 一つ小さなミスをしただけで、たとえなんのミスを侵さなくてもイレギュラーで、人は簡単に死ぬ。戦うとはそういうことだ。


 にも関わらず、今の八尋は天理の塔をどこかで見くびっていた。あの時程の危機感を、持っていなかった。


 結果がこれだ。


 飛ばされた石や枝が、全身を打ち付け、切り裂いていくのが分かる。


 それでもレーシアを抱いたまま八尋は何とか体勢を整えようとした。


 両足で地面を掴み、風圧に抗って目を開ける。


「キャッ!」


 直後、八尋はレーシアを突き飛ばした。


 それはほとんど予測だけでの行動だ。歴戦のモンスターが、この絶好の機を逃すはずがないという、最悪を想定した動き。


「――ッ!!」


 その考えを肯定するように、ヴィードは霊力を高めていた。


 甲殻を掴んだ四肢に力が蓄えられ、甲殻そのものを押し上げる程に筋肉が膨張する。


 四枚の羽が、暴風を生み出し推進力に変えた。


 しなやかな身体が、蓄積した力を少しもロスすることなく解放し、伸びあがる。


 ゴッ! と黒い甲殻を蹴り砕いてヴィードは八尋の目前へと迫った。


 これまでのヴィードとも比べ物にならない、圧倒的な速度。大気はヴィードの動きを一切阻害することなく、むしろ加速に手を貸していた。


 瞬間移動したと錯覚する程に、風によって開いていたはずの両者の距離は瞬く間に潰れ、ヴィードは八尋に肉薄していた。


 振るわれるのは、嵐を纏った右脚の回し蹴り。


 それに対し、八尋も寸前で反応していた。機片を顕現させ、はじめにヴィードを受け止めた結界を小さいサイズで作り出す。


 ヴィードの蹴りと結界が接触し、一拍遅れて爆音が衝撃波と共に響き渡った。


 粉々に砕ける結界と、それを構築していた機片。


 それを認識した時、既に八尋の身体をヴィードは捕らえていた。


 防御のために構えた腕ごと、重い一撃が叩き込まれる。


 鉄骨すら易々へし折る蹴りは、八尋の小さな身体を容易く吹き飛ばした。


 骨が砕けていく音が全身に不快に響き、筋肉か血管か、ミチミチと引き千切れるのが分かる。


 ボールのように飛ぶ八尋は抵抗することも出来ず、そのまま遥か密林の奥へと吸い込まれていった。


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