甘いな
戦いの火蓋を切り落としたのは、ヴィードの方だった。
羽ばたきによって圧縮された空気が後方へと爆発し、その勢いでヴィードの巨体は放たれた弾丸となって八尋へと突撃する。
これまで数えきれない程の冒険者を屠ってきた一撃必殺の突進。盾を構えていても、生半可な物ならそれごと貫く角と、羽ばたきによる爆発的な加速は、鬼に金棒と言って良い。
だが、鬼に金棒程度なら死ぬ程見てきたのが八尋である。
「確かに速い、な」
ギィン! という重い金属音が辺りに響き渡り、ヴィードの突進の方向が逸れた。
八尋とレーシアの髪を巻き上げながら、ヴィードは密林を抉る。
「‥‥三本で受けるには、ちょっと重めか」
ヴィードの一撃を三振りの六花で迎撃した八尋は、小さく呟く。本当は弾き返すつもりだったのだが、想像以上の重さにいなしたのだ。
「な‥‥え、は‥‥?」
八尋の足元で、座ったままのレーシアが呆けた声を出した。
そんなレーシアを見て、八尋はレーシアが攫われていたことを思い出した。遠目にヴィードが見えた時点ですっかり忘れていたのだ。
見た感じ、転がっている女は八尋の想像通りの人物だったわけだが、死んでいる二人は全く分からない。片方に至っては上半身がないが、まさかレクトということはないだろう。
(実行犯はこの三人ってことでいいのか? まあ逃げだした奴がいても、わざわざ戻っては来ないか)
そんなことを思った瞬間、ヴィードが再びの突進。
先ほどよりも長く大気を圧縮し、速い速度で突っ込んでくる。
「‥‥」
八尋は、無言で六花を振った。
今度は四振りの剣がヴィードの動きに反応し、その突進を受け止め、上へと逸らす。
完全に弾き返すには至らなかったが、八尋はヴィードの突進を危なげなく受け流した。
――ギチギチギチ。
ヴィードも同じ攻撃を繰り返しても無駄だと悟ったのか、風を圧縮するのではなく、風に乗って旋回し、続けざまに突進を繰り出し始める。
ただの冒険者であれば、もしヴィードの突進を一度受け止められても、それが絶え間なく続けば疲労が溜まり、体勢を崩し、いずれは貫かれるだろう。
だが、八尋はその変化に少しも動じなかった。
腹の底に響き渡るような衝突音が連続して響き、その度にヴィードの巨体が弾かれる。
しかも弾かれる度に、その距離はどんどん大きくなっていた。
ヴィードが直線を走り、六花は宙を縦横無尽に乱舞する。ギィィン! ギャァアン! と音は一層苛烈に、撒き散らされる衝撃と暴風はより強くなっていった。
一見すればヴィードが攻勢を続け、八尋が受けに回らざるを得ないように見える。
しかし、趨勢がどちらに向いているかは、一目瞭然だった。
「‥‥すごい」
レーシアが言葉に出来たのは、それだけだ。
六花とヴィードが激突する度に散らされるのは、衝撃や火花だけではない。それらに混じって、黒い破片が弾け飛んでいる。
旋回するヴィードをよく見れば、その甲殻に何条もの傷が刻まれているのが見て取れた。
ただ受けているだけではない。六花は攻撃を捌きながら、確実にヴィードにダメージを負わせているのだ。
霊装の膂力や速度もさることながら、音速を超えて飛来するヴィードに対し、六振りの剣を的確に操ってそれだけの絶技を見せる八尋は、やはり異常だった。
「お」
八尋とレーシアの見つめる先で、ヴィードが再び行動パターンを変えた。
同じことを繰り返してもジリ貧になると判断したのだろう。擬似的な太陽を背にするように、八尋たちの真上へと陣取ったのだ。
そして、昇る。
高く高く、眼下の八尋たちが米粒並みのサイズになるまで、ヴィードは羽ばたいた。
限界まで上り切ったヴィードは、今度は角を下に向け、大気の圧縮を始めた。
ヴィードの武器はこの甲殻に覆われた巨体と、風によって得られる速度。今更それ以外の方法はないのだ。
故に、それを極める。
限界まで圧縮した空気に甲殻がミシミシと悲鳴を上げ、羽ばたきはキィィィンという甲高い振動音を奏でる。
張り詰められた弓が解放するように、撃鉄が弾丸を叩くように、ヴィードは放たれた。
摩擦によって橙色の残光を引きながら、一筋の閃光となって八尋たちへと落ちていく。
「な、な、なななな何か来るのでございますよ!!」
「落ち着けレーシア。本質的には今までのと変わらん」
地上でヴィードの動きを見守っていた八尋は、慌てふためくレーシアに言った。
(成程、初速勝負、連続攻撃、全部駄目だと判断して一撃に全てを賭けたか)
八尋の見上げる先、赤く染まるヴィードが凄まじい速度で落ちて来る。
レーシアにはああ言ったが、それはもはや突進などという生易しい物ではない。衝突すれば辺り一面を消し飛ばす、流星の一撃だ。
八尋は意識を集中し、霊装に霊力を込めた。カチャカチャカチャ、と六花が音を立てて組み替えられる。これまでよりも更に頑強に、鋭く、速く。
数瞬もすることなく、ヴィードの巨体が八尋たちの目前まで迫った。
大気が引き裂かれる轟音と共に、熱が肌を焼く。まさしくヒーローの名に相応しい、モンスターが人間とは異なる怪物どいうことを認識せざるを得ない技だ。
だが一時も恐怖に目を逸らすことなく、八尋は小さく呟いた。
「それでも、まだ甘いなヒーロー」
激突は刹那の中で始まり、終わる。
爆音と共に衝撃波があたり一帯に撒き散らされ、黒い甲殻の破片が弾ける。
摩擦によって赤熱したヴィードの一角は、顔を上げる八尋の鼻先で止まっていた。
「嘘‥‥」
呆然としたレーシアの声が、突如として静寂が舞い降りた密林の中でハッキリと聞こえた。
――ギチギ‥‥ギ、ギギ。
強靭な顎が、喘ぐように鳴る。
ヴィードは、空中でその動きを止めていた。
それは今までの様に羽を動かして浮遊しているわけではない。羽は動きを止め、太い脚は無為に宙を掻くばかり。その身体から流れる青い血が、地面へと滴り落ちた。
全ての六花がヴィードの巨体を多方向から貫き、空中に縫い止めているのだ。
八尋のしたことは単純、向かってくる場所が分かっているのだから、その軌道上で受けるでも流すでもなく、仕留めたのだ。
言うだけなら簡単だが、その難易度は想像を絶する。
ヴィードの甲殻は自身の速度に耐えうるために、恐ろしく頑強だ。これまで六花で弾きながら斬りつけても、深い傷を作れなかったのはそれが理由である。
だからこそ、八尋は確実にヴィードの動きを止め、殺すために甲殻の隙間へと六花を突き刺したのだ。
流れ星と同等の速度を持ったヴィードに、寸分違わず六振り全てを。
(蟲の生命力は強いって昔どこかで聞いたことあったけど‥‥)
流石に六花全てに深々と貫かれた傷は致命的だったのだろう。ヴィードの動きは徐々に遅くなり、最後に赤い目が八尋を捕らえると、そのまま完全に停止した。
急速に世界へと溶け込んでいく霊力。ヴィードの存在感が、一気に縮小する。幾度となく見てきた、死だ。
「よっ‥‥と‥‥」
八尋は六花を引き抜き、ヴィードの死体を地面へと落とした。
青い血に濡れる身体は動かなくなって尚、異様な迫力を有している。
けれど、八尋はそれを冷めた目で見つめていた。
(強いには強かったけど、苦戦する程じゃなかった。特殊な能力があるわけでもないし、ある意味俺にとっては一番戦い易い相手だったのかもな)
鬼神によって生み出される鬼の眷属たちは、特殊な力を持つ者も少なからずいたが、基本的には純粋な力で戦う者ばかりだ。
ただ速く、重いだけでは八尋を倒すことは出来ない。
「あ、あの」
「ああレーシア。身体の方は無事か? なんもされてないよな?」
かけられた声に、八尋はレーシアの方を向いた。
両手を後ろで縛られてはいるが、見た所怪我を負っている様子はない。
大事に至っている様子がなくて、本当によかった。
「ちょっと待ってろ、すぐに解いてやるから」
「あ、ありがとうございます。――ってそうじゃないのでございますよ!」
「え、解かなくていいのか?」
「それは解いてください」
結局解くんじゃねーか、と八尋は機片を使ってレーシアの手首を縛っていたロープを切り裂く。
近づいて初めて気づいたが、妙にレーシアの顔が赤い。怒ってるとか照れてるとかいうレベルではなく、高熱出しているようだ。
「レーシア、顔赤くないか? やっぱりなんかされたんじゃ‥‥」
「だ、大丈夫です! 大丈夫でございますから!」
八尋の問いに、レーシアは食い気味に答えた。
その顔はやはり酷く紅潮しているのだが、本人がここまで言うのであれば平気なんだろうと納得する。
「そ、そんなことよりヴィード! ヴィードでございますよ!!」
「ん? お、おう。そうだな」
めっちゃ興奮してるな、とぼんやり考えていると、レーシアは自由になった両腕で八尋の肩をがっちりそのまま前後に思いっきり揺さぶった。
「そうだな、じゃないのでございます!! ヴィードですよ!? ギルドが本気で組んだ討伐隊さえも返り討ちにしたヒーローモンスターでございますよ!?」
「へえ、そんなこともあったのか」
ギルドからヒーローモンスターに懸賞金が賭けられているのは知っていたが、討伐隊まで組んでいたとは知らなかった。
そんな八尋の響かない反応に業を煮やしたレーシアは、八尋の顔に自分の顔を一気に近づける。
「それをこんな、こんな簡単にたお‥‥」
レーシアは自分で言っていて信じられなくなったのか、視線を八尋の向こう側にあるヴィードの死体へ向けた。
「倒したぞ」
それに気づいた八尋は、レーシアの言葉を引き継ぐ。
「‥‥」
「‥‥」
無言で、レーシアの頭が八尋の胸にポス、と当てられた。
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