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ヴィード

「ヴィード!?」

「は!? 嘘だろ、こいつが!?」


 レーシアの言葉を耳ざとく聞ききつけたサリスと蒼波が叫ぶ。


 二人ともヴィードから視線を外すことは出来ず、膝を震わせながら後ずさりを続けた。


 十階層のボスモンスターも見たことのないサリスと蒼波にとって、ヴィードはまさしく想像の埒外の怪物だった。


 サイズも、放つ霊力も、風格も、何もかもが彼らの知るモンスターとは一線を画す。


 明らかに、存在の格が桁違いなのだ。


 羽を絶えず振動させていたヴィードが、徐に動いた。


 ブンと角を一振りしてゴウトの死体を横に投げ飛ばす。水っぽい音を立てて、血を撒き散らしながらゴウトだったものは地面を転がった。


 そして、ヴィードが赤い目でレーシアたちを捕らえた。


 不気味に顎が鳴動する。まるで好物を前に舌なめずりをしているかのようだ。

ヴィードの羽の動きが変わり、ホバリングから加速へ、その方向性と速度を変化させる。風がたわみ、ヴィードの背後で倒木が後ろへと吹き飛んだ。


 直後、ヴィードが発射された。


 その動きはもはや飛行という生易しい加速ではない。停止していた状態から、弾丸の如き速度で突進してきたヴィードは、撃ち出されたという勢いだ。


 その瞬間、何が起きたのか分からなかった。


 ヴィードが動いたと認識した一拍後、ゴッ!! という音と衝撃が身体を打ち、レーシアは倒れた状態でゴロゴロ転がった。


(‥‥まだ、生きてる‥‥?)


 痛む体に、レーシアは自分がまだ生きていることを知った。


「‥‥ぁ」


 なんとか身体を起こして見たものは、言葉を失う惨状だ。


 ヴィードの射線上にあった樹々は全てなぎ倒され、地面は衝撃に掘り起こされている。積み上がった土砂の向こう側で、サリスがひっくり返っているのが見えた。投げ出された脚はピクリとも動かず、生きているのかどうかも分からない。


 レーシアは寝ていたから、サリスはどうやら腰が抜けて倒れたせいで直撃を免れたらしい。


 では、立ったままだった人間はどうなったのか。


 その答えは、下半身だけになって転がる蒼波が教えてくれていた。超常の力を持った契約者が、抵抗どころか回避さえ許されない一撃。


「はぁ‥‥は‥‥」


 息が、出来ない。必死に酸素を取り込もうとしているのに、浅い呼吸ばかりが続く。脚は震えるばかりで立ち上がることも出来なかった。


 レーシアの見つめる先で、再び羽音を立てながら絶望が姿を見せる。


 口元の顎には引きちぎられた蒼波の上半身が咥えられ、ギョロギョロと目が蠢く。


 ズッズッ、と蒼波の死体から血を啜りながら、ヴィードは角の向きを変えた。


 新たな獲物、レーシアへと。


「ぐっ‥‥!」


 レーシアは慌ててファルウートを発動しようと霊量を高めるが、サリスの香水の効果が残っているせいか、或いはヴィードの恐怖のせいか、上手く顕現させることが出来ない。


 ファルウートを象ろうとした光の粒子が、儚く空中へと溶けていく。


 その間にも、ヴィードは宙に浮んだまま死体を喰らう。


 あれが終わった時、それがレーシアの死ぬ時だ。


(‥‥本当に、呪われていたのでございますか?)


 その瞬間、レーシアの頭に過ぎったのはそんな思いだった。


 一年前にヴィードに襲われてから、多くの人がレーシアを気味悪い目で見始めた。


 誰が言い出したのかも分からない、ある言葉がレーシアの耳に届いたのは間もなくのことだった。


『あいつはパーティーを組むとヒーローモンスターに狙われる。呪われのレーシアだ』


 そんなことない、そう言いたかった、


 レーシアのパーティーがヴィードに狙われたのも、レーシアとテイルが生き残ったのも、全ては運だ。そう思っていた。


 けれど、今ここでヴィードに見つかってしまった以上、レーシアは本当に呪われていたのかもしれない。


(‥‥これで、よかったのでございますよ‥‥八尋と桜花がいなくて‥‥本当に)


 最初から自分が狙われるのが確定した未来だったとしたら、レーシアの手を取ってくれた人たちが死ななくてよかった。


 恐怖に身体は震え、ファルウートも発動出来ず、レーシアはゴウトや蒼波と同じく惨めに殺されるだろう。


 それでも、せめて最後まで抗おうと、レーシアはヴィードを正面から見据えた。


 喰い散らかされた肉の上で、再びヴィードは羽ばたきを強め始めた。


 風がうねり、草木が舞う。


 一抱えもあるヴィードの角が、倒れ伏すレーシアに構えられた。


「っ‥‥!!」


 レーシアが睨み付ける先で、ヴィードの動きが明確に変わる。


 羽ばたきによって圧縮された空気の塊が、歪んだようにさえ見えた。


 そして、ヴィードが突進する。


 その巨体は目前にある全てを吹き飛ばし、レーシアへと迫った。


 一瞬で視界の全てを覆い尽くす黒に、しかしレーシアは最後の最後まで目を見開く。


 その時レーシアはこれまでのように恐怖に震えるだけの哀れな獲物ではなかった。己の死を覚悟し、その事実から目を逸らさない、紛れもない冒険者の姿。


 遅延する刹那の中、レーシアはヴィードの角が自身の胸へと迫る様子を、ただ見続けた。


 直後、凄まじい轟音がレーシアの鼓膜を叩いた。


「な‥‥」


 言葉が、漏れる。


 驚愕に目が見開かれ、レーシアはその時呼吸することさえも忘れた。


 レーシアの目の前で、必殺の突進を行ったヴィードが、大きく弾かれた空を飛んでいる。


 ヴィードが見下ろすレーシアとの間に、どこか不思議な形をした円環が浮いていた。


 カチカチカチと絶えず組み合わさり、細かな変化を加えながら、ナイフのようなもので出来た円環は、レーシアの前に佇む。


 よく見れば円環の空洞部分には、半透明な膜が張られていた。


 信じがたいことに、この薄い膜がヴィードの突撃を弾き返したのだ。


 呆けるレーシアの耳に、背後から足音が聞こえてきた。


 確かな足取りで、ヴィードが居るこの死地に、なんの迷いもなく足音の持ち主は走ってくる。


 円環を形作るナイフに見覚えがあったレーシアは、泣きそうな顔で振り返った。


 走る音は止まり、見慣れた制服が揺れる。


 そこにはいつもと同じように、まるで気負った様子を見せない白髪の少年が立っていた。


 彼は、振り返ったレーシアの顔を見ると、安心したように笑った。


「なんとか間に合ったか、レーシア」

「っ‥‥!! ‥‥八尋っ‥‥!」


 泣きそうな顔のレーシアの頭に、白髪の少年――八尋はポンと手を置いた。相当急いで来たのか、頭に置かれた手からは熱が伝わってくる。


「どうして、私なんかのために」


 思わず零れたその問いは、レーシアの弱さだった。ボロボロに壊れた心の鎧の隙間から、弱くて柔らかい部分が曝け出される。


 だが、八尋は何言ってんだこいつ、と言わんばかりの表情で言う。


 本当に、なんてことのない、当たり前の事実を告げるような声で。


「どうしてって、仲間なんだから助けるだろ」


 ――仲間。


 その言葉と手の暖かさに、思わず涙を零しそうになったレーシアは、それを堪えて叫んだ。


「八尋っ、逃げてください! あいつはヒーローモンスターのヴィードでございます! こんな少人数で勝てる相手じゃないのでございますよ!」


 いくら八尋が強くても、ヴィードには敵わない。


 大きく、硬く、速くて、重い。単純であるが故に、脆弱な人間には決して到達できない高み。ヒーローモンスターが居るのは、そういう場所なのだ。


 仲間だから、大切な人だから、こんなところで死んでほしくはない。自分の為に、命を散らして欲しくないのだ。


 けれど、八尋は頭を掻いて言った。


「逃げろって言われても、あれ逃がしてくれなさそうだしな。それに前に言ったろ?」

「なにを――」

「手応えがなくて、退屈してたって」


 言葉と共に、八尋は霊装を操作する。


 唖然とするレーシアの前で浮かんでいた円環が解け、幾つもの機片に姿を変えると、再びそれが新たな形に組み合わさった。


 アンリエル――剣機(けんき)六花(りっか)


 現れたのは、六振りの剣。


 レーシアは知らないのだ。この剣が神の座にまで達した鬼を切り裂き、貫き、その命を奪ったことを。

同様に、知らない。八尋が倒した存在が、目前のヴィードにさえ劣るはずのない悪鬼羅刹であったことを。


 悪行千年の歴史に終止符を打った神殺しは、ヴィードを見据え、笑った。


「来いよヒーロー、全力で挑め。ここがお前の生き死に賭けた分水嶺だ」


 その言葉に呼応するように、ヴィードの羽が凄まじい速度で激震する。赤い目が八尋の目を正面から捕らえ、口元の顎が激しく鳴動した。


 直後、神殺しの冒険者と冒険者殺しの英雄が、正面から衝突した。


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