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行ってくる

先日は更新できず申し訳ありませんでした。

 密林の中を歩くレーシアは、ファルウートを展開し、剣で枝葉を払う。


 人が通れるくらいのスペースはあっても、ファルウートの巨体では狭いのだ。


「‥‥地図によれば、この辺りのはずでございますが」


 マップがあるとはいえ、天理の塔の内部ではGPSなんて便利な物は使えない。目印になるようなものもないし、『円環の道』からの方角と距離でしか判断しようがないのだ。


 ただ天理の塔に潜って一年のレーシアなら、それなりに正確に目的地へ向かうことが出来る。


 それから暫く歩くと、林が開け、広いスペースに出た。


 そこには光を浴びて、白い花を咲かせた葉が群生している。


「ありましたっ、アステラ草の群生地!」


 あとはこの中からセイ・アステラ草を見つけ出すだけである。図鑑で見るセイ・アステラ草は白い花弁の中心が黄金に輝き、葉ぶりが大きくて分厚い。


 レーシアはファルウートの中からアステラ草をよく見つめる。


 図鑑に書かれていた内容では、群生地の中でも目立つので見つけるのは簡単だと書かれていた。


(けど、中々見つからないものでございますね‥‥)


 ファルウートのせいで見にくいというのもあるが、セイ・アステラ草は見つからない。


 探す時間が長引けば長引く程、徐々に情報が間違っていたのではないかという疑念が脳裏をよぎる。


(いえ、セイ・アステラ草の黄金は、一説では溢れた蜜が溶けだして固まった物と聞きますし、どこか甘い香りもする気がします。きっと見つかるはず)


 レーシアは不安を捩じ伏せ、アステラ草を掻き分ける。


 テイルがヴィードの情報を売ってまで手に入れた情報だ。間違いなはずがない。


「もう、テイルにあんな思い‥‥を‥‥」


 ファルウートを展開し続けたせいか、妙に身体が重い。


 ――いや、それにしてもこれは‥‥。


 視界が歪み、レーシアは立っていられずに膝をついた。思考に靄がかかり、四肢の感覚が遠くなっていく。


 明らかな違和感に気付いた時、遂にレーシアはファルウートを維持し続けることも出来なくなった。


 ついに強烈な睡魔に抗えなくなったレーシアは、光となって消えゆくファルウートの中から投げ出され、アステラ草の上に投げ出された。



     ◇ ◆ ◇



 白い花の絨毯の上に、薄桃色の髪をした少女が横たわっている。


 とても冒険者とは思えない格好で寝息を立てている様子は、まるで戦闘が出来るようには見えなかった。


 そしてその少女の上に、影が降りた。


「フ、フフフフ。全く、ここまで簡単に事が進むと、綿密に計画を立てたのが馬鹿らしく思えてくるわね」


 ワインレッドの髪を揺らし、黒い服に豊満な身体を包んだ美女。


 サリス・オ―ラッドが透き通った小瓶を片手に、レーシアを見下ろした。


 彼女の霊装は『七色の香水(パジウム)』。


 霊力で作り上げた香水を調合し、その香りで様々な効果を誘発する霊装だ。


 ただ能力としてはさほど強力ではなく、長時間嗅ぐことではじめて能力を発揮する。普段は疲労を忘れさせる興奮作用、傷の痛みを抑える鎮痛作用に使うものだが、催眠効果のある香水を作りだすことも出来る。


 長時間、しかもリラックスしている状態で嗅がせなければ効果の薄い代物だが、アステラ草を長時間探し続け、その間もファルウートを維持し続けなければならなかったレーシアは、簡単に落ちた。


 懸念事項として香水のため少々甘い香りがするものだが、アステラ草のお陰でレーシアは一切気付かなかった。


 レビウムでレーシアを確保するためには、どうしても天理の塔でことを起こすしかない。


 しかしレーシアも天理の塔では、八尋や桜花と必ず行動を共にしている。それを引き離せるのは、新入生が全員参加のオリエンテーションがある今日しかなかった。


 わざわざ依頼料の高いブラッククランの『ダブル』にまで依頼をして正解だった。サリスの計画は順調に進んでいる。


「――おぉ、うまく行ったじゃねーかよサリス」

「こいつを使って標的を呼び出すんだろ? 早くしなくていいのか?」


 そう言って、サリスの後ろから二人の男が姿を見せた。


 一人は大柄で、筋骨隆々の醜男。もう一人は、細身で長髪を縛った男だ。


 ゴウトと蒼波という『ライオンハート』のメンバー。実力としては中堅にも至らない程度だが、この二人はサリスにとって非常に重宝する駒だった。


「問題ないわ、ダブルの仕事が成功した時点で連絡が行くように手筈を整えているもの。場合によっては強引な手段も考えたけど、これが想像以上の馬鹿で助かったわ」


 そう言って、サリスは横向きに倒れるレーシアを足で小突き、仰向けにした。


「早いとこ縛り上げて。七色の香水(パジウム)の効果はまだ持つと思うけど」

「わーってるって。‥‥にしてもこいつ、餓鬼かと思ったら胸はでけーじゃん」

「何食ったらこんな大きくなるんだろうな。サリスより全然大きいんじゃないの?」

「馬鹿な事言ってないでさっさとしなさいよ。大体、こんなの奇形みたいなものでしょ」


 サリスは苛立たし気にレーシアの胸を踏み潰す。柔らかな胸部がひしゃげて形を変え、レーシアの顔が苦悶に歪んだ。


 ゴウトはそれを情欲に塗れた表情で嘗め回すように眺めて言った。


「で、サリス。こいつ好きにしてもいいんだよな?」


 無言の蒼波も、一重の目でレーシアを見下ろし、唇を舌で濡らしている。大方、レーシアを嬲る想像でもしているのだろう。


 獣じみた本能のままに動くゴウトと蒼波を、サリスは侮蔑の目で見つめる。


 それでもこの男たちは使える。『ライオンハート』の中でも、汚れ仕事や後ろ暗いことも金と女を宛がえば躊躇いなくこなす連中だ。


 だから、今回も報酬はしっかりと目の前でちらつかせなければならない。


「お楽しみは後よ、ゴウト、蒼波。こいつはあの糞野郎の目の前で壊してやるの。徹底的に下準備をしてね」


 サリスは赤い唇を頬が裂けんばかりに吊り上げ、笑う。


 その見た目がゴウトや蒼波と大差ないものだということに、気付くことはない。


 三人に見下ろされたレーシアが、苦し気な表情で呻いた。



     ◇ ◆ ◇



 エレメンタルガーデンで行われる新入生向けのオリエンテーション。


 その内容は本当に基礎的な部分から始まった。


 ダンジョン探索で遭難しない方法、『円環の道』への帰り方、はじめてモンスターと戦った時の心境などを、現役の冒険者が丁寧に語ってくれるのだ。


 時には授業的で得られる知識だけでなく、こうした主観的な経験を聞ける機会というのも大事だろう。


 それは分かっているのだが、


「‥‥退屈だな」

「それは、多少は仕方ないかと」


 十分の休憩時間。


 大きく伸びをする八尋に桜花が苦笑するような口調で言う。


 先輩冒険者の話は確かに参考になる。八尋たちがすっ飛ばしてきた苦難や失敗した点、それはこれから先八尋たちが高い階層で直面するものかもしれない。


 ただ戦闘面に関する話は既に鬼神との戦いの中で経験してきたものばかりで、退屈に思うのも無理はない。


 八尋はふと呟いた。


「レーシアは何してるんだろうな、今日」

「どうでしょう、天理の塔には行かないと言ってましたが」

「たまのフリーだしな。あいつ趣味とかあるのかな、そういうの聞いたことなかったけど」

「天理の塔の冒険譚を読むのが好きだと言っていました。レーシアがここに来たのも、それが理由かもしれませんね」

「冒険譚ね‥‥」


 鬼神と戦い続け、血みどろのリアルを目の当たりにしてきた八尋としては、そこに憧れる要素は見出せない。


 ただヴィードに襲われたレーシアもそれは知っているはずなので、最終的には感性の違いなのだろう。


 ちなみに目の前で無表情を貫く桜花も、そういったものが好きかどうかは知らない。本や漫画を読んでいる姿が見たことがあるが、なにぶん表情が変わらないので、何が好きなのかはよく分からないのだ。


 ただ最近、八尋が家のリビングで旅番組を見ていると、隣に座って、どこか楽しそうな雰囲気で一緒に見るのが常だ。


 八尋は鬼神を倒してから、色々な場所をテレビでぼんやり見るのが好きだということに気付いたが、桜花も好きだったとは知らなかった。


 姫咲家では、旅番組を見るなんて菫さんと長女くらいなものだったはずだが、趣味が変わったのだろうか。


 とりあえず趣味の話は置いておくとして、八尋は天理の塔に考えを戻した。


「今の階層だとパーティーらしい動きも出来てないし、流石にボスに挑む前に合わせとかないとな」

「‥‥今のままだと、私のサポートもほとんど必要ない状態ですし」

「レーシアもファルウートの耐久力が尋常じゃないせいで、ほとんど怪我しないしな‥‥」


 レーシアは攻撃こそへっぽこだが、学生ではないプロの冒険者のパーティーに入れてもらえる程、その霊装の防御力はすさまじい。


 十階層のボスに挑んだことはないようだが、冗談で言ったようにいきなりボス前に放り出しても無傷で生還しそうだ。


 とはいえ、その耐久力にかまけて技術を磨かなければ、これから先レーシアが苦労することになる。


「九階層で、訓練になる相手がいればいいけど‥‥」


 そんなことを考えた八尋は、ポケットの中に感じる振動に、携帯を取り出した。


(‥‥メールの着信?)


 八尋の連絡先を知っている人間は極少数だ。姫咲家の人間と、それに関係する人、後はレーシアと十三歳JKのクーシャンくらいのものである。


 一体誰からだと、と携帯を確認し、目を細めた。


「‥‥桜花」

「? どうかしましっ!?」


 グイと肩を掴み、八尋は桜花の耳元に顔を寄せる。


 珍しく桜花の表情が崩れる程驚いていたが、ことはそれどころじゃない。


 八尋は小さな声で呟いた。


「桜花、落ち着いて聞け。レーシアが攫われた」

「っ!」


 桜花が身を固くする。


 八尋に送られてきたメールには、


『レーシア・ウインストの身柄は預かった。誰にも知らせず、一人で七階層の以下の場所に来い』


 という簡素な文面に、マップと写真が添付されていた。


「‥‥それは、本当ですか?」

「たぶんな、これを見てくれ」


 八尋はそう言って、添付されていた写真を開く。そこには私服で天理の塔の受付をするレーシアの後姿があった。今日は行かないと言っていたレーシア、そして普段の探索には絶対着てこないであろう私服。


 答えを導き出すのは簡単だ。


「明らかに仕込まれてレーシアが誘導されてる。俺をおびき寄せるための写真を撮って、天理の塔に居るだけで捕まってないならいいが」

「期待はしない方がよさそうですね」


 桜花は神妙に頷く。


 八尋は周囲を見回した。そこには学校に全く来なくなったレクト、そしてレクトの側に侍っていた女子生徒の姿が見えない。


 今日の新入生オリエンテーションが始まってから、比較的目立つ彼女の姿が見えないことと、今回のメール、関連性がないとは到底思えなかった。


(大体、こっちに来てから恨みを買うようなことは、それしかないしな‥‥)


 問題なのは、彼女が八尋の力を模擬戦で見ていることである。


 にも関わらず八尋を呼び出したということは、それは八尋に対抗するなんらかの手立てがあるということ。


 十中八九、レーシアは人質として捕らえられていると見ていい。


「どうしますか?」


 桜花の問いに、八尋は少し考え、決断した。


「まずはマップの場所まで俺一人で行く」


 相手が何を企んで、どんな策を弄していようが関係ない。レーシアが捕らわれている可能性が高い以上、行かないという選択肢はないのだ。


「‥‥ギルドに報告しますか?」

「いや、駄目だな。俺の携帯にメールが送られてるってことは、外部にも共犯者がいる。そいつが監視していれば、ギルドに協力を申し出た時点で動かれる。まだ明確な証拠はないんだ、犯人は躊躇いなくレーシアを殺す」


 天理の塔内部での殺人事件や、傷害事件は大きな問題になっているが、モンスターの跋扈する空間内での犯行だ、特定は難しい。


 八尋がギルドに報告したと判断した時点で、監視役が『始まりの扉』で待機している仲間に連絡。そいつが直接伝えに行くでも、信号弾でも、実行犯にそれを伝えれば、それで終わりだ。


 実行犯はレーシアを殺した後、何食わぬ顔でギルドに帰ってくるだろう。


 同じ理由で、桜花を連れていくことも出来ない。


 つまり、相手はこちらの動きを見ていくらでも動き方を変えられるが、八尋は慎重に動かなければならない。完全に後手に回っている。


 だが、


(‥‥仕方ないな)


 取れる選択肢がたった一つというわけではない。


 八尋は考え得る最悪を想定して、出来ることを模索する。


「桜花、頼みたいことがある」

「‥‥なんでしょう」


 桜花は八尋が一人で行くという選択を止めなかった。そうしなければレーシアを助けられないこと、そして八尋の力を知っているからこその苦渋の決断だ。


 八尋はそんな桜花に自身の携帯を渡す。


 そして、あることを頼んだ。


「分かりました。必ず果たしてみせます」

「ダメ元くらいでいいよ、連絡がつくかも分からねーしな」


 そう言って、八尋は立ち上がった。


 そういえばこのオリエンテーションの欠席者は反省文くらいで許してもらえるのかと思いながら、ギルドへ向かおうとする。


 その寸前で、服の裾を引かれた。


「どうした桜花?」


 振り向いた先には、普段通りの無表情でこちらを見る桜花がいる。


 ただ八尋には、その表情にどこか懐かしい面影を見た。それはいつもの桜花とは違う。けれど何度も見てきた。


 そう、戦場に出ようとする時、八尋はいつも桜花のこの顔で見送られてきた。


 これまでは少しも気にしていなかったその目の中に、不安や、心配、様々な色が渦巻いていることに、八尋は今更ながら気付いた。


「‥‥」


 桜花は何も言わない。ただ無言で八尋を見続けるだけだ。


 今までなら、何も言わず背を向けただろう。見ているのは先の敵だけで、自身の身体も、帰りを待つ人の気持ちも、考えたことはなかった。


 けれど、今はそうじゃない。八尋は桜花の頭に手を置くと、グリグリ撫でまわした。


「行ってくる」

「‥‥はい」


 八尋が笑って言うと、桜花が手を離して頷いた。


 これから行くのは、ただ敵を倒せばいいというだけではない。フラグを一日で回収するポンコツ娘を救出する戦いだ。


 八尋は生徒の波を縫って一気に学園の外に出る。


「まだ無事でいろよ、レーシア‥‥!」


 そして、後のことは桜花に任せ、一目散にギルドへと走りだした。


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