頼む
「‥‥あの、どうしてテイルがレビウムにいるのでございますか? その、一年前にレビウムから出るって」
エントランスのベンチでテイルと一緒に座ったレーシアは、なんとかその問いだけを絞り出した。
一年前のことでも、レーシアは昨日のことのように覚えている。ヴィードにパーティーメンバーの二人を殺され、自身も動けなくなる程の重傷を負ったテイルは、魂の抜けたような顔で、見舞いに行ったレーシアに言ったのだ。
『レーシア‥‥俺はもう、ここを出る』
誰よりも天理の塔攻略に積極的で、モンスターに臆せず向かって行ったテイルは、既にその時死んでいた。
命を失うだけではない。冒険者が冒険者として死ぬ理由はいくらでもありふれている。
テイルは仲間の死と、ヴィードの恐怖に完全に心を折られたのだ。
それ以降、レーシアはテイルに会うことはなかったが、風の噂でレビウムを出たということは聞いていた。
レーシアも怖かったのだ。冒険者としての命を絶たれたテイルに会うことで自分自身の心にも罅が入っていく気がして、楽しかった思い出が悪夢となって襲い掛かってくるようで。
だが、そのテイルが今隣にいる。一年前とまるで変わらない表情でギルドの中を見回していた。
「ん、ああ。確かにレビウムからは出ていたんだけどな、どうしてもレーシアに頼みたいことがあって戻って来たんだ」
「私に、頼みたいことでございますか?」
ニッ、と笑うテイルに、レーシアは聞いた。
昔からレーシアに出来ることで、テイルに出来ないことはなかった。
レーシアのタンクとしての技術は、テイルに教わったものである。
テイルが、真面目な顔になってレーシアを見た。
「ああ、どうしても『セイ・アステラ草』が必要になったんだ」
「セイ・アステラ草でございますか」
セイ・アステラ草はアステラ草の変異種で、Gポーションよりも強力な『ハイ・Gポーション』を作ることが可能になる。
その効果は凄まじく、度合いによっては身体の欠損さえ治すと言われているが、セイ・アステラ草自体がとても珍しいため、市場に流通することはほぼ無い。
「友人が大怪我を負ってな。契約者ないんだ、怪我を治すためにはハイ・Gポーションじゃないと、どうにも出来ない」
「それは‥‥」
「だから、セイ・アステラ草が必要なんだ。ハイ・Gポーションがレビウムの外部に流通することなんてほぼないし、あったとしても俺たちなんかには到底手が出せる金額じゃない」
本来、普通のポーションは体内霊力量の多い契約者ではなければ効果が薄い。しかしハイ・Gポーションとなれば一般人でも十分効果を発揮する。
だがそれはもはや奇跡の領域だ。レビウム内でも冒険者がこぞって求める品が、レビウムの外に流通することはテイルの言う通り、ほぼあり得ない。
レーシアはテイルの頼みたいことというのが薄々分かってきた。
「‥‥私に、セイ・アステラ草を取ってきて欲しいと?」
「もう頼めるのはレーシアだけなんだ」
そう言って、テイルは頭を下げた。
レーシアは俯く。テイルの気持ちに応えたいと思っても、それは難しい。
「無理でございますよ。そもそもセイ・アステラ草なんて探したってそう簡単に見つかるものじゃないのは、テイルもよく知っているでしょう?」
そう、見つからないからこそ高価なのだ。
レーシアが一人でセイ・アステラ草を探しても、見つかるのに何年かかるかも分からない。
だがテイルは「その点については安心してくれ」と携帯を取り出した。
「『情報屋』からセイ・アステラ草の情報を買った。このマップの位置に生えている」
「そんなっ、いくらしたのでございますか!?」
携帯の画面を見て、レーシアは思わず声を上げた。
『情報屋』というのはレビウムで活動するクランの一つだ。天理の塔やレビウムに関する情報を幅広く収集し、それを金銭で売買するクラン。その信頼度は高い反面、情報量はそれに見合ったものが要求される。
セイ・アステラ草の情報となれば、その値段は相当なものになるはずだ。
驚くレーシアに対し、テイルは口元に人差し指を立てると、静かに言う。
「確かに情報量は高価だが、『情報屋』はなにも金銭だけで取引するわけじゃない」
「‥‥どういうことでございますか?」
「同価値の情報、それがあれば『情報屋』は情報を売ってくれる」
「同価値の情報‥‥」
それは納得の出来る話だが、セイ・アステラ草と釣り合うだけの情報となると、限られてくる。その中でテイルが持ち得るもの。
その答えに辿りついたレーシアは目を見開いた。
「まさか――」
「そうだ、ヴィードの情報と引き換えに売ってもらった」
テイルの言葉に、レーシアは息を呑んだ。
確かにヒーローモンスターと戦った冒険者はほとんどが死亡する為、その情報の価値は高い。一撃で吹き飛ばされたレーシアと違って、ちゃんと戦って生き残ったテイルの情報は相当な値がつくだろう。
理屈としては分かるのだ。
けれど、あの病室で見た廃人のようなテイルがヴィードのことを利用出来る程まで回復していることが、レーシアにはなによりも驚きだった。
「頼むレーシア。俺は冒険者ライセンスを返納したから、もう天理の塔には入れないし、他の冒険者には情報を持ち逃げされるかもしれない。頼れるのはお前だけなんだ」
「私、だけ‥‥」
レーシアは呟く。その目を。テイルの真剣な視線が射抜いた。
「一刻を争うんだ。レーシア、お前のファルウートならモンスターの攻撃にも怯えず採取だけして帰って来れるだろう。頼む」
テイルの真摯な願いに、レーシアの脳内に様々な考えが廻った。
たとえ採集だけでも、八尋たちの協力を仰いだ方がいい。情報が正しいのかも分からないし、強力なモンスターがいるかもしれない。けどテイルが信頼してくれたのは自分だ。
なにより、
「頼むレーシア。もう友が苦しむ姿は、見たくない」
その言葉に、レーシアは無意識のうちに頷いていた。
「分かったのでございます」
ヴィードと戦い、長く苦楽を共にした仲間を失ったテイルの願いを断ることは、レーシアには出来なかった。
マップ情報を携帯に送ってもらい、買い物袋をロッカーに預けると、レーシアは私服のまま受付へと向かう。ファルウートがあれば、制服でなくてもなんとかなる。
そうして一人、レーシアは目的の七階層に向かって飛んだ。今度こそ、助けを求める仲間を救うために。
◇ ◆ ◇
ギルドのエントランスホールで、男は一人笑みを浮かべて携帯を操作する。
茶の短髪に、頬に傷跡のある男。先ほどまでレーシアと話していたテイルだ。
彼はそれまでの真剣な表情から一転、柔和な笑みで通話をかける。
そしてギルドのエントランスホールを歩きながら繋がった相手と話し始めた。
「はい、はい。勿論。彼女はしっかりと行ってくれましたよ。これで私の仕事は終わり、ということでよろしいでしょうか?」
通話をする声は、既にテイルのものではない。落ち着いた声色で相手に首尾を伝えると、テイルの顔で男は穏やかに笑った。
「ええ、当然です。バレてはいませんとも。ご安心ください」
そして、男はギルドを出て日の下に身体を晒した。
そこに居たのは、先程までのテイルと全く同じ服装をした、中年の男。
特徴らしい特徴もない、どこにでもいるような、優し気なおじさんという風体だ。
男は言う。見た目通りの丁寧な口調で。
「はい、ではこれからもこの『ダブル』を御贔屓にお願いします」
そう言って、男は携帯を切った。
周囲の人は、誰も彼を注視しない。彼のことを気に留めない。
たとえこの顔を覚えている人間がいたとしても、それも意味のないことだ。
何故ならこの顔さえも、数ある内の一つでしかないのだから。
ブラッククラン『マスカレイド』に所属する男、通称『ダブル』は、天理の塔に潜ったレーシアを置いて、人混みの中へと消えていく。
その後ろ姿の行方を知る者は、誰もいない。
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