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サリス・オーラット

「クソッ!」


 女の蹴りつけた椅子が、床の上を跳ねて壁にぶつかる。高級な椅子の脚が折れ、壁紙が裂けた。


 それでも苛立ちは収まらず、女は親指の爪を噛んだ。


 幽鬼のような顔で髪を振り乱す女の名は、サリス・オーラット。


 レクトの取り巻きであり、『ライオンハート』の一員だ。


 学校では妖艶な佇まいで美しい顔をレクトに向けていた彼女だが、今のサリスにその面影はなかった。


 生活リズムが狂ったせいで肌は荒れ、目は血走り、頬が微かにこけている。化粧などする余裕があるはずもない。


 それもこれも全ては、


「あのEランク風情がっ‥‥!」


 サリスは怒り収まらない様子で呻いた。


 そう、あの模擬戦の日にレクトが八尋に負けてから、サリスの全てが狂った。


 あの日以来、レクトはEランクに負け父に失望されたショックで、部屋に籠り外に出て来なくなった。


 食事も最低限しか摂らず、サリスがどう呼びかけてもなしのつぶてだ。


 無理もない。


 レクトはライオンハートの次男に生まれ、優秀な兄と常に比べられながら育った。


 あのレクトの傲慢さ、不遜な態度は全て幼少の頃から積み上げられてきた劣等感の裏返しである。


 だが、そんなレクトも他の冒険者に比べれば圧倒的な力を持った天才だ。


 おだて、調子に乗らせていれば簡単に操作でき、実力もある。サリスにとってレクトは最も取り入り易い優良物件だったのだ。


 そもそもサリスの戦闘力はとても低い。実力至上主義の『ライオンハート』においては、それこそ雑用係にしかならないような強さだ。


 ただサリスには別の武器があった。


 馬鹿を操る知恵と、美貌、そして女として成熟した身体。


 それらを兼ね備えたサリスにとって、ただ力自慢で頭の足らない者ばかりが集まる『ライオンハート』はいい狩場だったのだ。


 最初は『ライオンハート』の次期当主と名高い長男に近づくつもりだったのだが、彼は『ライオンハート』の中では珍しく知恵者であり、サリスは簡単にその下心を見透かされてしまった。


 愚かなはずの男に逆に考えを見抜かれ激高したサリスだが、『ライオンハート』の長男に勝てるはずもない。今度は作戦を変更してレクトに取り入った。


 レクトは長男とは違い、単純な男だった。


 天才でありながら兄への劣等感に塗れ、女好きで傲慢。サリスがレクトの行動を陰から掌握するのも、難しいことではなかった。


 あとはレクトに冒険者として稼がせながら、サリスは他の手駒を使ってより財を集めていく。


 サリスの将来設計は完璧だったはずなのだ。力が無くとも、女としての武器と知恵があれば、全てを思い通りに出来る。サリスはそれを信じて疑わなかった。


 そう、八尋が現れるまでは。


「ッ!!」


 全てが憎く、腹立たしい。レクトに勝った八尋も、Eランクに手も足も出ず負けたレクトも、八尋の側でいい女を演じている桜花とかいう雌豚も。今のサリスには何もかもが怒りの原因だった。


 しかし怒りに震えながらも、サリスは頭を回した。レクトが引きこもってしまった以上、なんらかの手を打たねばサリスも諸共転がり落ちていくしかない。


(今更他の男に取り入るようなことは出来ないわ‥‥。私はそれぐらいレクトの女としての知名度を高めてしまった。ここで別の男に乗り換えるようなことをすれば、私自身が捨て駒にされるか、娼婦替わりに使われるだけ)


 一度裏切りをした人間を、他の人間は決して信用しない。


 男を散々利用してきたサリスは、それを身をもって知っている。


(身体を売って生きていくなんて冗談じゃないわ! 私はもっと上に行ける。こんなところで終わるわけない)


 だとすれば、結論は一つだけだ。


 どんな方法を使っても、レクトを再起させなければならない。


(そのためには、やっぱりあいつが邪魔だわ)


 小柄で白髪の、不気味な男。最大霊力量でEランクの判定を受けながら、レクトを赤子のように捻った八尋に、サリスは心のどこかで恐怖を感じていた。


 人は得体の知れないものに恐怖を覚えるのだから、それも致し方ないことなのだろうが、男は全て自分より下等だと信じて疑わないサリスにとって、それは許しがたいことだった。


 故に、サリスは策を組み立て始めた。


 あのいけ好かない出来損ないを地獄に叩き落とし、再び輝ける日々へと戻るために。


     ◇ ◆ ◇


「七階層、到着でございます!!」


 柱に囲まれた『円環の道』を飛び出て、レーシアは大きく伸びをした。


「‥‥ここが七階層目ですか」

「あんまり代わり映えはしないけどな」


 レーシアに続き、八尋と桜花の二人も歩きながら周囲を見回した、


 ゴブリン事件から二週間ばかりが経った今、八尋たちはようやく五階層、六階層を抜けて七階層目に到達していた。


 といっても八尋の言う通り周囲の風景はこれまでとあまり変わらず、密林の割合が広くなったくらいだろうか。


 だがレーシアが振り返ってブンブン腕を振った。


「何を言うのでございますか! この七階層目からは『アステラ草』が取れるのでございますよ! 重要な資金源です!」

「あー、そういえばそうだったけ」


 レーシアの言葉に、八尋は授業でやった内容を思い出した。


 天理の塔の内部では外界では生息しない特殊な植物が生えており、それらは総じて高値で取引される。


 歴史的に有名なものと言えば、マンドラゴラや優曇華などだろう。


 そんな中でもレーシアの言った『アステラ草』は非常に利用頻度の高い植物だ。


「アステラ草は、グリーンポーションの材料になるんだっけ?」

「そうでございますよ! 桜花が居るうちのパーティーでは、あまり出番はないのでございますが‥‥」


 ポーション、それは霊装、霊力を用いて作成された薬の総称である。グリーンポーション、通称『Gポーション』は怪我を癒すポーションで、保有霊力量の多い契約者でなければ効果は薄いが、冒険者が使う分には問題ない。


 そもそも桜花の様に回復が行える霊装というのは稀で、大体の冒険者はポーションか、あるいは『汎用霊装』という人工の霊装で回復を行うのだ。


 ただ汎用霊装は職人の手によって作られる物のためとても高価になってしまう。


 一方、ポーションは冒険者相手ならばギルドが比較的安く売ってくれるので、ポーションを使うのが当たり前だった。


 そして需要があれば供給が必要になるわけで、余裕がある時に『アステラ草』を見かけたら、採集してギルドに卸すのが冒険者の常識なのである。


 ちなみにポーションは直接患部にかけるか、飲むかで効果を発揮する。


「アステラ草は三枚の大きな葉に、白い花と聞いていますが‥‥」

「そうでございますね。アステラ草は群生してますし、比較的見つけやすいので、採集は楽な部類になるのでございますよ。『セイ・アステラ草』のようなレアな植物になると発見は難しいのでございますが」


 レーシアは特に効果の高いアステラ草の変異種を挙げて、説明する。


 九階層まで到達し、一時期はパーティーが組めないせいで採集を主体に稼いでいたため、レーシアはそういった戦闘以外のところにも詳しい。


(俺は戦闘以外からっきしだし、桜花も実際に経験しないことには分からないことだらけだから、レーシアが居てくれるのはなんだかんだ助かるな)


 しみじみとそんなことを考えていた八尋は、見える範囲にアステラ草がないか探してみる。白い花という目印があるので簡単に見つかるかと思ったが、意外と見当たらないものだ。


「ふぁ!? 『ドロッグ』!? 私蛙はちょっと勘弁してほしいのでございますが!」

「レーシア、ファルウートを展開すればよいのではないですか?」

「ちょ、ちょっと待って、わっ、跳ねたのでございます!」

「何してんだお前ら‥‥」


 八尋は仕方なく、毒液を吐きかけて来るドロッグという蛙の魔物を踏み潰した。


 軽い麻痺毒だが、戦闘の最中に毒液をかけられれば大きな隙に繋がりかねないので、冒険者からは嫌われているモンスターだ。


 女性冒険者の中には、生理的に無理という人も多い。


「それじゃ、扉を探すか」

「一日で見つかればいいのでございますが、扉の位置はランダムでございますからねー」


 レーシアはそう言ってピョンピョンと跳ねた。


 その拍子に胸がブルンブルンと揺れる。ちょっとした天変地異だ。


 軽く桜花を見る。天変地異は起こっていない、至って平和だ。


 八尋は落ち着いた心でレーシアに聞いた。


「七階層でもモンスターの種類自体はさほど増えないんだっけ?」

「基本的に十階層を超えるまでは群れの規模が変わるだけでございますよ」

「今のところあの時のゴブリンと同規模の群れさえ見てないんだが」

「いや、あの時の群れが多すぎただけでございますからね?」

「え、でも三十体程度だろ?」

「だからそれが多いと言ってるのでございますよ!」


 ビシィ! とレーシアが八尋の胸に指を押し付けて来る。


 一般的な冒険者として活動してきたレーシアからすれば、たった三人でこの七階層まで到達していることがおかしいのだ。


 レーシアはベテランのパーティーに入れてもらって九階層まで行ったのである。ルーキーだったレーシアに色々なことを教えながら、魔石のために余裕がある時はしっかりモンスターを倒す。


 それに比べて八尋たちは積極的にお金を稼ごうとする素振りも見せず、黙々と先の階層に進むことを最優先とする。


 しかも遭遇したモンスターとの戦闘は、全て一瞬で終わる。


 八尋のアンリエルは全方位に中距離から攻撃が可能で、最近はレーシアがファルウートを出すことさえ稀だ。


 普通の学生パーティーなら、一日に戦える回数は数回程で、傷つけばポーションを使わなければならない。扉を見つけるのは、モンスターとの戦いの中で偶発的に見つける他ないのだ。


 赤字にならない程度に安全策を取りながら、大怪我を負わないよう天理の塔に潜り続ける。それが当たり前なのだ。


 このパーティーでは必要最低限な消耗品以外、出費がないので、赤字になることはほぼない。


「このパーティーにいると腕が鈍りそうなのでございますよ‥‥」

「はっは、安心しろよレーシア。もう少し手応えのある敵が出てきたら徹底的にタンクやらせるからな」

「ふぁ!?」


 小さなレーシアの呟きをしっかり聞いていた八尋は、笑いながら言う。


「本当は今の内からタンクとして訓練しながら戦おうとは思ってたんだが、レーシアの熊さんってさ、九階層までの敵だとほとんど有効打が与えられないじゃん? もう少し危機感の必要な敵が出てからにしようかと」

「あの、想像以上にスパルタな話が出てきたような気がしたのでございますが、気のせいでしょうか? というか熊さんってなんでございますか! ファルウートです、ファルウート!」

「どっちでもいいだろ、正直このままだとまともな初戦はボスモンスターになりそうなんだが」

「ふぁ!?」


 ただのルーキーであれば一笑に付されるような話だが、レーシアは既に八尋たちの尋常ならざる戦闘力を知っている。


「‥‥桜花」

「すいません」

「そんな即答で見捨てないで欲しいのでございますよぉ」


 このままだと本当に突然ボスモンスターの前に放り出されかねないと思ったレーシアは、久々に積極的にファルウートを発動し、モンスターの前に躍り出た。


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