大きい
様々な施設を内包する複合施設のレビウムだが、天理の塔に直接関係するものを除いて、実は群を抜いて使用頻度の高い施設が存在する。
それは酒場でもレストランでもない。
ほぼ全ての冒険者が、期間後に利用する憩いの場。
即ち、浴場である。
「うわぁ、スタイルいいなあとは思ってましたけど、桜花は脱ぐと凄いのでございますね」
制服を脱ぎ、タオルを身体に巻いたレーシアが感嘆の声を漏らした。その視線の先には、同じくタオルを巻いて恥ずかしそうに身を捩る桜花がいる。
「‥‥いえ、私は、そんなことありません」
そう言って桜花は自分の身体を見下ろした。脚はスラリと長く、スリムにバランスの取れた体型は確かにレーシアの言う通りスタイルがいい。
けれど、桜花は視線を少し下げて言った。
「‥‥それに、レーシアの方が凄いです」
「へ? そんなことないのでございますよぉ」
口では否定しながらも、桜花に褒められたのが嬉しいのかニヘラと笑うレーシアを、桜花は真剣な目で見つめる。
――大きい。
小さいのに、とにかく大きい。
小柄なレーシアの胸にこれでもかとたわわに実った、巨峰。冒険者として動くために身に着けているしっかりとした下着から解放されたそれは、暴力的な質量と柔らかさでもって震えていた。
男なら、誰もがこの質量の前には膝をつかざるを得ないだろう。それ程までの存在感を目前の胸は放っていた。
対して、自分だ。
桜花はそっと自らの胸に手を当てる。無いわけではない‥‥と思う。思いたい。ただ目の前の戦略兵器クラスの胸を見ていると、どんどん自信がなくなってくるのだ。
「あ、あのあんまり見られると恥ずかしいのでございますが‥‥」
「っ、すいません」
レーシアに指摘され、桜花は慌ててレーシアの胸から視線を剥がした。その先には丁度鏡があって、モデル体型の少女がこちらを見返している。
「‥‥」
そもそも、桜花は自分の高い背が嫌いだ。
何故なら、八尋と二人で並んだ時、桜花の方が少し背が高い。普段は履かないが、ヒールの高い靴を履けばその差はもっと開く。
八尋の女性の好みなんて聞いたこともないのだが。
――きっと八尋さんも、レーシアのような女の子らしい女の子の方が‥‥。
そんなことを思って一人で沈む桜花の手を、レーシアが取った。
「行きましょう桜花! ご飯食べるまでに汗をかかないといけないのでございます!」
「は、はい」
テンションの高いレーシアに先導されて、桜花は浴場へと足を踏み込んだ。
レーシアは溜まっていたものを吐き出せたおかげか、とても清々しい表情でお風呂へと突撃していく。その様子が天真爛漫な子どもみたいで、同性である桜花から見ても可愛らしかった。
「ふぅ‥‥やっぱりお風呂はいいものでございますねぇ」
「はい‥‥」
露天風呂に浸かり、二人はとろけ切った息を吐いた。
今日は短時間の探索であったが、色々なことが起こったせいでそれなりに疲労が溜まっていた。
特にレーシアの精神的ストレスは相当なもので、それらが全てお湯の中に流れ出して溶けていくようだった。
ちなみにこの露天風呂は絶対に覗けないよう科学技術の粋を集めて防衛されている。霊装を使っても覗けないように霊力探知機という、不確定な揺らぎを正確な観測結果の差異から導き出す装置で対策が為されているほどだ。
レビウムのアイドル、受付嬢も来るので当然と言えば当然の体制かもしれない。
その完全防備体制の中、ゆっくりとお風呂を堪能していたレーシアは、ポツリと呟いた、
「そういえば、桜花は八尋の婚約者なのでございますよね」
「っ!?」
突然の予期せぬ問いに、桜花は声をあげそうになった。
「‥‥はい、一応婚約者‥‥です」
「一応って‥‥だって一緒に住んでいるのでございますよね?」
「どこで聞いたんですか‥‥」
桜花は改めて他の人から同棲を指摘されるのが恥ずかしいと気付き、口元まで湯に浸かった。
「結構噂になっているのでございますよー。そもそもいつも同じお弁当食べてますし‥‥でも本当に一緒に住んでいるのでございますね」
「‥‥はい」
桜花が頷くと、レーシアは不思議な表情でチャプチャプ湯面を足で波打たせた。
「八尋は、何者なのでございましょうか」
「何者‥‥ですか?」
「はい、外から来たのにあのライオンハートを倒すだけの戦闘力とか、ヒーローモンスターって聞いて動揺しない自信とか、婚約者がいるとか、分からないことだらけでございます」
「‥‥そういうことですか」
客観的に言われてみると、確かに八尋の存在はこのレビウムであっても特殊だ。
桜花からすれば当たり前の話でも、レクトを無傷で倒す八尋は、このレビウムで生まれたレーシアにとっては理解の範疇を超えている。
どう説明したものか、と桜花は考え、自分の話せる範囲で話すことにした。レーシアももうパーティーメンバーの一人だ。八尋の実力を知っておくに越したことはない。
「レーシアは、この天理の塔以外にもモンスターのような怪物が出現することをご存知ですか?」
「‥‥一応知識としては知っていますが、とても特殊な例で、現代ではほとんどないと聞いているのでございます」
「その認識は間違っていないと思いますが、今でも知られてないだけで、確かにいるんです、私たちの国では怪異や妖怪と呼ばれていました
「それって、つまり」
桜花は火照った身体を少し湯の外に出して、ほんのりと赤く染まった肌を風に晒した。
「はい、私の家は千年前から、代々鬼という妖怪と戦う一族なんです。精霊神がこの世に奇跡をもたらすずっと前から、その歴史は続いています」
「‥‥そうだったのでございますね」
「鬼は人を喰います。放っておけば多くの被害が出る。それを防ぐために、私たちの一族は鬼を討つ矛として、民を守る盾として存在しました。精霊神の奇跡がもたらされてからは、契約者たちの力で鬼を倒してきたんです」
レーシアは桜花の話に、驚きを隠せないでいた。
レビウムで生まれ育ったレーシアにとって、モンスターは決して珍しいものではない。だが、モンスターは絶対に天理の塔にしか出現しない。
冒険者が命を落とすのは日常茶飯事でも、それは冒険者として覚悟していたことだ。自ら命を懸けて戦っているのだから、それで死ぬのは致し方ない。
けれど、桜花の話には残酷な現実があった。モンスターが一般人を襲い、喰い殺す。
もし天理の塔のモンスターがレビウムに溢れたらと想像して、レーシアは温かい湯の中で身体を震わせた。
桜花は夜へと移りゆく橙の空を見上げ、続けた。
「そして、八尋さんはその中でも少し特殊な立ち位置でした。小学校に上がる年齢から、学校にも通わずに鬼を殺すためだけに鍛錬し続けたんです。それ以外の全てを捨てでも、そうせざるを得なかった」
桜花は空を見続ける。それは、まるでそうしなければ胸の内に秘めた激情が零れ落ちてしまうかのように見えた。
「そんな‥‥だから八尋は、あんなに強いのでございますね‥‥」
小学校に上がる頃となれば、六歳ぐらいだ。
その時から、学校に行くこともなく鍛錬を続ける。レーシアには到底想像できない生活だ。
しかも桜花は、「そうせざるを得なかった」と言った。その裏には一体どれ程の理由があるのか。六歳の子どもが、人生の全てを駆けるという選択を取らねばならないものとは。
レーシアは己の肩を抱いた。ヴィードにパーティーを壊滅させられた時、こんな不幸はないと本気で信じていた。
けれど、レーシアだけではない。全ての人が、同じように何かを背負って生きている。
その上で八尋は、レーシアの話を聞いて、正面から受け止めてくれたのだ。受け入れてくれた。少しも躊躇わず、嫌な顔もすることなく。
ヴィードに襲われてからの半年、レーシアにとっては地獄のような日々だった。学校では噂され、後ろ指を刺され、パーティーを組むどころではない。ギルドの斡旋に頼っても、レーシアのことを知るとふざけるなと断られた。罵詈雑言を投げかけられるもの当たり前。
もう二度と、ちゃんとしたパーティーなんて組めないと、そう思っていた。
『もう俺たちのパーティーメンバーだろ?』
ふと八尋の言葉が、レーシアの頭の中でリフレインする。
優しくて、あったかい、これまでの全てが救われるような言葉。
「どうかしましたか?」
「‥‥な、なんでもないのでございますよ」
桜花の言葉に、今度はレーシアが顔を隠すようにして湯の中に口元を沈めた。
先に出た八尋が待ちくたびれる中、そうして二人はのぼせる限界まで火照った心を冷まそうと、夜空の下、湯に浸かるのだった。
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