緑の悪魔
「はっ、はぁ、あんた、たちは」
「‥‥無理に喋らないでください。まずは治療を行いますので」
八尋とレーシアに庇われる形で立ち止まったパーティーに、桜花は声をかける。
軽装の男は苦しそうな表情のまま、頷いて背負っていた女を降ろす。
アーマーを着た男は限界だったのか倒れ込むようにして草の上に転がった。
「‥‥」
桜花はまず一番重傷の女を診察し始めた。
(全身に打撲や切り傷‥‥、だけど気を失ってるのは後頭部に受けた一撃が原因で間違いなさそう)
髪に隠れた大きな裂傷。想像以上に傷が深い。
桜花は即座に霊力を高め、自身の霊装を顕現させた。
――『紅葉・楓』。
その手に握られるのは、銃身が四角く分厚い黒の双銃だ。グリップの上部には六つの小さな宝石が円環を作っている。
両手にかかる無骨な重さを感じながら、桜花は静かに呟く。
「装填――治癒弾」
直後、バレルに埋め込まれた宝石の一つが白く光を発した。
無事弾丸を装填出来たことを確認すると、桜花は銃口を女の後頭部に向けた。
「なっ、なにするんだ!」
「治療です」
仲間に銃を向けられた男が慌てて桜花に食って掛かるが、桜花はそれに端的に返すと、躊躇いなく引き金を引いた。
「っ!」
銃声は鳴らなかった。ただ何かが風を切る音が聞こえ、思わず軽装の男は目を瞑りそうになる。
ただ予想していた結末は訪れなかった。
「‥‥なんだ、これ」
右手に持った銃、紅葉から放たれた白い弾丸は寸分違わず女の傷に命中し、白い光が淡く輝いた。
その光の中で、女の後頭部に刻まれた大きな裂傷がみるみる内に回復していく。
桜花の霊装、『紅葉・楓』の二丁拳銃は、生物に対して様々な効果を発揮する特殊な弾丸を撃ち出すことが出来る。
今の様に人を治癒する『治癒弾』を得意とし、桜花は鬼神との戦闘においても八尋や戦士たちを多様な場面でサポートしてきた。
桜花は女の後頭部の怪我が塞がったのを確認すると、双銃に再び治癒弾を込め、三人の冒険者に連射する。
着弾した弾丸は瞬く間に三人の傷を癒していく。
「あ、ありがとう」
「いえ」
凄いな、ヒーラーだったのか、と驚く男から視線を外した桜花は、八尋とレーシアの方を見た。
二人が見つめる先で、密林の影が蠢いた気がした。
「っ! あいつらだ、すぐに来るぞ、逃げないと!」
それを見た男が叫ぶ。余程恐ろしい経験をしたのだろうが、桜花は全く動じることなく双銃を構えた。
何故なら、彼女の前には誰よりも信頼出来る人が立っているのだから。
そして平原の静寂を引き裂くように、三人を追っていた正体が影を突き破って飛びだしてきた。
――ギギャギャギャ! ギギッ!
それは、一見すると緑の肌をした小人である。
赤や黄の色とりどりの装飾品に、大きな葉で出来た仮面を被った人型のモンスター。
背丈はおよそ成人男性の腹程までだろう。頭がデカく、大きな耳は尖っていて、骨ばった身体は猫背で、余計に小さく見えた。
だが、小さいからと言って甘く見てはいけない。その手にもった原始的な武器を使い、冒険者たちに襲い掛かる彼らは、緑の悪魔と呼ばれるのだから。
『ゴブリン』。
歴史上、世界で最も有名なモンスターと言ってもいいだろう。残虐で醜悪な小鬼たちは、この天理の塔で確かな姿を持って現れる。
レーシアやミスティが言っていた通り、天理の塔は五階層から一気に難易度が上がる。死亡率が跳ねあがり、ボスフロアどころか九階層までを安定して突破出来るようになるまでに、三年以上かかるパーティーも珍しくないという。
その大きな原因が、このゴブリンだ。
彼ら一体一体は、せいぜい一般人程度の筋力と道具を使う程度の知性を持っているだけだ。
だが、小柄な人が武器を持って徒労を組み、罠を仕掛けて全力で襲い掛かってくるというのは、これまで野生動物のようなモンスターだけを相手にしていた冒険者にとっては青天の霹靂だ。
それを象徴するように、密林からはワラワラと何体ものゴブリンが現れる。その数は三十近い。
五階層でこれだけ大規模なゴブリンの群れが出現するというのは桜花も聞いたことがなかったが、ここは天理の塔。不測の事態などいくらでも起こり得る。
――ギッ! ギギッ! ギィア!
金切り声を上げ、手に持った斧や剣を振り回しながらゴブリンたちが八尋とレーシアを威嚇する。
「ひっ」
その様子に、アーマーを着た男が悲鳴を漏らした。
密林の中で三人のパーティーがゴブリンの縄張りに踏み込んだのか、あるいは運悪く見つかって襲い掛かられたのかは分からないが、ゴブリンたちは興奮した様子で武器を打ち鳴らしていた。
モンスターである奴らに恐怖や躊躇いはない。巨大なレーシアのファルウートさえも、等しく獲物なのだ。
「な、なんでこんな大きなゴブリンの群れが」
呟きながらレーシアはファルウートの中で震えた。過去九階層に行くまでの間にこの規模の群れに遭遇したことはあったが、四人フルの状態で、皆それなりの経験を積んだ冒険者たちだった。
それに比べてこちらは初めて組んだパーティーだ。
腰が引けるのも無理はない。
だが次の瞬間、いつも通りの八尋の声が周囲に響いた。
「レーシア、しっかり腰落して盾構えとけ。あいつらの攻撃じゃその鎧は通せないだろ。桜花、サポートと後ろは頼んだぞ」
「へ、は、はい!」
「分かりました」
八尋はゴブリンの群れに囲まれた状態で、冷静に機片を組み合わせた。
機片同士がガチリと噛み合い、霊力が一気に流れ込む。
アンリエル――剣機:六花。
八尋の周囲を、六振りの剣が舞った。
レーシアは言われた通り盾を構え、桜花は双銃に攻撃用の弾丸を装填する。
直後、何体かのゴブリンが手に握った石を一斉に投げた。単純だが、頭に当たれば意識を失いかねない攻撃。
それらはレーシアの盾と鎧に当たって弾かれ、八尋に投げられた物は六花が切り捨てる。
その投石と同時にゴブリンたちは動いていた。
――ギギギィッ! ギャッ!
手に持った思い思いの武器を振りかざし、ゴブリンたちは鬨の声を上げて八尋たちに殺到する。
一般人程度の力しかなくとも、それらが三十人も本気で跳びかかってくる様は、本能的な恐怖を掻き立てるものだろう。
多くの冒険者がこの階層で天理の塔の恐ろしさを知るのだ。ここは夢と希望にだけ溢れた場所ではない、常に死が手を伸ばして迫ってくる生と死の境界線上なのだということに。
だが、八尋は天理の塔であっても日常的に生きる街の中であっても、死がありふれたものだということを知っていた。
どれだけ健康な人間でも死ぬときは簡単に死ぬ。今にも死にそうな人間がしぶとく生き延びたりもする。その僅かな天秤を傾けるのが、本人の行動と気力だ。
それを知っているからこそ、ゴブリンが跳びかかってきた瞬間、八尋は躊躇うことなく六花に霊力を込めた。
六花が、縦横無尽に振るわれた。
銀の閃光が弧を描き、それに合わせてゴブリンたちの鮮血が宙を舞う。
まず一瞬で、十体のゴブリンが物言わぬ肉塊に変わった。
それでもゴブリンたちは仲間が死のうと怯まず向かってくるが、それは悪手だ。
八尋の近くであればある程、六花はカバーする範囲が狭くなるので、隙が減る。ここでの正解は距離を取って投石を繰り返すことだが、知恵があるとはいっても所詮はゴブリン。頭に血が上れば動きは読み易くなるばかり。
勿論満点の正解は、八尋と出会った時点で逃げ出すことだが。
人の動きの枷から解き放たれた六花は、正確にゴブリンの急所を切り裂き、一振りで数体纏めて屠っていく。
武器を持った腕が飛び、切り落とされた首が血を撒き散らして平野を転がる。
――ギャギャギャッ!? ギギィ! ギッ!?
いつしかゴブリンたちの鬨の声は阿鼻叫喚に変わり、ようやく状況を理解した数体が逃げ出そうとするが、もはやここは八尋の間合いの中だ。
背を向けたゴブリンの頭を六花が貫き、仲間の死体を盾にしたゴブリンを別の六花が諸共両断する。
それはもはや戦いですらない。
愚かにも嵐に飛び込んだ羽虫が引きちぎられるワンサイドゲームだ。
(ゴブリンも一応小鬼の分類のはずだけど、やっぱり俺の知ってる鬼とは少し違うな)
六花を操作してゴブリンを刻みながら、八尋はそんなことを考えていた。五階層目からが本当の冒険とはいえ、八尋の敵でないことに変わりなかった。
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