ありがたいですけど
「しょ、勝者、仙道八尋!」
教員の言葉が、寒々しい程に静まり返った訓練場に響き渡る。
最大霊力量でE判定を受けた八尋が、ライオンハートを倒したことを、まだ受け入れきれてないのだろう。
(まあ、強いというか火力があるだけで弱っちかったけど。ちゃんとした環境で鍛錬すれば、一気に伸びるんじゃねーかな。性格があれじゃ早いところで頭打ちかもしれんが)
当の勝者である八尋は、倒れ伏すレクトを見ながらそんなことを考えていた。
最後の六花は、諦めさせるために撃ち込んだもので、当ててはいない。ただ少し強めに投げたせいか、あるいは六花が迫る恐怖からかレクトは気絶してしまっていた。
それに対し、結局八尋は傷一つ負っていない。これ以上ない完全勝利である。
かといって、八尋には別段喜びも達成感もない。
レクトにハーレム作りのコツでも教わろうかと思ったが、なんだか彼の周りにいる女性は八尋の手に余りそうだし、そうなると命令したいことも特にないのだ。
むしろ命令しても反発される未来が目に見える。
つまるところこの模擬戦は、八尋からするとただ面倒なだけだった。
(しかも、なんか想像してた反応と違うし)
八尋は静まり返った観覧席を見つつ、溜息をつきたくなった。
模擬戦で力を示せば、てっきり女子にキャーキャー言われるものと思っていたのだが、そんな様子もない。これでは完全な無駄骨である。
少し気落ちしていると、結界の解けた観覧席から一人の少女が駆け寄って来た。黒髪を揺らし、無表情ながら小走りで八尋に向かってくる。
「‥‥お疲れ様です、八尋さん」
「おお、ありがとな」
八尋の前に立った桜花は、用意しておいてくれたらしい水筒とタオルを手渡してくれる。
さほど動いていないのでそこまで汗はかいていないが、水筒は純粋に嬉しかった。
中身はスポーツドリンクらしく、爽やかな酸味と程よい甘さが身体に心地よい。六振りの剣を同時に操作するのは、相当頭を使う。糖分が脳に染み渡るようだった。
そうやって八尋が喉を潤していると、桜花が視線を彷徨わせる。
昔からの、何か言いたいことがある時の動きだ。
「どうかしたのか?」
聞くと、桜花は少し驚いたように目を大きくしてから言った。
「いえ、その‥‥ありがとうございます」
「? なにが?」
なんで桜花が礼を言うんだ? と本気で首を傾げている八尋に、桜花は察しが良いのか悪いのか分からなくなりながら、言葉を続けた。
「‥‥あの、勝ってくれて」
その言葉に、八尋は桜花が賭けの対象になっていたことを思い出した。
負ける気が一切しなかったので、正直あまり気にかけていなかったのだ。
ただ賭けられた本人からすれば、待っている間は気が気でなかったはずだ。
こういう時は、どうすればいいのか。
少し考えてから、八尋は手を伸ばして桜花の頭に置き、サラサラした黒髪を撫でる。
(よく菫さんがこうしてくれたっけな)
そう思いながら八尋は言う。
「一応、婚約者だしな。いい人ならともかく、あいつに渡す気にはなれないし」
善十郎たちに支援してもらっている以上、暫くは桜花と婚約者でいる必要もあるが、自分で稼げるようになれば桜花を縛り付ける必要もなくなる。
だから桜花が本気で惚れた相手なら応援するが、レクトは流石に駄目だ。
とはいえ、それも天理の塔に挑んでみないと分からんなーと思っていると、桜花からの反応がないことに気付く。
「どうした桜花?」
「い、いえ。なんでもありません」
そう言うわりには桜花の身体が硬くなっている気がするが、本人が言うならなんでもないんだろうと八尋は撫でていた手を離した。あっ、という桜花の声は届かない。
一方で八尋は思い出したようにレクトの方に顔を向けた。
「悪い桜花、ちょっとあいつ治してもらってもいいか?」
「‥‥彼をですか?」
名残惜しそうに自分の頭をさすっていた桜花は、八尋の言葉にレクトの方を見る。
そこには未だ気絶した状態で、数人の女子生徒に囲まれているレクトがいた。
「ああ、多分そんなに酷い怪我はしていないと思うけど、桜花なら簡単に治せるだろ? 嫌ならいいんだけど――」
特にレクトを脅威に感じていない八尋が言葉を続けようとすると、レクトを介抱していた一人の女性徒が、八尋の方を睨んだ。
まるで視線で射殺すと言わんばかりの殺意に満ちた表情に、さしもの八尋も口をつぐむ。
確かレクトが絡んで来た時から近くにいた女子生徒の一人だ。
「覚えておきなさいEランク。この借りは必ず返すわ」
その女性徒、サリスは憎しみの籠った声で、吐き捨てるように言うと、固まっていた男子生徒たちに指示を出す。
そして、レクトは数人の男子生徒によって運ばれていった。
「‥‥なんだったんだ?」
「‥‥分かりません、暫くは何もしてこないとは思いますが」
借りを返すと言われても、今のレクトなら何度戦っても負けないだろう。たとえ桜花にちょっかいをかけようとしても、桜花も決して弱くない。
それにしても凄い視線だったな、と八尋が妙なところで感心している時、不意に声をかけられた。
「おい仙道、少しいいか?」
「なんですか先生」
振り向けば、そこに居るのは模擬戦の審判をしてくれた先生がいた。小柄な八尋が見上げなければならない身長に、鍛え上げられた肉体を持つ先生だ。
八尋は名前を忘れたので、とりあえず内心で筋肉先生と呼んでいた。
筋肉先生は渋い顔をしつつ、言う。
「その、なんだ。もう一度検査を受け直した方がいいんじゃないかと思ってな。多分さっきのナイフ一本で測った結果E判定が出たんだろうが、俺の方から言っておくことも出来る」
「ああ‥‥」
八尋は筋肉先生からの提案に少し考えた。確かに六花の状態で計測すれば、E判定にはならないだろうし、他の生徒から侮られることも馬鹿にされることもなくなるだろう。
だが、八尋は首を横に振った。
「いえ、ありがたいですけど、このままでいいです」
「しかし」
「俺はパーティー組むなら偏見を持たない人がいいですし、今はメンバーにも困ってませんから」
そう言って、軽く桜花を見る。桜花もその考えに賛同するように頷いた。
「そうか‥‥。お前がそう言うなら仕方ない」
「わざわざありがとうございます」
「いや、元々今回の件は学校側の検査方法にも問題がありそうだしな」
筋肉先生はそう苦笑いした。
八尋の「霊装は使い方次第」という言葉に、なにか感じることがあったのかもしれない。
そうして、八尋とレクトの桜花を賭けた騒動は、一応の解決を見たのだった。
八尋はこれで天理の塔に挑めると伸びをし、桜花は無表情でそんな八尋を見ている。そして、そんな二人を見つめる沢山の視線。
この戦いが八尋たちの未来に大きな影響を及ぼしていたことを彼らが知るのは、そう遠くない話だ。
観覧席をそそくさと立ち去ろうとする桃色の髪をした女性徒は、口の中で呟いた。
「仙道、八尋」
その名を、決して忘れないように。
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