プロローグ その3
「僕の名前はディル。以後よろしく」
一瞬、あっけに取られた顔をした後、何ごともなかったように笑顔で名乗った。
「名前を知らないのに殺しにきたの?」
「だって、必要ないから。屋敷の間取りと、どの部屋で寝ているか解れば、十分」
なるほどねえ、と相づちを打ち、ディルと名乗った男は部屋から出ていった。
「その服を着替えたら、自由に出かけていいから。確認したら、戻ってきなよ」
と、言葉を残して。
ディルが出ていって半時ほど経ってから、マリスは言われた通りに着替えて、部屋の窓から外に出た。忍び込んだ黒ずくめの服から寝間着に着替えさせられていたが、元々の服だったとしても、昼間に出かけられる格好ではなかった。用意されていたのは若干どころではなく仕立てが良い服だったが、選択の余地はない。
ともあれ、ディルの言葉が本当かどうか、拠点に行ってみれば解るのだ。
尾行が付いている気配はない。ふう、と一息吐いて、マリスは昼の街を小走りに進んでいった。
雑貨屋さんに偽装していた隠れ家、連絡役の物乞い、取引相手と打ち合わせ場所の酒場。これまで利用する必要もなかったが、教えられていた場所は軒並み閉店、人物は見かけもしない。
そして、拠点となっていた貴族の屋敷も、もぬけの殻になっていた。
「このお屋敷に御用かい?」
屋敷の前でぽつんと立っていた兵士の男が、どこぞの使いか何かと思ったのか、声をかけてくる。
「はい、奥様からのお手紙を届けに来たのですが……どういう……?」
「お嬢ちゃんの家は、情報に疎いのかな? このお屋敷の主は、ちょっと王様と喧嘩しちゃってね。国から出ていったんだよ」
理解できなそうに見えたのか情報規制されているのか解らないが、ディルの言い分が正しかったのは証明された。
「ところで、お嬢ちゃんは、どこのお屋敷に勤めているんだい?」
にこやかながらも、値踏みするような視線になる。下っ端のようにみえて、意外と役職についている人なのかもしれない。顔の作りは特徴に乏しく、顔を覚えるのが得意なマリスでも、少し経てば忘れてしまいそうだ。
「ゴドウィン家でお世話してもらってます。普段はディル様にお仕えしていますが、出かける用事があったので……」
「あ、そうなんだ。じゃあ……さっきのお話は秘密にしておいてもらえるかな? 馬鹿にしたと思われたら大変だ」
苦笑いを浮かべながら、お願いしてくる兵士。マリスも微笑みながら頷いた。
「はい、それとなく引っ越したとお伝えします。お邪魔しました」
マリスは、しんなりとお辞儀をして、手を振ってくれる兵士と別れて屋敷に戻った。
屋敷に着いて、窓から部屋に戻る。
誰もいないので、マリスは寝台に寝転んだ。
「寝てる?」
数時間は経っただろうか、外は少し暗くなってきている。少しうとうとしていたようだ。
「寝ていたら返事できない。聞くなら起きてる?っていうべき」
「えー。寝顔見たいじゃない。可愛いんだから」
大物だが、間違いなく馬鹿でもある、とマリスはディルの人物評を下す。
「どうするか決まった?」
「決まったというか、選択肢がない。このお屋敷で使ってもらえるなら、何でもする」
ディルは指を一本顔の前に立てて、ちっちっ、と言いながらぴこぴこ左右に振った。
「女の子が、何でもするとか言っちゃいけません。世の中には、特殊な性癖の人間もいるんだからさ。マリスちゃんに必要なのは、教育だね。立派な淑女に育ててあげよう!」
「別にいい。仕事を与えてくれれば。あなたみたいな化け物は無理だけれど、一般人、ちょっとした魔術師くらいなら殺してこれる」
マリスが告げると、ディルは大仰にうなだれた。
「真面目に教育は必要だね。では、まずは仕事を与えよう。あ、その前にマリスちゃんは今何歳?」
「数えてないから知らない」
「よし、じゃあ君は九歳だ。きっと大きくずれていないだろう。ちょっと小柄だけど、一年あれば少し横幅も出るだろうし」
適当で良いなら聞かないで欲しいとマリスは思うが、ディルの説明は止まらない。
「一年で一般常識を覚えてもらって、十歳から学校に行こう。そこで将来の夢を見つけて、友だちも作る。それが仕事。いいね」
「嫌。面倒」
マリスは思いきり顔をしかめるが、ディルは聞く耳を持たない。
「ほら。何でもするとか言っちゃ駄目って解ったでしょう? ひとつ、勉強になったね。きみはもっと色々と学ばなくてはいけません。断る権利はないよ」
ディルは断言して、マリスが諦めたように頷くのを見て、満足げに付け足した。
「学校には、僕の養子ってことで入ってもらうから、しっかり勉強しろよ」




