一年目 前期 その4
野営地に使えそうな広場を見つけたのは、夕方から夜になろうかという時間だった。太陽もほとんど沈んでいる。
途中リスやウサギを何度か見かけて、一匹の時はアンナの魔法で足止めをしつつ、カティが狩っていた。負ける要素は極めて薄いが、それなりに時間がかかる。アンナは風を操れるが、殺傷能力はほとんど無きに等しい。
「ここが良さそう。広いし、奇襲されるような心配も少ない。二人へばっていて、これ以上歩くの無理そうだし」
「そうですね。ところでお嬢様、もう少し言い方に配慮した方が良いですよ」
アンナとグルケは疲れていて言い返すのも辛そうで、地面に座り込んだ。マリスとカティ、シンシアの三人は、これからどうするかを相談し始めた。
「カティは食事の準備をやって。私とシンシアで野営の準備するから。それでいい?」
「解りました。天幕は、二つで良いですね」
「うん。それと、シンシアも無理して敬語じゃなくていい。もっと気楽にして」
う、とシンシアは躊躇したが、マリスがじっと見つめ続けているとためらいがちに頷いた。満足そうなマリスは、カティにも目を向ける。
「私は変えませんよ。お嬢様に敬意を払うのは、お仕事である以上に私の誇りでもあるんですから」
「それならそれでいい。無理して敬語をやめる必要はない。自然なのが一番いいと思うだけ」
三人は手分けして取りかかる。始めてすぐ、グルケとアンナも手伝おうとするが、明日のために疲れをとる方が大事と断った。
カティは歩きながら採取した木の実や香草を使い、これも途中で仕留めた魔物ではないウサギやリスの肉を焼き、味付けをする。マリスとシンシアも、手慣れた風に大小二つの天幕を組み立てた。
「その、足を引っ張ってしまってすみません……」
カティが作った食事を口に入れつつ、アンナは恐縮して謝る。マリスが口を開く前に、シンシアが怒り出す。
「あなた、結構魔法を使っていたのだから、疲れても当然なのよ。悪いことしているわけではないのだから、そんなにおどおどしない。私の姉も魔法を使えるけれど、連発すると辛そうにしてらしたもの」
「そうなんだ。じゃあ、もし魔法で攻撃されたら、避けてたら相手は撃てなくなる?」
「え? ええ、まあ理屈ではそうね。普通は避けらないけれど。それより、情けないのは道中特に何もしなかった方ですわ」
ちろり、とグルケを睨みながらシンシアは辛辣な言葉をぶつけた。広場に着いた直後は何も言えなかったグルケは、ある程度回復したのだろう、シンシアに反論する。
「俺は戦闘能力も持久力も無いよ。そんなの、入学試験の時に武力審査を受けなかったんだから解るだろう。文句を言うなら、それが解っていて俺を同じ班に入れたマリスに言えよ」
「それだけ駄目なら、誘われた時に遠慮するとか、少しは鍛えるとか、何か考えるべきではなくって?」
「ちょっと黙って」
シンシアとグルケが言い争いを始めた直後、マリスは二人を制止する。いつになく真剣な目をしていて、全員に立ち上がるよう指示した。怪訝そうにしながらも、誰も逆らわずに立ち上がる。
「何か来る。たぶん魔物。大きいし、威圧感が凄い」
「に、逃げるべきでは?」
アンナが提案するも、即座に却下される。
「無理。道がない森、夜に魔物から逃げ切れるわけがない。少なくとも足止めが必要。四人で逃げてもいいよ」
「馬鹿なことを仰らないでくださいませ。お嬢様を置いて逃げるなんてとんでもないです」
小声で話をするうち、下草を踏みしめる音、ばきばきと木の枝を折る音が鳴り、黒く大きな体が見える。ぐぉぉ、と吠えるのを聞きながら、グルケが呆然とつぶやいた。
「なんで、クマがこの森に……」
いるわけがない、と言うグルケだったが、マリスの言葉で我に返る。
「いるものは仕方が無い。それより、あれの弱点は?」
「あ、ああ。魔物の証明でもある赤い目は当然だが、それ以外は硬い毛皮と筋肉に覆われていて、少しの攻撃じゃ通らない。後は単純だが足の甲が若干薄くて攻撃が通りやすい、というくらいしか……」
「ん。それで十分。私が様子見で行くから、シンシアはその後で行けそうなら援護に来て。無理と思ったら絶対に来ちゃ駄目。いい?」
解った、と返事を聞いて、マリスはクマに向かってゆっくりと間合いを縮める。そして、流れるような動作で肩当てに仕込んでいた短剣を引き抜き、クマの目を狙って投げつける。
爪にでも当たったのかカンと軽い音が鳴って、クマが腕で短剣を防いだ。
「遠くからじゃ無理」
クマの攻撃範囲に入ると同時に、マリスは一歩引く。引く前に居たところを、クマのかぎ爪が通過した。大ぶりを外したところで一気に間合いを詰めて飛び込み、小剣を目に突き込もうとするが、クマは身を沈めて避ける。逆の腕で浮いているマリスに攻撃をしかけたが、かろうじてクマの肩を蹴って間合いをとる。
「あれは……無理です……」
シンシアが、悔しそうにつぶやく。はじめの爪は避けられるかもしれないが、二発続けられると避けられる気がしない。そして、クマの重量から繰り出される攻撃は、一発でも食らうと致命傷だ。
いくらマリスが強くても、クマに攻撃を通すには膂力が足りず、唯一ともいえる弱点の目は、クマも警戒していると考えると、勝ち目は薄い。シンシアたち三人は逃げる手段もなく死を覚悟したが、カティは真剣な表情でマリスとクマの戦いを見守っている。
「シンシア、無理ならいい。カティ、やってしまうね」
「お嬢様、遠慮無く、本気を出してくださいませ」
「うん。後のことは任せた」
小剣を鞘に納めて、刺突剣を抜く。大きく息を吐き、一気に距離を詰める。アンナやグルケは当然、カティにも見えなかった。シンシアには、一瞬で飛び上がり、勢いよくクマの足の甲に剣を突き刺したのが、かろうじて把握できた。
クマも一瞬してから痛みが来たのか、わめきながら腕を乱暴に振り回す。すでにマリスはクマの足に刺突剣を残したまま距離を離していて、左手に小剣、右手に短剣を持ち、再び距離を詰めた。
クマも迎撃の態勢に入るが、走ってきたマリスに右腕を振るった時には、すでにマリスは振るった側の死角に入り込み、一気に顔付近までクマの体を登る。クマが身動きする前に、両目にそれぞれ構えた剣を突き刺した。
あっけに取られている三人と身じろぎせず見つめていたカティのところに戻り、マリスはつぶやいた。
「あれで動きは封じたけど、倒すのは難しそう。天幕は諦めて、場所を移そう。ごめん、実習は棄権になるけど、先生に言って撤収するしかない」
「そ、そうですわね。じゃあ、すぐに荷物だけ持って逃げましょう」
「すみませんが、私とお嬢様の荷物は、分担して持っていただけますか?」
天幕に向かって走り出していたシンシアが振り返ると、マリスが倒れるところをカティが支えていたところだった。
「マ、マリス様?」
「まずは逃げましょう、説明はそれから」
クマが暴れていて、いつこちらに向かってくるか解らない。カティがマリスを担ぎ、三人で荷物を持って、この場を後にした。
「マリス様は大丈夫なの?」
しばらく無言で進んでいたが、そろそろ大丈夫と判断したのだろう、先頭を歩くシンシアが横に並んでいるカティに声をかけた。周りはクマの影響で他の魔物が逃げたのか夜だからか、静まりかえっている。
「クマ相手に、普段の何倍も凄い動きをしてらしたでしょう? 体に相当な負担がかかるせいで、数日はぐったりしてますわ」
「え、ええ。マリス様の普段の動きも常人には出来ないと思うけれど、さっきのあれは、試験の時の、カイトだったかしら、たぶん彼の動きも凌駕していましたわ」
「カイトは勢いに任せて攻撃するだけだったけど、マリスはあの速度で動き回っていたしな」
口を挟んだグルケに、シンシアは驚いたように振り返る。
「見えたの?」
「見えてない。結果から判断しただけ」
いつのまにかクマの足に剣が刺さっていて、次の瞬間には目が潰れて、マリスが戻ってきていた、という。
「確かにあれは普通じゃない。身体への負担も相当大きな気がする」
「旦那様は、あまり使ってはいけないとおっしゃっていましたが、いざという時は躊躇するな、ともおっしゃっていました」
「だって、躊躇して誰かが死んだら、それは躊躇した私のせいになる」
背中から声がして、カティはびっくりして立ち止まる。
「お嬢様! 起きてらしたのですか?」
「今、ちょっと起きた。カティ、ありがと。まだ動けないから、もうしばらくお願い」
カティが無理に背負っていたが、マリス自ら体勢を整えて、きゅっと抱きつく。背負いやすくなったカティは、見えないのを承知で笑顔を浮かべる。
「まかせてください。お嬢様、守っていただいて、ありがとうございました」
「うん」
少し会話をして安心したのか、マリスは再び目を閉じると、すぐにすうすうと寝息を立て始めた。




