婚約破棄は承りましたので、とっととお帰りくださいませ
どこにでも我こそ王、すべての決定権を持つ、と勘違いするものは存在する。
ティンメルマンス王国の王城に住む側妃様もそのおひとり。
彼女は現国王の治世が安定し、盤石になってから迎えられた妃である。
平和を享受する時代の王宮で蝶よ花よとちやほやされて、更には男子を一人お産みになったから、ますます増長してしまった。
王妃様と違い、国の仕事など背負うこともなく、ただ愛されるのが当たり前、傅かれるのが当たり前の側妃様。
しかし時は過ぎ、陛下も老境に差し掛かり、世代交代も間近である。
そのことを考えれば、自分の今後を充実したものにすべく、他人に寛容にもなるべきなのである。
ところが、そのすぐ先のことすら考えてみもしないから手に負えない。
彼女が産んだ、第三王子もしかり。
『国王陛下が、貴方が幸福になれる素晴らしい婚姻を整えてくださるから、なにも心配はいらないのよ』
そう言い聞かせられて育った王子も、気の毒ではある。
しかし、彼が幸福になるためだけに選ばれる婚姻の相手からすれば『冗談じゃない』の一言に尽きるのだ。
その選ばれた相手であるドリーゼン侯爵家の長女マレインは、今日も王都屋敷の執務室で仕事に励んでいた。
王立学園を優秀な成績で卒業してから、はや二年。
卒業を前に婚約が内定したが、その後、相手が留年しているので話は延び延びになっている。
相手はこの王国の第三王子クラース。
入学時には同じ学年だった。
幼いころより優秀で努力家だったマレインは将来、誰を婿にしても困らぬよう、領地経営を学んできた。
だが、誰を婿にしても困らぬよう、というのは、侯爵家を困らせる婿を迎えてもよい、という意味ではけしてない。
侯爵家にふさわしい優秀な婿となれば、国の要職に就き、忙しく働くこともあるだろう。
そういう場合は夫婦で協力して領地を治めることになる。
そのための学びであり、努力であった。
ところが、領地経営が出来る娘への婿入りであれば、お花畑で育った王子でもよかろうと、王家から婚約をねじ込まれてしまったのである。
もちろん、侯爵家も黙ってこの話を受けたわけではない。
婿取り娘は無事卒業したが、第三王子はなんと卒業試験で落第している。
王家は不出来な王子を押し付ける気満々で、学園の成績など気にしていなかったのだ。
侯爵家では、王家に対抗すべく使える伝手を総動員して噂を煽り、粘った。
『さすがに学園を卒業していないと侯爵家の婿としては不味いんじゃないかな』『確かにそうだよねえ』というかんじで。
さすがの側妃様も、夜会や茶会のたびに『学園に通っていたのに卒業できなかった相手を婚約破棄した』だの『婚姻後に落第していたことが発覚したので幽閉した』だの、虚実混ざった話を山ほど聞かされては堪らない。
おかげで、不出来な婿候補は学園に足止め。
だが王家は本気で学園を卒業させるために家庭教師をつけて尻を叩かせ、とうとう卒業を勝ち取らせてしまった。
二年かかったけれども。
「憂鬱」
「まあまあ、お嬢様。
まだ婚約が締結されたわけではありませんし。
希望を捨ててはいけませんよ」
ドリーゼン侯爵家の王都屋敷。
領地にいる父に代わって屋敷を采配するマレインの執務室には、アルバイトの執事が侍っている。
週に一回、無給でいいからと押しかけ執事になって二年。
あまりの押しの強さに断り切れず採用したところ、これがもう手放せないくらいに優秀で追い出すに追い出せなくなった。
しかも、後から給料を払うと言ったのだが、報酬は十分にもらっていると受け取ってくれない奇特な男なのだ。
「殿下は二年間勉強漬けで、訪ねても来なかったのでしょう?
少しは様変わりしていますかね」
「お好きな剣の稽古も減らしたという話だから、少し弛んでいたりして。
ああ、楽しみだこと」
「はは、棒読みですね」
やがてメイドが来客の案内を告げた。
マレインが応接室に向かうと、なんとクラース殿下の隣には彼女の異母妹のコリーが座っている。
「コリー、どうしてあなたがここに?」
コリーは、マレインの父の後妻が産んだ娘だ。
来年には王立学園に通い始める予定の、花も恥じらう十四歳である。
「玄関にいたらお客様がいらして、直接、案内を頼まれたので」
隣に座る王子殿下は、マレインが期待したほど身体は緩んでいなかったけれども、鼻の下は相当に伸びている。
マレインは『この野郎』と言いそうになるのを堪えて、殿下に挨拶をした。
「第三王子殿下、よくいらしてくださいました。
この度は学園を無事卒業されたそうで、まことにおめでとうございます」
「ああ、婿入りの条件が学園卒業だったからな。
無事クリアできたというわけだ。
さっそく、お前と婚約を、と言いたいところだが気が変わった」
「まあ、婚約は中止ということでしょうか?」
マレインは少しウキウキしながら聞き返す。
「いや、婚約者の変更だ。
この可愛い令嬢は、お前の妹だというではないか。
小難しく小うるさいお前より、よほど、俺にふさわしい。
お前との婚約はしないことにする」
「……本当にそれでよろしいのですか?」
「お前は不満だろうが、俺はそのほうがいい」
「かしこまりました。
では、わたしとの婚約は中止ということで決定させていただきます」
「ああ、そうしてくれ。
ということで、コリー嬢、俺と婚約してくれるな?」
殿下は、異母妹に向き直る。
「婚約? 王子殿下とですか?」
「可愛い君は王族の俺と結ばれるのが正しい道だ」
コリーは実に可愛らしく小首を傾げる。
「あの、王子殿下は何がお得意ですか?」
「俺は、剣が得意かな?」
「では、騎士として働かれるのですか?」
「いや、王族として生まれた俺は働く必要がない。
執務は、君の姉が上手くやるだろうから、俺たちは楽しく暮らせばいいんだ」
その答えを聞いて、コリーは顔をしかめる。
「お姉さまを働かせて、遊んで暮らすなんてできません。
そんな方との婚約は嫌です!」
「え?」
賢くて可愛げのないマレインはともかく、まだ学園にも通わぬ娘なら王子様に憧れるはず、と簡単に考えていた殿下の目論見は見事に外れた。
「あらあら、振られてしまいましたわね。
他に我が家に婿入りできる娘はおりませんので、お引き取りくださいませ」
「い、いや、考え直そう。
やはり、お前と婚約してやることに……」
「それは不可能です」
後ろに控えていたバイト執事がニュッと割り込み、書類を差し出した。
「こうして、公式記録を作成しましたので、もう、この家に婿入りすることは出来ません。
どうしてもとおっしゃるなら、新規に書類を作成して貴族院の許可を取ってください。
再審議だと、すごーく時間がかかりますけれども」
「公式記録?
一介の執事が瞬時に、そんなものを作れるわけがあるか?
たとえ作れたとしても、王宮に提出して受理されなければ効力を発しないはずだ」
「よく勉強されましたね。さすが三年生を三年間頑張った方です。
しかし、残念でした。
宰相補佐室に所属する者の手に渡った場合は、即時有効です」
「宰相補佐室? お前はただの執事ではないのか?」
執事はおもむろに眼鏡を外すと、前髪をかき上げた。
「久しぶりですね、第三王子殿下」
「お、お前、いや失敬、パウエルス公爵家の御次男……」
「王弟の息子であなたの従兄のルーラントです」
「確か、宰相補佐室にお勤めと……あ」
「はい。ですので書類作成も、即時発効も朝飯前です」
「宰相補佐官が副業をしていいのですか?」
「いや、こちらは無給のアルバイトと言いますか奉仕活動みたいなものなので」
「なぜそんなことを?」
「聞かれたのでぶっちゃけますよ。
実は幼いころより幼馴染のマレイン嬢に惚れておりまして。
ところが、申し込む寸前に割り込まれたんですよ。誰にとは言いませんけど。
でも、婚約がなくなればワンチャンあるかと狙っておりました。
いやー、待った甲斐がありました」
ルーラントは実に嬉し気に語る。
「ああ、それと、今はともかく早く王宮に帰られた方がいいですよ」
「なぜです?」
「貴方が無事、学園の卒業資格を得、婿入りを果たすという、この時を待って、陛下は退位をされることになっております。
退位後は田舎の王領で、あなたの母上とのんびり過ごされるご予定とか。
一緒に連れて行ってほしければ、早く帰ってそうお伝えになったほうがよろしいかと」
「な、なんだと!?
母上が田舎暮らしに同意されるはずは……」
「私も一介の補佐官なので、詳しくは存じ上げません。
その目でお確かめください」
「っ……失礼する」
殿下は慌てた様子で帰って行く。
「陛下は、側妃様のこれまでの行状の責任を取って、共に島流しですか?」
マレインが訊ねる。
「まあ、そういうことだね。
王太子殿下が時間をかけて陛下を説得された。
側妃様は寝耳に水で大暴れするかもしれないが、もう彼女を助ける者はいない」
「王妃様は残られるのでしょう?」
「もちろんさ。陛下の退位を早めた分、王太子殿下の後ろ盾として頑張ってくださるそうだ。
この国はなにも揺るがないよ」
「そう、よかったわ。ところで……」
「なんだろう?」
「わたしの大事な妹が、玄関で殿下をお迎えするよう仕向けたのは、あなたかしら?」
「はは、バレた」
「こんなに可愛く育った妹を、殿下の目にさらすような危険を冒すなんて信じられないわ!」
「目論見通り、殿下が君の妹さんに目を付けたのには呆れたね。
しかし、君の妹さんはしっかりしていて、自分で殿下を振ったじゃないか。
大したものだ」
「そうね、わたしもあれほどしっかりしているとは知らなかったわ。
働いている人じゃないと婚姻できないなんて……
あら? 働いている人って、もしかして誰か好きな相手でもいるのかしら?」
見つめられてコリーは顔を赤らめる。
「わたし、パティシエ見習いのミックが好きなんです」
ミックは料理長が見込んで、孤児院から引き取って育てている弟子だ。
「いつかは市井に出て、彼とカフェのあるお菓子屋さんを開くのが夢なの」
「駄目よ! 大事な妹を、市井に放り出すようなまねはできないわ!
彼とうまくいくようなら、子爵位をあげるから。
彼を婿に迎えて、王都屋敷と領地屋敷の敷地内にそれぞれ子爵家用の屋敷を建てましょう」
「君のシスコンもたいがいだね」
「なにかおっしゃって?」
「いやいや。
そうだ、こういうのはどうだい?
どうせ新しい屋敷を建てるなら、そこにカフェ付きの菓子屋を併設するんだ。
利用者は家族と屋敷で働く者、それと信用できる来客に限定して。
それなら君も安心だし、コリー嬢も夢がかなうだろう?」
「あら、それは、意外と悪くないかも」
「平民のミックと恋人になってもいいの?」
コリーはおずおずと訊ねた。
「平民だと差しさわりがあるから、申し訳ないけどミックには貴族籍に入る努力をしてもらうわ。
すでに料理長の養子みたいなものだし、そうね、長年の功績を評価して料理長に爵位を渡せないか検討してみましょう。
そうしたらミックも自然に貴族の仲間入りよ」
「わたし、ミックに、その気があるかどうか訊いてみる!」
「ええ、ちゃんと話し合っておいて。
それと、王立学園の卒業資格は必須ですからね! ……って、あの子足が速いわね」
「卒業資格は厳しくないかい?
最低限の常識やマナーを覚えてもらえば十分だろう」
「そうね。
頑張って働いている人に無理強いはよくないわね。
それにしても、敷地内にカフェは素敵だわ。
使用人たちの福利厚生や気分転換に役立ちそうよ。
休日も敷地外に出ずに利用できるし」
「だったら、周囲も散策路を整えてみたら?」
「あなたの意見は有益だから、採用するわ」
「ついでに、婚約者にも採用してくれないかな?」
「それは……」
「王家に話をねじ込まれる前に、内々で話は進んでいただろう?」
「でも、向こうが先に言い出してしまったもの。
貴族に生まれた者の務めとして、自分の運命は受け入れるつもりでいたわ」
「僕は、君の意に染まない婚姻は断固阻止するつもりだった」
「それでバイト執事を?
そういえば、前に報酬は十分もらっていると言っていたけれど、どういう意味?」
「君のそばに侍らせてもらって、これ以上の褒美はないだろう?
むしろ、僕が払ってもいいくらいだ」
「………そんな馬鹿なことを言うくせに、まんまと侯爵家の裏表を知り尽くしているし。
まったく……頼りがいがありすぎるわ」
「誉め言葉?」
「………」
マレインはうつむいて黙り込む。
「僕じゃ駄目なのかな?」
恋する弱味で、ルーラントは不安げに訊ねた。
「駄目じゃないけど。
……好きな人と婚姻できるなんて、考えたこともなかったんだもの。
王家からの縁談が来た時も、ああ、やっぱりって」
キッと顔を上げたマレインだが、思わず涙がこぼれる。
「マレイン、僕がずっとそばにいる。
僕をずっとそばに、置いてほしい」
胸に抱き寄せられたマレインは、ただ静かに泣くだけで。
ルーラントは精一杯優しく、その髪を撫で続けた。




