第肆拾壱話 辿り着いた楽園(じごく)
遅くなりました。
今回は少なめかな?やっつけなので後で編集し直すかも(◦´꒳`◦)
第肆拾壱話 辿り着いた楽園
薄暗い天井が見える。重い目蓋を開いて最初に目に入ったのがそれだった。随分低い位置にあるなと違和感を感じながら、ハッキリしない意識のまま自分の置かれている状況を理解しようと試みる。周囲を見渡すと、薄いカーテンが引かれた向こうに色とりどりの家具が並んでいた。まるでショップだなと朦朧とした頭で考えていると、不意に家具の隙間から人影が現れる。光はその影にギョッとして飛び起きた。
頭が最大限の危険信号を発し、無意識に自分の傍らを手が弄る。しかし、手は空しくシーツをゴソゴソと引っかくだけで何も掴まなかった。その様子に、人影が声を立てた。
(気付かれたっ!!?)
光の頭は極度の緊張状態となる。武器もなく何故か頭が非常に重い、意識もまだ覚醒しきっていない状態でゾンビに発見される事は確実に死を意味していた。人影はそんな光を知ってか知らずか、ゆっくりと家具の隙間を縫って近付いてきた。薄暗いショップ(?)の中では相手の顔もよく見えない。光はベッドの端までズリズリと後退りした。人影はカーテンの前に立つと、ゆっくりと腕でカーテンを横に引く。スルスルと薄いカーテンが捲れ、人影がニュッと顔を突っ込んで中の様子を確認した。
「やっぱり起きてたね。」
何とも能天気な声がその口から発せられた。随分若い女の声。いや、少女と言っても差し支えない幼い声だった。光は怯えた表情のままその声の主の顔をまじまじと観察する。まだあどけなさを残すその顔に見覚えがあった。そして一気に記憶が蘇る。
「あんた・・・、さっきのっ!?」
「そう、さっきの。」
光の声に少女がニッコリ笑みを浮かべて即答する。そして光に向かって何かを投げて寄越した。ガチャリと音を立てて光の膝元に落ちた物は手錠だ。チャチな物ではなく、鈍い色を放つ手錠は手に取るとズシリとその重みを伝えてくる。光が何度か手錠と少女の顔を目で往復させると、少女はまた笑みを浮かべて光に拳銃を向ける。
「さっさと付けてね。早くしないと撃っちゃうよ?」
その目は優しげでありながらも、有無を言わさない事を光に伝えていた。
★
蒸し暑さを感じて目を覚ますと、外はもう明るかった。残暑のまだ残る朝、締め切ったワゴンは決して快適なものではない。額から汗が雫となってシートに落ちる。隣では妹が汗だくになりながらもスゥスゥと寝息を立てている。余程疲れていたのだろう。昨晩、俺を起こして見張りの交代をしたはずなのに眠りこけるとは何事かと苦笑したが、その寝顔を見ると怒る気も失せていく。
ちょっと寝すぎたかなと腕時計に目をやった瞬間、俺は異変を感じ取った。自分の座るシートが僅かに揺れたのだ。寝るために横に倒したシートは妹もいるので、目を覚ましたのかと妹に視線を移す。しかし、寝息を立てる妹はまだ深い夢の中で微動だにしていなかった。寝返りを打った様子もなく、先程と同じ姿勢で規則正しく胸が隆起している。
俺は妹の変わらぬ様子を見て、嫌な予感がした。今このシート(車)を揺らしたのは俺達ではない。手が枕元に置かれた拳銃に伸びる。そして、周囲をゆっくりと見回した俺の目に、最悪なものが飛び込んできた。手だ。ワゴンの窓にべったりと張り付くように、小さな手が三つくっ付いていた。俺はゆっくりと妹の肩に手を置くとその体を揺り動かす。数回揺すると、妹はやっと目を覚ました。うっすらと目を開け、俺がすでに目を覚ましている事を確認すると、慌てて起き上がり正座する。
「ごめ、お兄ちゃんっ!私寝ちゃっむぐぐぐ・・」
いきなり大声を発した妹の口を俺は慌てて塞ぐ。妹は目を見開き、必死で俺の手を掴んだが俺の態度の異様さに気付いたのだろう。すぐに大人しくなって俺の視線を追うように瞳を同じ方向に向ける。そして窓に張り付いた小さな紅葉を確認し、さらに大きく目を見開く。俺は拳銃を持った手を口に当て、小さく「シー」と口の形を変える。妹はその仕草にコクコクと頷いた。俺はその相槌を確認して、静かに妹の口から手を放す。
窓には手しか張り付いておらず、相手が小さなゾンビだということは確認できた。大人だったら少なくとも顔が出る。手が三つなので複数居る事は間違いない。先程の妹の声に、明らかに奴らは興奮しだした。ペタリとくっ付いていただけの手が、バンバンと窓を叩き出したからだ。俺はゆっくりとワゴンの天井に手を伸ばし、サンルーフを開ける。これが付いていたので、このワゴンをねぐらに選んだ。いざと言う時に上に逃げられるからだ。
サンルーフから顔を出すと、爽やかな朝の風が頬を撫で汗を連れ去っていく。手は一層激しく、窓を叩きだした。人間の臭いに敏感に反応しているのだろう。俺はゆっくりとその方向へ顔を伸ばし、下を確認した。そこに居たのは、まだ小学校に上がる前後ほどの幼子だった。一人は女の子、もう一人はさらに小さな男の子。生前は姉弟だったのかもしれない。そして手が三つだった理由も分かった。女の子の方は左手の方の肘から先が無くなっていた。何者かに食い千切られたのだろう。黒い断面が随分前に失った事を物語っている。
何とも虚しい気持ちに胸が締め付けられる。人間がモンスターと化しているのだから、当然その対象は大人ばかりではない。初めて目にする幼い子供の変わり果てた姿に涙さえ出そうになった。しかし、俺はその気持ちを押し込めると、拳銃のストッパーを外し、トリガーに指を掛けた。
「準備できてるか?」
俺は妹に小声で確認を取る。いつでも逃げられるように寝る前に荷物は纏めていたが、忘れ物はできない。妹は自分の荷物を握り締め、兄の顔を食い入るようにみつめた。それをOKサインと判断し、俺は身を乗り出すとゆっくりと照準を定めた。一瞬、女の子と目が合ったが躊躇せず引き金を引く。乾いた音が二回、澄みきった空にこだました。
★
言いようの無い歯軋りしたくなるような気持ちを押し殺し、俺は妹の手を引き前日みつけた水路を目指していた。途中にあった自動販売機は迂回する。発砲した後は例外なくゾンビが群がるからだ。仄かに香る硝煙の匂いなのか、そこに残された人間の痕跡を誘蛾灯に群がる虫のように嗅ぎ付け集まってくる。案の定、遠めに双眼鏡で確認した自動販売機付近は、昨日は認められなかった人影が徘徊している。その数は確認できただけでも十人は超えていた。
「やっぱりダメだな。まぁ飲み物はまだあるし、諦めよう。」
「コーラを飲みたかったんだけど、残念だね・・・。」
妹は甘い琥珀色の液体に想いを馳せつつ、本当に残念そうに呟く。移動用に甘い飲み物を避けたのは、飲んだ後無性に喉が渇くからだ。べっとりと喉の奥にへばりつく感じが、移動中に摂取する事に向かないと考えるのは自然な事だろう。遠足に甘いコーヒー牛乳や炭酸飲料を持ってくる奴はそういない。わざわざ危険を犯してまで入手する必要はないのだ。まずは逃げ延びる。それが最重要だった。
「とにかく昨日の水路を下ろう。今日中に海に抜けられるかもしれない。」
「分かった。お兄ちゃんが正しいよね?」
「多分な・・・。」
そう妹を宥めつつ、昨日の水路に辿り着いた。辺りに人影はいない。俺は昨日みつけておいた発泡スチロールの箱を二つほど用意すると、中に水や食料を詰めた。そして、それを水に浮かべる。俺の考えでは、水路にゾンビは居ないはずだ。居たとしても少数で、撃破は可能だと結論付けていた。武器だけは手放すことが出来ないのでリュックに纏めて俺が背負う。妹は拳銃を一丁スカートに忍ばせ、俺の後に従う。
「ん、冷たくて気持ちいいね。」
妹は俺の後に続きながら、発泡スチロールの箱の端を掴んで水に入る。水深は膝にも届かないので、浮かべた箱にロープをかけて引くようにする。ジャブジャブと水音を立てすぎると奴らを呼ぶので、慎重に一歩一歩水を進む。流れの方が早く、まるで犬を散歩させるように箱が行く手を先行した。やはり予想していた通り、奴らは水路まで入り込んでいないようだ。主に人間の臭いに引かれるので、大体は民家付近や街中に集中する。
そのまま何も起きないまま、太陽が頭上に輝きだした頃、水はもう腰の位置まできていた。徐々に水深が増している。妹は拳銃も箱の中に突っ込み、箱をビート板のように使って滑るように泳いでいる。歩いている俺はどんどん離されていき、いつしか同じように泳ぐ羽目になっていた。武器を入れるための箱も見つかったのは幸運だったと言える。荷物は増えたが、歩くより泳いだ方が断然速い。その時は気付かなかったが、水中に身を沈める事は大変な自衛になっていた。臭いをばら撒かずに移動できるからだ。
いつしか足が立たないほど水が深くなった頃、休憩をとった橋の橋脚で妹が何かを思い出したように俺に顔を向けた。
「ここ、あたし知ってるかも。」
「本当か?」
「うん、あそこの建物見たことあるもん。何で来たんだったかなぁ・・・?」
「思い出せ、何か身を隠せるとこなかったのか?」
ここでは妹の記憶が頼りだった。残念ながら俺に土地勘がない。何があるか把握する事で入手できるものもある。運良く身を守れる場所が残っていても、見過ごして先に行ってしまう事が恐かった。
「えっとねぇ・・・、最近きたんだけどなんだったかなぁ・・・。」
「頼むぞ鈴子、お前だけが頼りだ。」
「うん、頑張るよお兄ちゃん。」
そう言いながらも妹の顔は険しい。最近ひどい食事ばかりだったので、頭の方まで栄養が行き届いていない可能性もある。確か甘い物が脳を活性化させると聞いた事があった。受験にチョコレートを持参する風習も最近ではよくあると聞く。俺はとっておきの桃の缶詰を開ける事にした。これを食べて落ち着けば何か思い出せるかもしれない。今は何にでもすがりたい。
「あ、モモカンッ!!!」
「これで少し頭の回転を上げろ。頼むぞマジで。」
言いつつ俺がキコキコと小気味よい音を立てながら缶詰を開けるのを、妹はうっとりとした表情で見ている。
(こいつ、思い出すのを止めてるんじゃないだろうな・・・?)
俺はそう疑いつつも、缶詰を開けきるとプラスティックのフォークを刺して妹に渡した。妹はそれを受け取ると、満面の笑みを浮かべて桃の切り身を旨そうに口に運ぶ。横で見ていると自然に涎が出てきた。そう言えば俺も最近はひどい食事ばかりだった。
「ん?あ、お兄ちゃん涎出てるよ?しかたないなぁ・・・。」
俺の涎に気付いた妹はそう言うとニヤニヤしながら桃をフォークに刺して俺の方に差し出した。
「すまんな・・・。」
俺はそう謝りつつも桃の誘惑に勝てず口を開ける。すると妹はサッと桃を引っ込めた。
「何だよ・・・?俺にもくれるんじゃないのか?」
不意をつかれ、自然に不平を口にした俺に妹はいたずらっぽい笑みを見せ、またフォークを差し出した。
「はい、お兄ちゃんアーン。」
「はぁっ!?」
妹のその言葉に俺は絶句した。この危機的状況でまさかのアーンだ。不意打ち過ぎて口を開けたまま固まった。それを見て可笑しそうに笑いながら妹は桃を口に押し込む。甘い味に思わず夢中で咀嚼したが、解せない。
「何が・・、むぐむぐ、アーンだ・・ゴク。」
「楽しかったでしょ?お兄ちゃんずっと彼女いないしね。」
「余計なお世話だ。」
妹に痛い所を突かれ、俺は仏頂面をする。そして「お前もな」とボソリと呟いて精一杯の反撃をした。
「あ、言ってなかったけど私は彼氏いたもんねっ!」
「そうなのっ!?」
妹に彼氏が居たという事実に俺は驚愕した。いつまでも餓鬼だと思い込んでいたため思いの外ショックは大きい。
「あ、ショック受けてる。でも今はお兄ちゃん一筋だから大丈夫だよっ!」
「あのね・・・、妹に欲情する最低兄貴なんて漫画の中だけなんだよ・・・。お前に言われても嬉しくも何ともねえよ。」
そう言いつつも俺の胸中はまんざらでも無かった。今、異性として妹を見ることは出来ないが、もしかしたらもう他に生き残りなどいないのかもしれないのだ。彼女が最後の俺のパートナーになる可能性も捨てきれない。だが、妹は妹だ。パートナーであっても伴侶ではない。面倒な葛藤に苛まれるのも嫌だなと思いつつ、妹の様子を伺う。桃を旨そうに口に運ぶ姿は愛らしいものだ。そして、ふと気付いた。妹は俺に恋愛感情を抱いているのではなく、依存しているのだ。今は頼れるのが自分しかいない。だからどうやっても俺に捨てられる訳にはいかない。だから生存本能が俺の本能を擽ろうとそんな言葉を吐かせているだけ。
「あ、思い出した。」
口をモグモグさせながら、不意に妹が口を開く。
「ここ、彼氏と来たんだよ。ほら、新しいモール出来たでしょ?覚えてない?」
「えっと、最近出来たショッピングモール?」
「そうそう、出来立てなんだよ。そこに買い物に来たんだった。」
妹はそういいながら、最後の桃を口に運んで缶に残ったシロップをズズズゥ~と音を立てながら啜る。
「あ、お前全部食っちまったのかよっ!?」
「うん、お兄ちゃんがノリ悪いから悪いんだよ。」
妹の言い草にやられたと思いながらも、俺は先の事を考えていた。ゾンビ映画ではモールに立て篭もるのが最もメジャーだ。そう考えると、先住民が居るかもしれない。少なくとも、攻撃を受ければ逃げればいいだけで、うまく潜り込めれば安全に定住できる可能性もある。何にせよ、スルーする理由はみつからなかった。
「よし、そのモールの様子を確認しようか。」
妹は、その言葉を聞くと頷き、桃の空き缶を水に浮かべた。
★
モールは意外にも町のど真ん中にあるわけではなかった。どちらかと言えば外れと言っていい。モールの規模で言えば地方に展開している物の中では中規模くらいだろう。大抵は三階構成のモールを見るが、これは二階建てのようだ。その分、横に広く作られているらしく、通常のモールより全体的に幅広く感じる。土地の安い田舎に展開する新しい雛形のモデルケースなのかもしれない。
俺は堤防の端から双眼鏡で様子を確認し終わると、水際で待つ妹の元へ戻る。今いるのはそこそこの広さを誇る河川敷の広場だった。ゲートボールの区画もあり、市民の憩いの場所だった場所だ。ここまで来ると、少し潮の香りが鼻腔を擽る。実際、海はもう間近に迫っているのだと思った。時刻はすでに夕刻、これからモールに挑むのは自殺行為に近い。俺は河川敷で野宿を決行することにした。小さな船着場(多分ボートの停泊所)に管理小屋のような建物も見つけてある。雨風は凌げそうだし、いざとなれば水に飛び込めば事なきを得るだろう。
妹は近くの砂地に浸かり、棒でゴリゴリ何かを掘り返している。そして手を突っ込むと、何か小さな黒い石ころのような物を摘み上げた。蜆だ。日本近海の川や汽水域に生息する二枚貝で、味噌汁などに用いられる代表的な具だ。先程、橋の橋脚にくっ付いていた巻貝も手の届く範囲取り尽くして来た。寄生虫が心配だが、濃い塩水で茹でれば食べられない事もないだろう。それに炒った米とヒマワリの種が今日の食事だ。
辺りが暗くなる頃、俺は妹と焚き火を囲んでいた。近くに何かが居れば気付くはずだ。鍋には殻だけになった貝の残骸とヒマワリの外皮が積み重なっている。ヒマワリは意外に栄養価が高いらしく、米に継いで主食となっていた。食べにくさがネックだが、何も食わないよりは断然マシだった。ちなみに、山の中にあった一軒屋の鳥小屋から失敬したものだ。残念ながら家畜は動物に襲われたのか散乱する羽だけを残して忽然と消えていたため、肉は入手できなかった。
「早くまともな食事したい・・・。」
妹がそうごちる。俺も同感だった。試しに川を泳いでいた鯉を短槍で捕ろうと試みたが、野生はさすがに一筋縄ではいかない。こちらがいかに気配を消して近付いても、鋭く感知して水煙を上げ消えてしまう。一時間ほどのチャレンジで俺は魚の捕獲を諦めた。まぁ捕まえても泥臭くて食べられないかもしれないのだが、やはり残念ではある。
「明日モールでうまいもん一杯食おう。それまでの辛抱だ。」
俺はそう言って妹を慰める。そして明日向かうモールの方角を仰いだ。そして思わず立ち上がる。モールの二階にあたる位置に仄かだが明かりが見えたからだ。恐らく蝋燭か小さな電球だろうが、明らかに人が灯した光だった。やはり人がいる。
「お兄ちゃん、光ってるよ・・・。」
「ああ、人が居るのは間違い無さそうだ。明日、もしかしたら人を撃たないといけないかもしれないな。」
俺はそう言って覚悟を決めた。人がいるという事はあの場所は安全なのだ。何としても潜り込む必要がある。ただ、中にいる人種が問題だった。この世界で生き残っているのだ。やはり脆弱な人間ではないだろう。もし拒まれれば力で制圧する方法しかない。こちらに銃器があるとはいえ、人数は多分向こうの方が圧倒的だろう。そんな場所で俺は妹を守りつつ戦わなければならないかもしれない。
「お兄ちゃん、やっぱ明日行くのやめる?」
俺の不安な表情を察知した妹がそう切り出した。無理に行く事はない。もし戦いになってしまえば、自分も俺も死ぬかもしれないと考えたのだろう。だがそれは、ジッとしていても同じ事が言える。立て篭もる事は緩慢な死を意味するかもしれないが、今は死そのものと紙一重の生活だ。このまま彷徨い襲われて死ぬよりは喩え物資がなくなるまで立て篭もってでも命を繋ぎたい。遅いか早いかだけの問題だ。
「心配するな。俺達には武器もあるんだ。わけの分からない連中だったら殺してでも奪えばいい。」
「殺すの?」
「攻撃されればな・・・、そんな事は望んじゃいないが止むを得ない場合もある。」
妹は小さく「そうよね。」と呟くとそのまま黙ってしまう。俺も不安に押しつぶされそうだが、だからこそ今は気丈に振舞った方がいい。そう思い、俺は妹の頭に手を乗せると何度か撫でる。少しゴワゴワした黒髪を指で梳いていると、妹はいつしか俺に寄りかかりスヤスヤと寝息を立て始めた。
★
明くる日、俺はまた橋の上に立ち、モールを観察していた。昨夜は眠ってしまった妹を守り、一睡もしていない。少々寝不足は否めないが、それはそれで集中力が高まっていいと考えた。ネガティブに取る必要などない。双眼鏡に映るのは、無人の屋上と内部の分からない建物だけ。下に広がるはずの駐車場や一階の様子は周りに乱立する民家に遮られ何も分からない。どうやらモールの建設に合わせて周囲も整備され、真新しい家が目立った。最近開発されたベッドタウンなのかもしれない。だが、まだ途中段階で空き地も目立つ。それは俺達に都合がよかった。建物に遮られ視界が効かないよりは、広い視野が確保できる方が何倍もいい。
妹は拳銃を胸に抱くように構え、俺の足元で周囲を警戒していた。俺は欄干に立っている。少しでも高さを稼ぐためだ。不安そうに俺を何度も見上げる妹に迷いは見せられない。双眼鏡で見える範囲は調べつくした。後は決行するだけ。当たって砕けるしかない。問題は中に人が居る事と同等にどうやってあそこまで辿り着くかも重要だ。俺は妹に合図すると欄干から飛び降り、銃の弾を確認した。拳銃は換えのマガジンにもフル装填し、マシンガンのストッパーを確認して肩に担ぐ。五丁ある拳銃の二丁を妹に持たせ、俺も三丁をズボンの裾に挿す。マガジンが四個しかないため、半々に分けた。妹の戦闘力を考えると武器を持たせても変わりはしないような気がしたが、俺に何かあった場合は必要になるに違いない。
俺と妹は準備が出来うる限りで万全だと判断すると、町に侵入を開始した。地図はなく、勘で進むしかない。空き地があればできるだけショートカットしつつ、モールを目指す。途中にほとんど人影は無かった。閑散とした町はどこか平和を連想させ、妹は気が緩んだような表情を浮かべる。俺はそれを咎める事はせず、自分の表情を引き締める。見えないだけでいないと決まったわけではない。いつ、どこから奴らが沸くか予想が出来ないのだ。
俺の予想通り、勘は悪い方で当たった。妹が不用意に蹴飛ばした空き缶が奴らを刺激したのだ。しまったと思った時は遅かった。物悲しげな唸り声が周囲の民家から立ち上がり、ペタリペタリと引き摺るような足音が一斉に聞こえ出す。妹もわざと蹴っ飛ばしたわけではなかったが、足元がお留守になっていたのは迂闊としか言いようが無い。モールはもう目の前だった。俺はオロオロと取り乱す妹の手を取ってモールに向け駆け出した。駆け足はさらに死体を呼ぶ結果になり、いつの間にか二人の背後に死体の行列が出来つつあった。
★
モールの全景が見え、最後の民家の角を曲がった瞬間、俺は見通しが甘かった事を悟った。橋の欄干から確認出来なかった一階部分が絶望的だったのだ。駐車場に蠢く死体の大群。映画などでよく見る風景だったが、それは画面を通して見る作り物だと分かった上でそれほど恐怖を与えはしない。だが、これは現実だ。おぞましい程の数の人の群れ、その一人一人が人間を捕食するモンスターなのだ。銃があろうが無かろうが関係ない図だ。答えは数で圧殺されるしかない。
妹は口を半開きにして、この絶望を見る。今、後方にもゾンビが群れを作りつつある事を一瞬忘れてしまうような光景だった。
「無理だよっ!お兄ちゃん逃げようっ!」
無意識に叫んだ妹の声は、無常にも駐車場内の死体の一部に届き、自らの存在をアピールする結果になった。前門の虎、後門の狼というが、まさに逃げ場がない。俺は咄嗟に妹の手を取って唯一死体の居ない駐車場の奥へ足を向けた。ゾンビは主に出入り口付近に固まっており、建物の裏手にはそれほど多くは無い。しかし、それも時間の問題だろう。すでに最初のゾンビの呻き声は他の死体に伝染し、二人の存在はすでに駐車場全体に知れ渡っている。
(くそっ!奴らの察知能力を舐めてた。俺のミスだ。)
俺は激しい後悔に襲われる。どこかで何とかなるだろうと高を括っていたのは事実だ。銃もあるし少しのゾンビなら何とでもなると甘い考えで実行したのは愚かだった。そんな甘い連中に人間が滅ぼされるほど追い詰められるわけがなかった。だが完全に後の祭り。今はこの窮地を脱出する術は限られている。この包囲網を抜けるには薄い部分を突破するしかなかった。妹と二人、銃を乱射しながら目の前の敵だけ倒していく。確実に頭を撃ち抜くことは出来なかったが、それでも邪魔な数体を倒すのに時間は掛からなかった。
(何とかなるかもしれないっ!)
俺はそう思いながら、建物の裏手に回る。後ろはすでに大量の死体に行く手を阻まれ、後戻りは出来ない。その時、レストランと思われるガラス張りの店内が見えた。中に生きている人間と思われる数人が驚いた顔でこちらを見ている。
「開けてくれっ!!!早くっ!殺されるっ!!!」
俺は我武者羅にレストランの入り口と思われるドアをバンバンと叩いた。中の人間はそれを見て、さらに驚いた顔をしたが、二人を招き入れるために入り口に走った者は皆無だった。人の良さそうな老人や中年、子供など、誰かが救いを差し伸べても良さそうなものなのに、誰一人そうしない。そうこうする内に死体は二人のすぐ後ろに迫っていた。すぐに鍵を開けてくれれば、あるいは間に合ったかもしれない。俺は何度も舌打ちしながら、ガラスに向かって拳銃を構えて引き金を引いた。
「やめろっ!!!!!!」
確かにそう誰かが叫んだのが聞こえたが、俺は構わずにトリガーを何度も引く。だが、弾は出なかった。逃げるのに必死で撃ち尽くしていたのだ。妹も同様で、二丁構えた拳銃からは虚しくカチカチという音だけが響く。俺はレストランを諦め、さらに奥へ走った。反対はまだ死体の姿がない。走りながら、新しい銃を裾から引き抜く。弾が装填されている最後の一丁だ。肩に担いでいるマシンガンは前方に敵が現れた時の切り蓋だ。これで何とかするしかない。
「お兄ちゃんっ!!!あれっ!」
妹の絶叫に近い声がすぐ後ろで響いた。俺は慌てて振り向く。すると妹は一点を指差して何か叫んでいた。俺は言葉を理解するより早く振り向き、それを確認した。それは反対側から現れた死体の一団と、俺と一団の中間辺りに見える梯子だった。地上二メートルあたりから屋上に向かって、梯子がかかっていた。周りを転落防止の半円状の鉄柵で囲まれた梯子。多分緊急の脱出用だと思うが、まさに渡りに船だった。俺は拳銃を撃ち尽くすまで乱射しながらひたすら走った。そして、弾の尽きた拳銃を捨てると肩に担いでいたマシンガンを構えてぶっ放す。パパパパパという軽い発射音が響き、前方の一団の先頭がバタバタと倒れる。そしてマシンガンの弾はあっさり尽きた。
俺は焦りながら、先に妹を梯子に掴まらせる。死体は倒れた数体に足を取られ、バタバタと将棋倒しに倒れる。その隙に俺は自分も梯子にジャンプして片手で掴まった。妹はすでに三メートル程上を必死で登っている。俺は妹がとりあえず危機を脱した事に安堵しながら、腕に力を込めて梯子に掴まる。そのまま登ろうとして、不意に何かにつっかえた。肩に担いだ空のマシンガンが、鉄柵に引っかかったのだ。足はまだ宙ぶらりんのまま、俺はその場に磔状態にされる。死体が起き上がり始めていた。
俺は必死で肩に引っかかっていたマシンガンを外す。そして一気に腕だけで体を持ち上げ梯子をよじ登った。間一髪で死体の手から逃れると、俺はやっと一息ついた。その瞬間、マシンガンが腕から抜け足元に広がる死体の群れの中に落ちた。気を抜いた自分に激しく後悔したが、もう遅い。俺はマシンガンを諦め、妹の待つ屋上を目指し梯子をよじ登った。
レストランの窓を三丁目で撃たなかったのは、ゾンビが迫って出す暇がなかったからです。走って逃げながら出す余裕を作ったわけです。
今回は少しボリュームが無いので、次は早く投稿したいですね。




